富山大空襲に耐えた土蔵が姿消す

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富山2020.11.17 19:03

 75年前、富山市の市街地を焼きつくした富山大空襲に耐えた土蔵が、老朽化に伴い、このほど取り壊されました。空襲の跡を残す建物がまたひとつ姿を消しました。関わる人の思いをお伝えします。

 先週、富山市千石町で古い土蔵の取り壊しが進められていました。

 この蔵の所有者、柳瀬喜久子さん(86)です。

 「よく耐えてくれたなと思って85歳になってこれと共に生きてきたんだから」

 柳瀬さん、旧姓・日南田さんの実家は代々配置薬業を営んでいました。土蔵は、売薬の道具を保管するためのもので、建てられたのは1831年、江戸時代後期です。

 そして1945年8月2日の未明、アメリカ軍による富山大空襲がありました。富山市の市街地の99.5%が焼ける激しい空襲で、もともと3棟あった土蔵は1棟が焼夷弾の直撃を受け焼失。

 柳瀬喜久子さん「火の海だった。全部焼けた」

 残る2棟も壁が黒く焼けるなどしましたが何とか残りました。当時小学生だった柳瀬さんは家族と逃げて無事でしたが家は全焼。戦後は焼け残った土蔵に15年ほど住んでいたといいます。

 柳瀬喜久子さん
「それは幸せでしたね。私たちにしたらそこで生活できたんだからね。いま外から見たらあれでしたけど、中はしっかりしてました。冬暖かくて夏は涼しい」

 Qいい場所だったんですね

 「そうですね」

 その後、土蔵を管理していた姉が去年4月に亡くなり、蔵の中を調べたところ、県内で最古とされる売薬の帳簿や薬を入れる箱など様々な売薬関連の品が1000点以上見つかりました。

 柳瀬喜久子さん
「なんか古いもん、富山では最初のものも出てきたよと」

 空襲と売薬、富山の2つの歴史を物語る土蔵。柳瀬さんは何とか残そうと考えましたが、老朽化が激しく安全面に問題があることから、取り壊すことにしました。

 柳瀬喜久子さん
「だいぶ悩みました。やっぱり寂しいとしか言いようがないですね」

 17日、土蔵があった場所は更地となっていました。戦後75年、空襲の記憶を残す建物が姿を消しました。

 柳瀬喜久子さん
「これだけは覚えていたいんですけどね。戦争ってよくないですよね。それだけだわね。戦争がなければ私ももっと幸せな生活ができたのかな、そう思います最後はね」

 建物は姿を消しましたが、空襲の記憶はこれからも引き継いでいきたいですね。また、蔵の中にあった売薬の帳簿などは保存状態が良く、富山市売薬資料館に寄付され、これからも活用されます。

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