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愛子さまと馬とオマーンの王女(上)

2021年5月29日 11:37
愛子さまと馬とオマーンの王女(上)

馬はアラブの文化を象徴する崇高な存在で、純血種を贈ることは友情と敬意の最高の表現だそうです。27年前に中東オマーンの国王から贈られた「アハージージュ」は、そうした思いをまとってやってきた特別な馬でした。愛子さまが会いに行かれた愛馬の「豊歓(とよよし)」はその子どもです。優しい眼差しの愛子さまに、ご一家が「友情の印」を大切にされてきたことを思いました。(日本テレビ客員解説委員 井上茂男)

【皇室コラム】「皇室 その時そこにエピソードが」第8回 <愛子さまと馬とオマーンの王女(上)>

■高齢の愛馬にお別れをした愛子さま

5月6日午前10時過ぎ。愛子さまは短く切ったボブヘアを揺らしながら、優しい眼差しで手を振って皇居に入られました。訪ねたのは宮内庁車馬(しゃば)課の厩舎(きゅうしゃ)で飼われているアラブ種の馬「豊歓(とよよし)」です。人間なら80歳の高齢になり、余生を送る御料牧場(栃木県高根沢町)に移される前に、お別れをされるためでした。皇后さまもご養蚕の行事を終えて同行されました。

4月に江戸城の石垣の遺構を視察した時も、ご一家3人で豊歓に会われています。それでも愛子さまと皇后さまは「お別れの挨拶を」と希望し、お二人で足を運ばれたのです。豊歓の顔をなでたり、ニンジンをあげたりして1時間ほど一緒に過ごされました。厩舎を離れる際は何度も後ろを振り返られていたそうです。

■国王から突然に贈られたアラブ純血種

オマーンはアラビア半島の南東端にあり、約450万人が暮らしています。首都はマスカット。飛び地がホルムズ海峡に面する熱砂の国です。両陛下が訪問されたのは1994(平成6)年11月です。馴染みの薄い国ですが、「アラビアン・ナイト(千夜一夜物語)」に登場する船乗りシンドバッドの国と聞くと親近感がわいてきます。皇室が訪ねたことのない国で、お二人にとって結婚されて最初の海外訪問でした。それは湾岸戦争などで2度延期され、オマーンも首を長くして待った交流でした。

訪問2日目。お二人は砂漠のテントにカブース前国王を訪ね、会見や昼食会の後、伝統的な馬やラクダの演技をご覧になりました。夕日が砂漠をオレンジ色に染めていくなか、馬たちが整列し、赤い絨毯(じゅうたん)と銀の装身具で飾られた栗毛の馬が連れて来られました。落ち着かない様子の馬に国王は砂糖菓子を与え、天皇陛下にプレゼントすることを突然に告げたのです。それが「歓(よろこ)びの歌」という意味のアハージージュです。アラブ純血種の牝馬。「白斑三肢(はくはんさんし)」と呼ばれる、足の3本の下部が白い珍重される馬でした。

あわてたのは随員たちです。当時の新聞は「同行した宮内庁関係者らは『どうやって運べば……』と、呆然とした様子。とりあえず日本に戻り、それから“処遇”を考えることにするという」(毎日新聞)と伝えていますから、運搬や検疫などの課題に随員たちは困惑したのです。日本にやって来たのは半年後の1995(平成7)年5月です。オマーン側の英国人獣医らに付き添われ、レバノン航空機で成田空港に到着しました。両陛下が再会されたのは7月。再会まで実に8か月もかかりました。

JICA(国際協力機構)の専門家としてオマーン商工省顧問を務めた遠藤晴男氏の著書『オマーン見聞録』(展望社)を読んで、馬はアラブ文化を象徴する崇高な存在で、特別な贈り物であることを知りました。前国王は伝統的な馬の飼育や、血統の維持に熱心でした。「純血アラブ馬を贈答することは相手に対する友情と敬意の最高の表現とされている。それも名馬が贈られたのである」。遠藤氏は力を込めています。

■国王に伝えられた『豊歓』の近況

来日から2年後、アハージージュに子どもが生まれました。皇室の馬は漢字2文字で命名されます。1字目は歌会始のお題か御製から、2字目は母親の名からとられます。友好の馬には、稲穂の成長を喜ぶ上皇さまの歌から「豊」を、母親から「歓」をもらって「豊歓」と名付けられました。日本語の意味の「歓」の字はどうかと提案されたのは天皇陛下でした。

豊歓と対面された両陛下の写真があります。陛下も、皇后さまも、子馬を驚かさないようにそっと近寄られていることがわかる写真です。雅子さまは喜ばれたのでしょう。この年の誕生日会見で「御料牧場に参ります時には、以前にオマーンの国王陛下から皇太子殿下がお頂きになられた馬のアハージージュがおりますけれども、今年の春に出産をして、今、子馬がいますので、この馬たちの元気な姿を見ることも楽しみにしております」と興奮気味に話されています。

オマーン大使を務めた森元誠二氏の『知られざる国オマーン 激動する中東のオアシス』(アーバン・コネクションズ)に興味深いエピソードを見つけました。2008(平成20)年、森元氏が赴任前に両陛下とお会いした数日後、侍従から「ぜひ子馬を見ていって欲しい」と電話をもらって皇居を訪ねます。オマーンで国王に謁見する時には、前もって豊歓の資料と写真を届け、歓談の時に豊歓のことを説明しました。国王は両陛下の訪問の思い出を語り、アハージージュの血が次の時代に受け継がれたことに感慨深げだったそうです。侍従の電話は陛下の気持ちを受けてのことでしょうから、陛下は豊歓が元気でいることを国王に伝えてほしいと思われたのだと思います。

豊歓が生まれて4年後、愛子さまが誕生します。幼少の頃から御料牧場などでアハージージュの親子に接し、5歳の頃には豊歓に一人で乗られるようになりました。「適応障害」で苦しむ皇后さまが、活動の一環として乗馬をされていた頃です。きっと愛子さまも興味を持たれたのでしょう。豊歓は幼い頃の記憶につながる“幼なじみ”のような存在です。御料牧場へ行く前に、何としてもお別れを告げられたかったに違いありません。
(「下」に続く)

(冒頭の動画は、『豊歓』に会うために皇居を訪問された愛子さま<5月6日 皇居・半蔵門>)


【略歴】
井上茂男(いのうえ・しげお)
日本テレビ客員解説委員。1957年生まれ。読売新聞の宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚や、雅子さまの病気、愛子さまの成長を取材。著書に『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。