女子バスケ渡嘉敷来夢 復帰までの311日
東京五輪で史上初のメダルを獲得した女子バスケットボール。しかし、その栄光のコートに渡嘉敷来夢選手(30)の姿はありませんでした。
「バスケットボール人生の中で一番悔しかった。東京五輪のコートに立てなかったのが」
高校1年生で身長は190cm。高さ、強さ、そして速さを兼ね備えた渡嘉敷選手は日本女子バスケの逸材として注目されていました。
2016年リオ五輪では日本のエースとして活躍。20年ぶりのベスト8に導きました。当時、東京五輪での目標を聞くと「メダルを取ります」と自信に満ちた言葉が。誰もが東京五輪での活躍を信じて疑いませんでした。
しかし、去年12月16日の皇后杯で悲劇が…
相手シュートをブロックするも、着地と同時に倒れこむ渡嘉敷選手。
右膝前十字靭帯断裂、全治10か月の大ケガ。東京五輪7か月前に起きた悲劇でした。
「診察室で聞いた時は、『ですよね』と言いながら、ポロポロ涙は出てました。勝手に涙が出てるやつですね」
ケガから1週間後に手術を決意、無事成功した渡嘉敷選手。しかし当時メディアには“東京五輪絶望”と報じられました。
「いろんな記者の人たちが『五輪絶望』と書いた。それを見て『お前ら何を知っている、勝手に決めるなよ』という感情が生まれました。こんな言い方はちょっとあれですけど…復帰するタイミングも、膝の調子も、全部、自分が一番分かっている」
退院後、すぐにリハビリを開始。東京五輪に間に合わせるため、苦しい表情を浮かべながらも、必死の努力を続けました。
しかし東京五輪まで2か月を控えた5月。日本代表合宿のコートに渡嘉敷選手の姿はありませんでした。体育館の隅で、独り別メニューでの調整。まだボールに触ることも出来ない状況でした。
その4日後、渡嘉敷選手はトム・ホーバスヘッドコーチに“東京五輪の出場辞退”を伝えました。
「(トム・ホーバスHCは)『本当にここまでよく頑張ってくれた。一緒にバスケットができて楽しかったよ』と言ってくれた。ちょっと涙目っぽかった(笑)」
東京五輪を外から見ることしか出来なくなった現実。
最初は受け入れられない自分がいました。
「悔しい気持ちが一番。東京五輪が始まった時はその気持ちしかなくて、本当に悔しい」
しかし世界の強豪と渡り合う仲間たちの活躍が、渡嘉敷選手の気持ちを変えていきました。
「途中からはみんなと一緒にバスケットボールがしたいですし、『みんなに負けたくない』というのと、『メダリストに置いていかれたくない』というのは正直思いました」
東京五輪後、銀メダルを獲得したチームメートの宮崎早織選手と林咲希選手から銀メダルをかけてもらいました。
渡嘉敷選手「涙が出そうだよ、ありがとうございます。やった~」
宮崎選手「重い?」
渡嘉敷選手「重い。涙が出そうだよ」
宮崎選手「私もなんか泣いちゃいそう。一緒に行きたかったから」
渡嘉敷選手「泣ける、ありがとう。頑張ります、私」
仲間の銀メダルは渡嘉敷選手に新たな力を与えてくれました。
「絶対にパリ五輪で金メダルを取ってやるという気持ちが全面に出てきている。もう一回はい上がれるというか、ここからまた自分は上手くなるなと思えている」
最後は「あぁ~頑張ろう!でもここからなんだよ、キツいのは」と笑顔。
そしてケガから10か月。シーズン開幕戦のコートに戻ってきた渡嘉敷選手。試合前にはケガした右膝に「よっしゃ!今日も頼むぞ」と声を掛けました。
復帰戦で渡嘉敷選手は大活躍。次々とゴールを奪い、チームトップの35得点を挙げました。
試合後、渡嘉敷選手は「この一歩がパリ五輪に行くのかと思ったりした。今日はスタートにすぎないのかなって思うんですけど、無事に今日一日が終えられてよかった」と笑顔で話しました。
ケガから311日、確かな一歩を踏み出した渡嘉敷選手。より強くなった姿をパリ五輪で見せてくれるはずです。