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1964年パラ開会式 上皇さまのお言葉

2021年8月22日 10:53
1964年パラ開会式 上皇さまのお言葉

8月24日、東京パラリンピックが開幕します。東京で開催されるのは1964(昭和39)年以来です。

1964年の第2回パラリンピック東京大会は、東京オリンピック終了後の11月8日から7日間の日程で、当時「国際身体障害者スポーツ大会」として開催されました。

大会は1部と2部に分かれ、第1部は車椅子対象の国際競技会として、第2部は車椅子以外の身体障害者(肢体不自由・視覚・聴覚)対象の国内競技会として行われました。

今では、オリンピックの後に同じ都市で行われるのが当たり前に思われているパラリンピックですが、それは1960年のローマ大会以来、東京が2回目。関係者の熱い思いが実った開催で、「パラリンピック」という言葉は、この1964年東京大会の時に初めて考えられたものでした。

大会に早くから関心を寄せ、国内の福祉関係者やスポーツ関係者などから話を聞くなど、開催実現に向けて支援されたのが、当時皇太子だった上皇さまと、皇太子妃の上皇后さまでした。

上皇さまは大会の名誉総裁を務め、開会式で各国から集まった選手を前に挨拶をされました。

以下、開会式のお言葉要旨全文(宮内庁提供)を紹介します。

【上皇さま(当時皇太子)「国際身体障害者スポーツ大会(パラリンピック)第1部開会式」お言葉】
<1964年11月8日 代々木競技場織田フィールド>

多くの国々からこの国際スポーツ大会に参加された選手の皆さん、また、日本の選手の皆さん、私は、今日、この開会式にのぞみ、皆さんの元気な様子を目の前にして、心からうれしく思います。

皆さんは、まじめな努力によって、心身の健康を取り戻し、さらにその増強につとめ、そして、はるばるこの大会に参加されました。ここにこられた皆さんの多くは、社会においてそれぞれ立派に活躍しておられます、その間において、スポーツが、皆さんのためにどれほど心身のささえとなったことでありましょう。

世界中いたるところにおられる多くの身体障害者の人達に、明るい希望と、みのり多い人生を、現実にもたらそうとするストーク・マンデビルの精神と業績は、高く評価せらるべきであります。

私は、このスポーツ大会が日本で開かれたことを、心から喜びます。皆さんが、我が国の皆さんの友人達に、どれほどの希望と激励を与えることかわからないからです。

どうか、皆さんは、日頃練習されたスポーツの腕前を、十分にこの大会で発揮してください。

オリンピック東京大会がかかげた標語「世界は一つ」の理想が、皆さんのスポーツマンシップを通じて、ますます押し進められるならば、私達の喜びはこれに過ぐるものはありません。

この大会が、皆さんにとって楽しい有意義なものとなることを心から望みますとともに、全世界の身体障害者の人々の上に、希望と幸福がもたらされることを念願してやみません。


【上皇さま(当時皇太子)「国際身体障害者スポーツ大会(パラリンピック)第2部開会式」お言葉】
<1964年11月13日 代々木競技場織田フィールド>

御参集の皆さん、本日から二日間にわたって、国際身体障害者スポーツ大会の第2部が開催されますことは、まことに喜びに堪えません。

この大会は、身体障害者の心身の健康の保持、及び増進を目的とするものでありますが、その大会に、かくも多数の選手の参加を見ることができましたのは、まことに心強く、うれしいことであります。

わたくしは、この大会が皆さん自身にも、また全国の皆さんの友人達にも、必ず大きな自信と、勇気と、希望とを与えるであろうと信じます。それと同時にまた、我が国ではなお不十分といわれる、身体障害者に対する正しい理解を深め、関心を強めるため非常によい機会であると思います。

ここに皆さんのスポーツマンシップにみちた活躍を期待し、この大会の成功を心から念願いたします。