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震災10年桃田 福島に誓う恩返しの“金”

2021年3月9日 20:19
震災10年桃田 福島に誓う恩返しの“金”

3月11日で東日本大震災から10年。バドミントン男子シングルスで世界ランキング1位の桃田賢斗選手(26)が震災から10年の節目の日を前にインタビューに応じ、中学・高校の6年間を過ごした“第二の故郷”福島への思いを明かしました。

「もしかしたら、もう帰れないかもしれないっていわれて。すごい孤独感があった」

当時、福島県富岡町にあった富岡高校1年生だった桃田選手。2011年3月11日、バドミントンの強化のためインドネシアで武者修行中だった桃田選手(当時16)は、練習中にチーム関係者から震災の知らせを受け、テレビで初めて被害状況を知ったと振り返りました。

「その時は仙台空港が映っていて、ほとんど流されてるような感じでした。最初は、何が何だか分からないような感じだったんですけど、地名とかは分かるので。地震が起きたんだろう、津波が発生したんだなって。今でも震災が起きた瞬間というか、インドネシアに取り残されてる孤独感というのは、今でも忘れない」

桃田選手が通っていた富岡高校は原発からほど近く、全町民の約1万5000人が避難を余儀なくされました。

翌日、インドネシアから帰国した桃田選手は、実家がある香川で、中学から移り住んだ福島の変わり果てた姿をテレビで見ていたといいます。

「チームの人たちは大丈夫かなって。原発が爆発した時は本当にやばいんじゃないかなって。ゾッとした感じでした」

震災から数年後、初めて富岡高校を訪れた桃田選手は、想像を絶する被害の大きさに言葉を失った、と当時の思いを明かしました。

「2015、2016年くらいに一回入らせてもらって、地震の揺れでぐちゃぐちゃになってるっていうのは多少分かってたけど、想像以上というか。いろんな棚とかが倒れて、自分が座ってた席とかも分かるんですけど全部ぐちゃぐちゃで、机も椅子も全部倒れて、机の中身も全部出てみたいな感じで相当ショックでしたね。あとは体育館。めちゃくちゃきつい練習をした体育館が、照明が全部落ちて、照明のガラスが割れて。あれはちょっと言葉が出なかった。悲しかった」

それでも、「あんなに学校がぐちゃぐちゃになるぐらいの地震があって、津波が来て、他にもいろんなことがあったと思うんですけど。まず何から手をつけていいのか分からないような状況下にもかかわらず、少しずつ復興していって全然完全ではないと思うんですけど。人の力ってすごいなっていうのは感じましたね」

人と人が協力するエネルギーに影響を受けたという桃田選手は、バドミントン選手だからこそ“第二の故郷”福島にできる復興支援の形を考えています。

「自分が活躍することによって出身校が出れば、必然的に富岡町だったり福島県のことが出ると思いますし、やっぱり、だんだんだんだん年月が経つにつれて、忘れていっちゃう人たちがいると思うんですけど、絶対に風化させちゃいけないことだし、みんなが常に考えてサポートし合わなきゃいけないと思う。そういった意味でも自分が活躍することには意味があると思います。自分も結果だったり、スポーツの力でそういった人たちの頑張りを少しでもサポートできたらいいかなと思います」

去年1月、遠征先で交通事故に巻き込まれ大ケガをした桃田選手。事故から復帰後、福島を訪れ母校の後輩たちと一緒にバドミントンをした中で、被災地の人たちと過ごした時間が心の支えになったと語りました。

「事故に遭って復帰する時に練習させてもらったのは、僕にとっては本当にエネルギーになりましたし、バドミントンは本当に楽しいなという再確認できた場所でもあった。中学生から6年間ずっと福島県にいて、第二の故郷というか、僕のバドミントン人生は福島県で培ったといっても過言ではないぐらいなので、本当に自分を成長させてくれた場所かなと思います」

そして、東京五輪について、「本当に10年の節目で、自分がすごく状態がいい時に東京でオリンピックが開催されるっていうのは何かの縁があると思うし、支えてくれた方々への感謝の気持ちもしっかり持って、悔いなく戦うのもそうですし、元気だったり感動を与えられるような試合をして、金メダルを取れたらいいなと思います」

震災から節目の10年。東京五輪で“第二の故郷”福島への恩返しを誓いました。