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横田滋さん めぐみさんを待ち続けた43年

2020年6月8日 19:08
横田滋さん めぐみさんを待ち続けた43年

8日、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父・横田滋さん(87)の葬儀が営まれました。晩年、病床にありながらも最愛の娘との再会を決してあきらめることはありませんでした。

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8日午後、神奈川・川崎市の教会で執り行われた横田滋さんの葬儀。家族と一部の関係者が参列しました。

めぐみさんとの再会を待ち続けて43年。滋さんの願いが、かなうことはありませんでした。

7年前の2013年秋。横田滋さん、早紀江さん夫妻の姿は東京・上野動物園にありました。

滋さん「何回も来てますね」

ここは、めぐみさんが幼かった頃に、何度も訪れたという場所。当時、滋さんが撮影した写真が残っています。

滋さん「動物園が好きだってことは、向こう(北朝鮮)でも変わらないだろうから、きっと」

カメラが趣味だった滋さん。めぐみさんの笑顔をとらえた数多くの写真は、家族が幸せだった日々の記憶です。

しかし、そこから一転、1977年11月15日、当時13歳だっためぐみさんは北朝鮮の工作員に拉致されました。

その後、全く消息の分からなかっためぐみさん。北朝鮮にいるかもしれないという情報がもたらされたのは、1997年のことでした。

滋さんと早紀江さんは、再会への期待に胸を躍らせます。1997年のめぐみさんの誕生日には、20年ぶりに誕生日ケーキを用意した2人。

早紀江さん「はい、お父さん。20年目ですから、一度」

滋さん「そうだね」「食べさせてやりたいですよ」

めぐみさん拉致から25年後の2002年に開かれた日朝首脳会談。北朝鮮はめぐみさんを含む日本人の拉致を初めて認め、謝罪しました。しかし…

滋さん「いい結果が出るということを楽しみにしておりました。しかし、結果は死亡という…」

北朝鮮が伝えてきたのは「めぐみさん死亡」の情報でした。翌月には、拉致被害者5人が帰国。その中にめぐみさんの姿はありません。それでも滋さんは、24年ぶりの再会を喜び、涙を流しながらシャッターを切り続けました。

その後、北朝鮮から示されたのは、別人の遺骨などウソの情報ばかり。滋さんと早紀江さんはめぐみさんとの再会を信じ、よりいっそう救出活動に力を注ぎました。

一筋の希望の光が見えたのは、2014年のこと。

滋さん「丸顔でやはり同じ家系だと」「会うことができてよかった」

めぐみさんの娘のウンギョンさん(当時26)とモンゴルで面会が実現。高齢の二人にとって、長距離の移動は体力的にも最後のチャンスでした。

年を追うごとに話すことが難しくなってきた滋さんは、遠方での講演会に出向くことができなくなりました。しかし…

滋さん「北九州市のみなさんこんにちは。拉致による…」

早紀江さん「もういいですよ」

言葉を詰まらせながらも、滋さんは訴えをやめようとしませんでした。

娘に会いたい。ただそれだけの願いがかなえられずに過ぎてしまった時間。

滋さんは2018年4月から入院生活を送っていました。今年3月下旬からは新型コロナウイルスの影響で、家族の面会もできなくなりました。そんな中、早紀江さんは、タブレット端末を使って、画面越しに滋さんと対面。

「めぐみちゃんも頑張っているから」と声をかけると、滋さんは笑顔を返してきたといいます。病床にありながらも、めぐみさんとの再会をあきらめていなかったのです。

家族にみとられて、穏やかな最期を迎えたという滋さん。早紀江さんは友人に、「これからも戦わなければ」と、滋さんが果たせなかった娘との再会への決意を語ったということです。