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「防災の日」関東大震災“爪痕”は今も…

2021年9月1日 17:50
「防災の日」関東大震災“爪痕”は今も…

9月1日は「防災の日」です。98年前の9月1日、関東大震災が起きました。震災が残したものと、当時の記憶を伝える人々。命を守るために何ができるのか、取材しました。

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98年前の9月1日。首都圏の街並みを一変させる巨大地震が起きました。「あの日の出来事」を若い世代は知っているのでしょうか。

男性(20代)「9月1日?なんだろう」
女性(20代)「私は全然わからないです」

こちらの親子は。

母(40代)「関東大震災とかそんな感じなのかなぁ」
娘(10代)「知らなかったです。火事の被害が震災の中で一番多かった、みたいなのは聞いたことがある」

1923年9月1日、午前11時58分。マグニチュード7.9の大地震が関東や東海地方を襲いました。この地震で10万5000人以上が犠牲に。多くは、火災で亡くなっています。

その“爪痕”は、今も各地に残っていました。

日本テレビ・佐々木宏紀記者「あれですかね、レンガ造りの古びたものがあります」

高層マンションの中にあったのは、旧横浜駅の駅舎基礎の一部。1915年に完成した旧横浜駅。そのわずか8年後、震災によって駅舎のほとんどが焼失しました。業火を耐えしのいだその一部が、当時の惨状を訴えています。

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神奈川県が誇る観光名所、箱根。関東大震災は、ここにも影を落としました。

震災直後の箱根の写真をみると…。大きくゆがんだ線路に、両側から倒れかかる電柱。建物の屋根は崩れ、線路に迫っています。実は、関東大震災の震源域は相模湾が中心。その沿岸部に位置する箱根や小田原などでは、火災だけでなく土砂崩れや津波により壊滅的な被害が出ました。

ホームから海が一望できるJR根府川駅。なぜか、1番線の標識がありません。しかし、線路側から見てみると、2番線の奥にはレンガでできたブロックが続いています。ここに、かつて1番線があったのです。しかし、駅の一部は、土砂崩れによって相模湾の底へ…。その痕跡は、今でもはっきりと残っています。

海底で眠るいくつもの巨大な岩やブロック。この場所で、ダイビングのインストラクターをしながら遺構を調べている男性がいました。

根府川ダイビングサービス・高橋監二代表(45)「一番初めはこれ?これかな?という感じでした」

最初は、関東大震災を遠い昔話のように感じていたと語る高橋さん。しかし、自分の目で遺構を見るうちに、身近に感じるようになったといいます。

高橋監二代表「関東大震災があって、こんなに遠くまで駅が沈んでしまった。皆さんに伝えていきたい」

45メートル下の海へ駅を押し流した土砂崩れ。私たちは、当時を知る男性に話を聞くことができました。

父が被災した内田昭光さん(79)「父は弟たちとお姉さんと母親と、5人生き残った」

生まれも育ちも根府川という内田昭光さん。被災したのは、当時10歳だった父の一正さんでした。

内田昭光さん「はいつくばらないと歩けないくらいの大きさだったので、自分や家族が助かったのは奇跡だったんだと」

辛うじて生き延びた一正さんは、根府川周辺の被害状況を調査することに。すると、根府川駅の裏手にある大洞山が崩落。土砂はおよそ4キロにわたって流れ出たことがわかりました。その時間は、わずか5分程度だったといいます。

内田昭光さん「地滑りが起きて、電車もろとも転落。その後は津波で相当命を落とされたと」

崩れた山肌は、駅に止まっていた列車とホームを巻き込んで海へ落下。100人以上の乗客を一瞬で飲みこんでいったのです。「関東大震災の被害は火災だけじゃない」、そう語る昭光さんは最後に、父から学んだことを教えてくれました。

内田昭光さん「次の余震が来るまでの間に自分の身の安全を確保するんだよと。いつどこに何があってもおかしくない日本列島、一人一人が自覚しなきゃいけないと今、思っております」

関東大震災からもうすぐ100年。“もしも”の時、自分の命、大切な人の命を守るために何ができるのか。1年に1度考える、それが「防災の日」です。