50年前の除雪 苦労と思い出は

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富山2021.05.03 18:58

 立山黒部アルペンルートが全線開業したのは1971年6月1日、ことしは50年の節目の年です。50年前の開業のとき「雪の大谷」など高原バスが走る道路の除雪に携わった男性に、当時の苦労と今の思いを聞きました。

 「時間とのただただ闘い。ゴールデンウィークは休みなし、なぜかと言うと開通日が決まっておるもんだから、それまでに道路を除雪して確保しなきゃならないということながですよ」

 今から50年前の1971年、アルペンルートの全線開業に向けて大型ブルドーザーで道路の除雪にあたった朝日町の仙名均さんです。

 開業1か月前の5月、高い雪の壁で知られる「雪の大谷」で撮影された1枚の写真。仙名さんは当時25歳でした。

 「なら、かあちゃん行ってくっちゃ。数家のあんちゃんと行ってきます」

 それから50年、立山駅で仙名さんと待ち合わせ、取材車両の中で話を聞きながら、標高2390mの「雪の大谷」に向かいます。

 「いつだったか覚えがないんだけどね、24mあった時があるがいちゃね、大谷で。(24mですか!)うん。手前の吹き溜まりが一番深いはずながいちゃ」

 車は、開業当時の様子を再現しようとことしは除雪が1車線だけとなった雪の大谷に差しかかります。

 Q雪の大谷は何年ぶりですか?

 「うーん、たぶんね、33年ぶりぐらいかな」

 Qいかがですかこの壁?

 「うーん、見慣れとるからね」

 50年前の除雪は、4月初め頃から始まりました。除雪隊は10人ほどで、共同生活をしながら、大型ブルドーザー8台ほどで除雪していたといいます。

 「ブルで除雪した雪をね、ロール状みたいに大きな山をずーっと持ってきて上がって谷側に捨てるんですよ。それの繰り返しになる。同じ所、同じ所。カンナかけるがと一緒」

 当時、除雪で気を付けていたことを聞くと。

 「その頃、開通していなくても登山客来るんですよ。スキーヤーと登山客ですね。そうすると除雪のすぐ横を通っていくわけですよね。その人たちの安全に対することとか、やっぱり一番気を遣ったんじゃないかなと思います」

 開業の年に気をつかったことがもう一つ。

 「数珠とろうそくと線香を忘れずに持っていけよと言われてね。除雪をしておったんですが」

 開業前の1970年12月、標高2300mの天狗平周辺で同志社大学スキー部の学生7人が吹雪に巻き込まれて行方不明に。捜索が行われましたが、発見することができずにいました。

 「道路の際に遺体があるんじゃなかろうかということを言われてですね。捜索隊の方がね、除雪しとるブルドーザーの後ろに2人、前に2人でね、出てくるものを見ながらという状態で除雪したのが一番、何と言うか気持ち的にね、大変だったなと思っております」

 遺体は、その後、雪解けに伴って発見されました。開業直前に行われた試乗会の映像には、仙名さんらが苦労して除雪した50年前のアルペンルートが映し出されていました。

 除雪を任された当時の思いをたずねてみると。

 「若いからね、そういうことはあんまりね思いませんよ。休みになったらどこへ遊びに行こうかぐらいが、何て言ったって、まだ25ですからね」

 仙名さんは、それから18年にわたってアルペンルートの除雪に携わりました。新型コロナウイルスの影響で訪れる観光客は減っていますが、この地を誇りに思っていることに変わりはありません。

 「下界ではサクラがとうに終わってさ、もう初夏にそろそろなろうかという時に、この雪がお盆頃までおるんだからさ。大変と言えば大変ながいちゃ。富山県のメジャーな観光地ですからね」

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