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皇室が代々受け継ぐ沖縄への思い

2021年6月21日 12:10
皇室が代々受け継ぐ沖縄への思い

ひとつの瞬間から知られざる皇室の実像に迫る「皇室 a Moment」。今回は、6月23日の沖縄慰霊の日を前に、戦後、皇室が受け継ぐ“沖縄への思い”をについて長年皇室取材に携わってきた日本テレビ客員解説委員の井上茂男さんとともに振り返ります。


■「忘れてはならない4つの日」

――井上さんこちらはどのような場面なのでしょうか。

1975(昭和50)年7月、皇太子ご夫妻時代の上皇ご夫妻が、沖縄本島の南部にある「ひめゆりの塔」を慰霊された折、洞窟の中に潜んでいた過激派がお二人に向けて火のついた火炎瓶を投げつける場面です。

「ひめゆりの塔」は、先の大戦の末期、看護要員として動員され、悲劇的な最期をとげた女子学生の慰霊塔です。この時が、戦後皇族による初めての沖縄訪問でした。そこで火炎瓶事件が起きました。この年は、沖縄が本土復帰をしてまだ3年、過激派は「反対闘争」を活発化させていたんです。

6月23日、沖縄の「慰霊の日」が今年もめぐってきます。皇室の方々はその日に黙祷をささげ、静かに過ごされます。

上皇さまが、1981(昭和56)年の記者会見で挙げられた「忘れてはならない4つの日」です。上皇さまは、広島・長崎の原爆の日、終戦の日、そして沖縄戦終結の日を挙げ、その日にご一家で黙とうをささげ、平和のありがたさをかみしめ、お子様たちに強く印象づけるよう努力していくと話されました。

さらに「原爆の日」と「終戦の日」はテレビで中継が行われるのに、「沖縄戦終結の日はテレビの中継がないですよね」と指摘して、4つの日への思いを話されました。


――特に6月23日を忘れないでほしい気持ちをこめられていたんですね。

沖縄では、多くの民間人を巻き込んだ凄絶な地上戦が行われました。国内で大規模な地上戦が行われたのは沖縄だけです。日本軍の組織的な抵抗が終わったのが、6月23日です。


――沖縄県民の犠牲者は、実に4人に1人に上ったそうですね。

沖縄戦では、20万を超える人たちが亡くなり、上皇さまは「広島、長崎にひけをとらない大きな犠牲だ」とも話されていました。そして即位後もたびたび沖縄に対するお考えを話されています。

*上皇さま
「沖縄の人々が経験した辛苦を国民全体で分かち合うことが非常に重要なことと思います」

1997(平成9)年、本土復帰25年の年の記者会見ですが、先の戦争が、過去の出来事となっているからこそ、「分かち合う」という言葉を使って訴えられたと思います。

思いは、沖縄を訪問された時の日程からもうかがえます。上皇さまは沖縄を11回訪問されていますが、空港に着くと、まず車で一時間ほど離れた糸満市の南部戦跡を訪ね、国立沖縄戦没者墓苑で慰霊をされています。11回すべてです。今の天皇陛下も、秋篠宮さまも同じです。

さらに上皇ご夫妻の強い思いで実現した慰霊もありました。こちらは2014(平成26)年6月、学童疎開船「対馬丸」の犠牲者を慰霊された時の様子です。終戦の前の年、本土に疎開しようとした学童たちが乗った「対馬丸」が、アメリカの潜水艦の攻撃を受けて学童およそ800人を含む乗客1500人近くが犠牲になりました。ご夫妻は、長年この慰霊を希望されていました。


■豆記者との交流とハンセン病療養所訪問

――上皇ご夫妻が沖縄にこれほどまでに深い思いを寄せられるきっかけは何だったのでしょうか?

「豆記者交歓」という取り組みです。沖縄と本土の中学生らが互いに訪問し合い、取材した結果を新聞にして理解を深める取り組みです。ご夫妻は、沖縄がアメリカの施政下にあった頃から、毎年のように豆記者たちに会い、理解を深めていかれました。その後、皇太子ご夫妻時代の天皇皇后両陛下が、そして今は秋篠宮ご夫妻が引き継がれ、愛子さまや悠仁さまも同席されています。


――沖縄との結びつきは半世紀以上も続いているんですね。

文化への深い理解もあります。まずはこちらをお聞きください。

*三浦大知さんが歌う「歌声の響」

2019(平成31)年2月、上皇さまの在位30年記念式典で歌われた、沖縄県出身の三浦大知さんによる「歌声の響」です。沖縄には、「8・8・8・6調」を基本とする短歌=琉歌があります。この曲は、琉歌として上皇さまが詠まれた歌詞に、上皇后さまが沖縄の音階で曲を付けられたものです。上皇さまは、琉球国王の歌をノートに書き写して学び、自分でも詠まれてきました。


――歌詞になっている琉歌はどういうきっかけで詠まれたのでしょうか?

ひめゆりの塔で事件があった1975年の沖縄訪問では、上皇ご夫妻は国立ハンセン病療養所『沖縄愛楽園』を訪問されました。この時、お二人は、入所している人たちから、旅に出る人の無事を祈って歌う「だんじょかれよし」という歌で送られました。帰京すると、愛楽園の人たちからお礼の琉歌が届き、上皇さまは「歌声の響」の歌詞になる琉歌を作って返されました。


――そして、そのつながりは今の陛下にも受け継がれていますよね?

今の天皇陛下も、浩宮時代を含めて5回沖縄を訪問されています。昭和62年の初めての訪問を振り返ってのちに記者会見で「戦没者墓苑、ひめゆりの塔を訪れ、戦争の痛ましさ、戦前、戦後と沖縄の辿ってきた苦難の道に思いを致しましたし、平和の尊さ、そして大切さというものを強くかみしめました」と話されています。

沖縄での慰霊は私も何度も取材してきました。いつも感じるのは、何か痛いような特別な空気、びりびりと伝わってくる戦没者への慰霊の思いだったことを思い出します。それは上皇さまも、今の陛下も全く変わらないと思います。


――そして、ことしの沖縄「慰霊の日」ですが、新型コロナウイルスの影響で、去年に引き続き、全戦没者追悼式の規模を大幅に縮小して開催されることになりました。

コロナ禍で、沖縄にある「ひめゆり平和祈念資料館」や「対馬丸記念館」は来場者が激減して運営が厳しく、支援を必要としているそうです。戦後生まれが日本の人口の8割を超え、戦争が「記憶」から「歴史」に変わっていくなかで、皇室が「四つの日」に黙とうをささげ、折々に平和の尊さを発信する姿勢はますます重要になると思います。