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五輪「男女混合」、ジェンダー平等で倍増

2021年7月29日 20:02

卓球の水谷・伊藤ペアが金メダルを獲得した「混合ダブルス」は、ジェンダー平等を推進するために今大会から新たに採用された9種目のひとつです。歴史をたどると「女人禁制」から始まった五輪は男女同数へと大きな変革を遂げてきました。

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■卓球など「男女混合」9種目が新採用

東京五輪はかつてないほどジェンダー平等や多様性を重視した大会となっています。女性の選手の参加割合は史上最高の49%で、前回リオ五輪の45%を上回りました。

開会式の旗手は男女1人ずつに変わり、「男女混合種目」が大幅に増えました。そのひとつが、水谷・伊藤ペアが金メダルを獲得した卓球混合ダブルスです。

男女混合種目はほかにも、アーチェリー、トライアスロン、柔道の混合団体、競泳の混合400メートルメドレーリレー、陸上の混合1600メートルリレー、射撃の混合エアライフルなど9種目が今大会で新たに採用されました。

これで男女混合種目は計18種目となり、前回リオ五輪から倍増しました。


■「女子競技は五輪の品位を下げる」

そもそも古代五輪は女人禁制でした。近代五輪が始まった1896年の第1回アテネ大会でも、古代五輪にならって男性のみ参加。女性は認められませんでした。五輪の創始者・クーベルタン男爵も、当時の社会通念を反映し、「女子競技は五輪の品位を下げる」と反対だったのです。

女性が初めて五輪に参加したのは1900年パリ大会です。しかし、女性の参加は2%。競技も、初期は男性から「女性らしさを損なわない」とみなされたテニス、ゴルフ、アーチェリーなどに限られました。

スポーツとジェンダーに詳しい中京大学・來田享子教授は「当時、女性の選手は社交、つまり男性との『お見合い』の場として存在していて、きれいな帽子をかぶり、足首まであるロングドレスを着ていた」と指摘します。男性と対等ではなかったのです。


■日本人女性初は1928年大会の人見絹枝選手

女性たちが声をあげたことで、1928年のアムステルダム大会で初めて陸上競技への参加が認められます。このとき、日本人女性として初めて出場したのが岡山出身で陸上の人見絹枝選手です。得意の100メートルで負けた後、800メートルで銀メダルを獲得しました。

この快挙は、「スポーツは女性がするものではない」という偏見を払拭する大きな契機となります。人見選手は五輪後、後進の育成に力を注ぎましたが、3年後、24歳の若さで肺炎のため亡くなりました。

來田教授は人見選手の功績を、「指導者、組織のリーダーとしても行動し、スポーツ界での女性のあるべき姿を体現した」と評価しています。


■12年ロンドン五輪で大きな進展

2012年のロンドン大会は、大きな進展がみられました。ボクシングに初めて女子種目が加わったことで、すべての競技で女性が参加できるようになったのです。

さらに、これまで宗教上の理由などで派遣がなかったサウジアラビア、カタールなど3か国からも女性の選手が派遣されました。多くの女性たちの挑戦が、五輪のジェンダー平等への道を切り開いてきました。

今大会を組織委員会は「最もジェンダーバランスの良い大会」と位置付けていて、歴史の節目となる大会ともいえます。(解説委員・キャスター 小西美穂)


写真:AFP/アフロ(卓球混合ダブルスで金メダルを獲得した水谷隼選手と伊藤美誠選手)