バスケ河村勇輝 日本一のPGとして世界へ
東海大学に在学しながら、先月までバスケットボール・Bリーグの横浜ビー・コルセアーズの特別指定選手としてプレーしていた河村勇輝選手(19)。
去年1月には、三遠ネオフェニックスの特別指定選手として当時のリーグ最年少出場、および最年少得点を記録しました。(共に18歳8か月23日)。
身長170センチと小柄ながら、ポイントガードとして将来の日本バスケットボールを背負う期待がかかる河村選手が、日本テレビのインタビューに答えました。
――バスケットボールとの出会いは?
河村
「父がバスケットをやっていたという影響もありましたし、物心つく前から自宅の庭にリングが設置されていたので、遊びがてらバスケットをやっていました」
――幼少期に憧れの選手はいましたか?
河村
「田臥勇太選手だったり、マイケル・ジョーダン。父の部屋にたくさんVTRがあって、田臥選手は能代工業時代、マイケル・ジョーダンは1990年代のシカゴ・ブルズの映像をよく見ていました」
――よく行っていた練習は?
河村
「小学4年生の頃、一番に始めた目標は『300本イン』。300本のシュートを打つだけではなくて、しっかり300本決めることを毎日目標にしていました」
――時間はどれくらいかかりますか?
河村
「最初は1時間~1時間半くらい。でも父が協力的で、リバウンドを取っていてくれたので、本当に感謝したいなと思います。小4、小5、小6と上がっていくにつれて、練習のシュートの本数も、400本、500本、600本と増えていきましたし、そういった部分では環境を整えてくれた父に本当に感謝したいと思います」
――その後、小学6年生時に全国優勝。中学でもバスケットボールを続けましたが、将来は教師になろうと思っていたと伺いましたが?
河村
「自分の実力もそんなレベルではなかったですし、教師である両親に憧れていたので、高校は進学校に入りたいという気持ちがありました」
――それでもバスケットボールの強豪・福岡第一に進学した理由は?
河村
「中学校の最後の全国大会に出場した時に、不完全燃焼で終えて悔しい思いをしてしまって、自分の中で、これでバスケットを終える方がいいのか。高校に入っても勉強を頑張って、部活と両立してやっていけば、きついとは思うんですけど、教員を目指してもやれるんじゃないかっていうことで、強豪校である福岡第一高校に進学しました」
その後、福岡第一高校在学時に特別指定選手としてBリーグデビューし、当時の最年少出場記録、および最年少得点記録を更新した河村選手。
――今後の目標は?
河村
「昨シーズン、インカレと全国大会で優勝して、今シーズンは連覇がかかっているので、東海大学で連覇を目指して頑張っていきたいと思います。大学生でBリーグに勝つという新しい目標を立てて練習に取り組んで、天皇杯でBリーグのチームと戦うことができるので、大学生がBリーグを打ち破る、というジャイアントキリングを起こしたいと思います」
――日本代表に関しては?
河村
「日本代表のポイントガードとして世界に通用する選手になっていきたいと思います。結果を通して、小さな子供たちや、たくさんの国民の皆さんに勇気や希望を与えられる選手になりたいと思います」
――国際大会への思いは?
河村
「日本一のポイントガードになって、オリンピック、ワールドカップなどの世界大会に出場して活躍したいので、開催されることにあたって少しでもチャンスがあるなら頑張っていきたいなと思いますし、それまで着実に実力をつけて結果を残していきたいなと思っています」
――今の日本代表についてどうみていますか?
河村
「今NBAでも八村塁選手や渡邊雄太選手、海外でも活躍されている馬場雄大選手であったり、国内のBリーグでもたくさんの外国人選手がいて本当にレベルが高くなってきて、これから世界にも向かっていけるようなチームができると思っていますし、その一員になりたいなって思っています」