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麻生氏の3205日「戦後最長」が遺した物

2021年10月9日 12:42
麻生氏の3205日「戦後最長」が遺した物

数々の問題発言で物議をかもしながら歴代3位、3205日の在任日数を誇った麻生太郎前財務大臣。「戦後最長」の財務大臣が遺したもの、その知られざる素顔とは?

■「半径2メートルの男」

その日、麻生大臣はいつになく上機嫌だった。「消費税2回上げて、(内閣が)倒れず、支持率が上がったんですから」「新聞の予想とはえらい違うことになったね」。退任前、最後の会見で麻生大臣は2度の消費増税など、自らの功績を22分間にわたって上機嫌で披露した。

振り返れば、麻生大臣の会見は本当に厄介だった。最近では、先月7日の記者会見、「コロナは曲がりなりにも収束して、国際社会の中の評価は極めて高い」と発言。麻生氏の言葉を借りれば、「曲がりなりにも」、緊急事態宣言下での発言である。当然、野党の集中砲火を浴びた。

また、21日には森友学園をめぐる文書改ざん問題の再調査について聞かれると、「読者の関心があるのかねぇ」などと発言。財務省による調査は不十分との声もある中、批判が集中した。

舌禍の枚挙にいとまのない麻生氏だが、「半径2メートルの男」の異名をとるだけあって、霞ヶ関の評判はすこぶるいい。「鷹揚で器が大きく、こちらの言い分にもしっかり耳を傾けてくれて人間味があり、リーダーとして理想的」と、財務官僚も手放しの大絶賛なのである。

実際、麻生氏が財務省を去った日は好天にも恵まれ、財務省の職員ら数百人が見送った。大好きな紫色のネクタイに、紫色の花束を手にした麻生氏は満面の笑み。職員らは麻生氏が乗り込んだ車が見えなくなるまで、万雷の拍手で見送った。

■3205日の“遺産”

戦後最長となった在任期間。麻生大臣が遺したものとは一体何だろう。

麻生氏は第二次安倍政権が発足した2012年12月に財務相に就任。副総理も兼務し、圧倒的な存在感を示してきた。

消費税は2014年と2019年に2度引き上げたものの、新型コロナウイルス対策で大規模な財政出動をおこなったこともあって、今や国の借金は1200兆円を超え、麻生大臣の就任時から22%あまりも増えた。実に、債務残高がGDPの2倍を超えるという、とてつもない財政悪化を招く結果となったのである。

「経済再生なくして財政再建なし」の旗印のもと、経済成長を実現すべく巨額の補正予算を組んで「アベノミクス」の第2の矢、財政出動を繰り返したが、第3の矢である成長戦略では、はかばかしい成果を得られず、状況は改善しなかった。むしろ、本予算に比べてチェックの甘い補正予算には不必要な費用がまぎれこむことも多く、財政規律は緩む一方となった。

■財務省の“スティグマ”

財務省への信頼を決定的に傷つけることになったのが、森友学園問題をめぐる決裁文書の改ざん問題だ。

公文書改ざんは「財務省が背負い続けるスティグマだ」と幹部は話す。スティグマ、とは汚名や不名誉、負の烙印といった意味合いの言葉だ。

それを助長したともいえるのが、麻生大臣の「説明責任軽視」の姿勢だった。公文書改ざん問題について、麻生大臣は度重なる記者の質問をはぐらかし続けた。「質問するなら、きちっと知ってないと具合悪いよ」と記者をからかったかと思えば、しまいには「その程度の能力か」などと発言。

一人の職員を自殺に追い込んだ問題にもかかわらず、正面から向き合おうとしない態度に批判が相次いだ。結局、最後まで再調査はしないとの主張に終始した。この「説明責任軽視」の姿勢は政権のあり方と無縁ではないだろう。

財務省幹部は「安倍政権下でものごとが官邸を中心に決められていく中で、霞ヶ関はひたすら官邸の顔色をうかがうという思考停止状態に陥ってしまった」と反省をこめて振り返る。

今般、ノーベル物理学賞の受賞が決定した真鍋淑郎氏が「日本に戻りたくない理由の一つは、周囲に同調して生きる能力がないからです」と語った。「政権一強」「官邸主導」の政治状況の中、同調圧力に抗いきれなかった財務官僚の姿は、この国のありように通じるものがある。

■突進する「タイタニック号」

いま、目前に迫る衆院選。岸田総理は数十兆円規模の経済対策をぶち上げた。国債発行による無駄なばらまきに終わらないか、不安が募る。

そんな中、財務省の矢野康治事務次官が雑誌に寄稿し、「本当に巨額の経済対策が必要なのか」と疑問を投げかけた。衆院選を控え、与野党が展開する「ばらまき合戦」にもの申し、経済成長だけで財政健全化するのは「夢物語」だとして、財政の現状を「タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなものだ」と警鐘を鳴らした。

次官の主張は、財政健全化より経済再生が先だとする政権の姿勢とは食い違う。

財務省はこれから選挙を前にした「ばらまき合戦」に抗い、財政健全化に向け、確実な道筋をつけなければならない。その道のりは険しく、麻生前大臣が遺した宿題はあまりにも大きい。