犠牲者の遺族「前を向いていかないと」
ニュージーランド地震から22日で10年です。生徒の遺族のうち、これまで欠かさず、現地で2月22日を迎えていたのが、富山市の堀田和夫さん夫妻です。ことしは新型コロナウイルスの感染拡大で行くことができませんでしたが、地震から10年という節目を迎えた思いを聞きました。
堀田和夫さん「この場所が娘の最期の地ということで、本当は行きたくもないし、思い出したくもないところなんですけども、やはり、そこに(現地に娘が)まだちょっといるんではないかなという自分だけの考えなんですけど、行って(娘に)報告したいなと思っていますし」
堀田和夫さん、富山市でメガネ店を営んでいます。店内には、ニュージーランド地震で亡くなった当時19歳の娘・めぐみさんの写真が飾られています。
2011年2月22日、ニュージーランドのクラスイトチャーチ市を震源とする地震が発生しました。
語学学校が入っていたCTVビルは、エレベーター部分を残して崩壊。ビルには語学研修中だった富山外国語専門学校の生徒ら県関係の24人がいて、このうち13人が犠牲になりました。
「娘の亡骸見た時に悔しくて悔しくてしょうがないですよ。何でこんな目に遭わなきゃならないのか。ほんと悔しかったですよ」
地震から2年後に、当時の思いを語る堀田さん。今、あらためて、振り返ってもらうと。
「最初は地震の影響で建物が倒壊したというか、潰れたというふうに最初は理解してたんですけども、現地に行ってみたら何かおかしいんですよね。あの建物だけが倒壊してるわけで向かいのビルはガラス1枚割れてないんですから、これはおかしいなと」
ビル倒壊の原因について、ニュージーランドでは第三者機関が調査を実施。地震から2年近くが経った2012年12月、最終報告書が公表されました。ビルの設計や施工に欠陥があったことに加え、建設を許可したクライストチャーチ市の審査が不十分だったことが指摘されました。
これを受けて現地の警察は刑事事件として捜査すると発表しました。しかし、2017年になってようやく遺族に届いたメールには目を疑う結論が。
「起訴を見送る」
「じゃあ私たちの亡くした子どもたちは何だったの。何の落ち度もない人間があちらの瑕疵というか過失によって命を奪われているわけですから、それに対して真摯に答えていただかないと、それに対する怒りをどこに持っていけばいいのか分からない」
怒りをあらわに語った堀田さん。警察は、立件を断念した理由として「調査機関の結論や警察独自の捜査を組み合わせても起訴に必要な要件を満たしていない」としました。
立ちはだかる法律の壁。責任の追及が難しいと知った堀田さんは。
「できることといえば、謝罪の要求というか、そちらしかないんで、それを求めて8年近く運動というか活動してましたから」
「午前10時50分です、リアン・ダルゼル市長が富山駅に降り立ちました」
去年2月、クライストチャーチ市のダルゼル市長が、外国語専門学校を訪れました。遺族およそ20人が集まる中、ダルゼル市長はおよそ30分間にわたって謝罪したということです。堀田さんらが謝罪を求めてから実に8年が経っていました。
「せめて謝罪だけは実現しておかないと、娘に父親として認めてもらえないんじゃないかなと思って、まあ何とか頑張りましたけど」
堀田さんは、今、複雑な心境だと語ります。
「最初は何か実現してほっとして、これで安心するだろうかなと思ってたら、逆に、これしかなかったのか、他に何かもっといい方法がないのかと。自問自答してましたけど」
謝罪があっても腑に落ちなかった堀田さん。震災から10年の今…
Q震災が起きてからしばらくの間はインタビューに堀田さんは、時間が止まったようだと話していたが、堀田さんの中の時計の針は進み始めましたか
「一区切りがついたということで、後ろばかりと言うかね、とりあえず親としてできることをやったんだから、なるべく前を向いていかないと、ずっとこれを引きずったままでも娘に恥ずかしいし、何歩かは前に出たんじゃないかなと」
私たちは10年を1つの節目と捉えがちですが、遺族にとっては節目ではなく単なる通過点で、感じる悲しみや辛さは、逆に深まっている面もあると感じました。
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