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両陛下 被災者に心を寄せる原点の旅(下)

2021年3月29日 17:20
両陛下 被災者に心を寄せる原点の旅(下)

阪神・淡路大震災の3日後、皇太子時代の天皇陛下が「しのびない気持ち」という言葉を残して皇后雅子さまと中東訪問に向かわれたことがありました。被災地を案じながら親善に努め、予定を2日早めて帰国された旅は、公務と気持ちの「狭間(はざま)」に揺れた日々でした。被災した人たちに心を寄せる原点とも言える旅を振り返ります。(日本テレビ客員解説委員 井上茂男)

【コラム】「皇室 その時そこにエピソードが」第6回「両陛下 被災者に心を寄せる原点の旅」(下)

■誕生日会見「いまできることを考えていた」

1995年1月28日に帰国して1か月ほどたった2月22日、陛下は35歳の誕生日を前に記者会見に臨まれました。「関連質問」の最初は震災直後に中東訪問へ出かけられた判断についての質問でした。

「出発前にも申し上げましたとおり、私としては非常にしのびない、日本を離れるのは、非常にしのびない気持ちではあったわけですけれども、政府の方針に従って中東地域を訪問したわけであります」

続いて、ヨルダンでの記者会見を受ける形で「帰国してどういうことをなさっていたのか」という質問が出ました。「この間、被災状況についての話を伺う機会がありましたし、被災地の状況などをニュースそれから新聞等でもって見る機会がございました。私としましては今、どういうことができるか、いろいろ考えていたところでありますけれども、今度、現地に行きまして少しでも被災者の方々をおなぐさめすることができればと思っております」と述べ、「先ほどの質問に追加させていただきますと」と断って、「中東を訪問している最中もやはり、ひとときもこの神戸の被災地で亡くなられた方々、そして苦しい生活を送っておられる方々のことは頭を離れることはありませんでした」と補足されました。

発生の直後も、旅先でも、そして帰国してからも、陛下は良かれと祈りご自分のできることを探されていたでしょう。ですが、帰国して神戸に入った筆者には、誠に恐縮ながら、被災地で聞く陛下の答えは、もの足りないように思われました。

■被災地のお見舞いは「天皇の専管事項」

2011(平成23)年3月11日、東日本大震災が起きました。この時、「天皇陛下がお見舞いに行かれる前に、なぜ若い皇太子が被災地にはいらないのか」という声が聞かれました。

側近にそのことを質問すると、思いもしない言葉が返ってきました。「被災地のお見舞いは天皇陛下の専管事項ですから」。「専管」とは一手に管理するという意味です。平たく言えば手出しできないということでしょう。1991(平成3)年の雲仙・普賢岳の噴火災害以降、確かにお見舞いは全て天皇皇后だった上皇ご夫妻から始まりました。

■天皇に近接して負担をかけないように

天皇の訪問は、平時も、災害時も、最高度の警備態勢が敷かれます。地方の恒例行事には警察庁長官が同行するほどです。災害が発生し、いつなら行方不明者の捜索や復旧作業を止めずに被災地に入れるか――天皇が現地の様子を注視している時に、若いからと皇太子が先に動くことはあり得ない話でした。それができないことをご存知で、また説明すべきことではないと思われていたから、アンマンの記者会見で陛下は言葉を選ぼうとして言いよどんだのではなかったか、あるいは、誕生日会見で答えようがなかったのではないかなどと想像したりします。

ちなみに、阪神・淡路大震災の被災地に上皇ご夫妻が入られたのは1月31日、皇太子ご夫妻時代の両陛下は約1か月後の2月26日でした。東日本大震災では、上皇ご夫妻は3月30日の東京武道館から5月11日の岩手県まで7週連続でお見舞いを続けられました。一方、両陛下は、4月6日の味の素スタジアム(東京)から月一回のペースで8月まで見舞われました。そのタイムラグは、天皇皇后に近接して動いて被災地に負担をかけることがないようにという配慮からでしたが、側近たちから詳しく説明されることはありませんでした。

■駆け付けたヨルダン国王の葬儀

1999(平成11)年2月、ヨルダンのフセイン国王は63歳で亡くなりました。両陛下はこの時、2日間という強行日程でヨルダンを訪ね、葬儀に参列されました。陛下は直後の誕生日会見でかつての訪問を振り返り、「日程の変更にもかかわらず、亡くなられたフセイン国王、王妃陛下、ハッサン前皇太子殿下ご夫妻が本当に心温まるおもてなしをしてくださいまして、その時のご厚意に対して少しでもお礼ができるとよいと思いましたことと、ご遺徳に対して心からの弔意を表したいと思って現地に参りました」と述べられ、国王の気遣いが胸に深く刻まれていることがわかりました。

■中東訪問を踏まえて訪英は中止、ドイツは日程を短縮

東日本大震災から7日後の3月18日、両陛下は、エリザベス女王から招待されたウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式出席を断念し、英側に欠席を伝えられました。「ご招待をありがたく検討されていましたが、状況に鑑みお断りせざるを得ないと、英側に連絡するようご指示がありました」。当時の東宮大夫は定例会見でこう説明しました。

3か月後の6月下旬、陛下は日独交流150周年にあたってドイツを訪問されました。5日間という短い日程でした。出発前の記者会見で陛下は「東日本大震災の被害の大きさに鑑みて、日本側より、首都ベルリンに限った日程短縮の検討をお願いしたところ、ご理解をいただき、ベルリンにおいて、すべての公式日程をこなすこととなりました」と説明されました。震災直後の訪英断念とドイツ訪問の短縮要請。そこに中東訪問の経験が生かされているように思います。

■皆と一緒にいられなかった記憶

ヨルダンからの2日早い帰国は、亡き国王の温情あってのことでしたが、砂漠の国々を訪ねながら被災地を案じられるお二人の姿は痛々しいほどでした。いまコロナ禍の中で両陛下はオンラインを使ってお見舞いや励ましの訪問を続けられています。そうした日々の中で東日本大震災から10年の時を迎えました。追悼式のお言葉を聞きながら、「私たち皆が心を合わせ」というところが胸に響きました。「私たち皆」という言い方は、市井の人たちと同じ立ち位置にいようとされる陛下の姿勢の表われでしょうが、そこに「皆と一緒に」という強い思いを感じます。一時であれ、災害時に「皆」といることができなかった26年前のあの旅が、被災地に心を寄せられるお二人の原点だと思うからです。(終)

※冒頭の動画は、急きょ帰国の途に就く両陛下(1995年1月27日 ヨルダン)

【略歴】井上茂男(いのうえ・しげお)日本テレビ客員解説委員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞の宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚や、雅子さまの病気、愛子さまの成長を取材した。著書に『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。