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愛子さまご誕生「みんな笑顔に」産科医語る

2021年12月1日 11:00
愛子さまご誕生「みんな笑顔に」産科医語る

12月1日に成人となられた天皇皇后両陛下の長女、愛子さま。誕生の瞬間「みんなの緊張がとけ笑顔を誘った」といいます。

■雅子さまにアドバイス「妊娠出産は受験と同じ」

「入院したらすぐ陣痛が始まり、陣痛が始まったら分娩が進行して…とても安産でいらっしゃいましたね」

そう話すのは、山王病院名誉病院長の堤治医師(71)。当時、東宮職御用掛として皇后雅子さまの“主治医”を務めていました。両陛下に初めて会った時の印象について「陛下はにこやかに、雅子さまもとてもやさしく接してくださいました」と振り返ります。そして、雅子さまには次のように伝えたといいます。

「『妊娠出産と受験は勉強が大事ですから』と最初に申し上げさせていただいて。
(雅子さまは)メモもとられて、一生懸命知っておくべきことを勉強されていました」

妊娠や出産の仕組みをよく知ることが出産への不安を取り除く──。普段から患者に伝えているアドバイスでした。その後、雅子さまは妊娠出産に関する本を読み、熱心に質問するなど前向きに取り組まれる姿が印象的だったといいます。

■妊婦健診は“ご夫婦で一緒に” 当時は陛下に批判の声も

今では夫婦そろっての妊婦健診が定着していますが、20年前は夫を伴わないのが主流でした。そんな中、陛下は10数回に及ぶ雅子さまの健診に、ほぼ毎回付き添われました。

お二人はエコー(超音波)検査で胎児の心臓が拍動する様子をご覧になり、とても喜ばれていたといいます。

「エコーで見ていると動いたり、表情とかもね。本当にお二人とも嬉しそうに。人前ではご夫婦であまり会話はされないので、目と目というか、アイコンタクトでお気持ちがとても通じていると感じておりました」

ご多忙な陛下が健診に何度も同行されるのはいかがなものかという声もありましたが、意思を貫かれました。

■出産前に分かる“性別” 陛下は…

胎児の性別は妊娠の比較的早い時期に診断することが可能で、今は事前に知りたいと望む人が多いといいます。しかし、堤医師が陛下に確認すると、「性別を教えてくれる必要はない」と答えられました。

「性別をあらかじめ知ることによって雅子さまに余分な気苦労をさせてはいけないというご配慮、思いやりのお気持ちの表れかなと思いました」

結婚8年目でのご懐妊、そして“お世継ぎ”問題が世間の関心を集める中でのことでした。

■「この時だ!」最新機器の導入で決めた“入院のタイミング”

当時37歳だった雅子さま。高齢出産ということもあり、万全を期す体制がとられました。初産の場合、通常は陣痛が10分間隔になったら入院するのが目安とされています。しかし、雅子さまの場合、警備などの態勢を整えるのに2時間はかかるとされ、堤医師はもっと早くその“予兆”を覚知する必要がありました。

「陣痛が強くなってからの移動となると辛い。逆に、まだまだなのに入院して安静にしていると陣痛がなかなか来なかったりします。陣痛がいつ来るのかを“予測”するのが一番の課題だなと」

そこで導入したのが、当時、医療のIT化が進む中で登場したばかりの「“遠隔”分娩監視装置」です。妊婦のお腹にセンサーを当てて胎児の心音と子宮収縮の状態を検知する「分娩監視装置」を“進化”させたもので、そのデータをインターネット回線でパソコンに転送できる点が画期的でした。

この“試作機”を妊娠8か月頃から雅子さまに使っていただくことで、堤医師が東宮御所から離れた病院や自宅にいても、随時、状況をモニターできるようになりました。そして、11月30日夜──。

「『この時だ!』ということで、ご入院をお願いしました」

あの日、陛下とともにお車で雅子さまがにこやかに手を振りながら入院された背景には、こうした最新技術があったからなのです。

実は60年以上前、もともと「分娩監視装置」を日本で初めて使われたのが上皇后美智子さまでした。その時にお生まれになったのが陛下で、その後、日本の医療現場で普及していった経緯があります。雅子さまが使われた“リモート版”も、今は保険適用となり、経過観察が必要な妊婦や遠隔地で活用されています。

■陛下と愛子さまのご誕生にまつわる“変化”ほかにも

「初めて病院の分娩室で生まれた皇室の方というと陛下ということになりますね。それで、初めて『LDR室』で生まれたのは愛子さまです」

1960年2月、慣例だった宮中での出産ではなく、初めて分娩室で誕生されたのが陛下でした。そして、愛子さまは「LDR室」で産声をあげられました。

LDRとは、陣痛(Labor)から出産(Delivery)、回復(Recovery)まで、妊婦が1つの部屋で過ごすシステムで、移動の必要がないため負担が少なく、個室で家族が立ち会いやすい利点があります。堤医師は、当時、欧米で普及し始めていたこのシステムを取り入れるよう宮内庁病院に提案したといいます。

■「幸せとは、こういう光景か…」

雅子さまは2001年11月30日夜、宮内庁病院に入られました。翌12月1日午前、陣痛が始まり、LDR室で陛下も一緒に過ごされたといいます。いよいよご出産が近づいた段階で、陛下は遠慮されて別室に移られ、午後2時43分──。

「私が取り上げさせていただいて。(スタッフ)みんなも緊張感が解けて、みんなが笑顔になるような…本当に素晴らしい瞬間でしたね」

体重3102グラムの元気な女の子。愛子さまのご誕生でした。
堤医師は「おめでとうございます」と雅子さまに愛子さまを抱っこしていただくと、別室で待たれている陛下の元へ急ぎました。

「おめでとうございます。内親王さまがお生まれになりました。雅子さまも内親王さまもとても元気でいらっしゃいます」

陛下からは、ねぎらいの言葉があったといいます。そして、LDR室にお連れすると──。

「お幸せというのは、こういう光景かなと。(陛下は)頑張ったねという言葉はおかけになっていたと思います。我々はご遠慮して退出し、3人で水入らずのお時間を過ごしていただけたのは、とても良かったと思います」

陛下は、生まれたばかりの愛子さまを、まだ慣れない様子で抱っこされたということです。

■受け継がれる「ものを大切にするお気持ち」

その後、陛下が新生児室を訪ねられた時のこと。愛子さまが休まれている“コット”と呼ばれる赤ちゃん用のベッドについて、陛下があるエピソードを明かされたといいます。

「『このコットは私が生まれた時に使ったものなんですよ。でも、私はその時のことは覚えていませんけれどもね』とおっしゃられて」

父から娘へと受け継がれた“コット”。堤医師は、ものを大切にしていかれる皇室の伝統を感じたといいます。

それから20年──。愛子さまは12月5日、叔母・黒田清子さんから借りたティアラを身につけ、成年行事に臨まれます。堤医師に改めて思いを聞くと──。

「(退院時)陛下には『本当にありがとう』というお言葉をいただきました。雅子さまからは『お産が楽しかった』という言葉をいただけたんですね。逆に雅子さまから教えられたような気持ちがして、私も産婦人科医として、ひとつ脱皮させていただいたなと思っている次第です。」