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元東電社員・車いすバスケ豊島 震災語る

2021年3月5日 18:11
元東電社員・車いすバスケ豊島 震災語る

車いすバスケ日本代表キャプテンの豊島英(とよしま・あきら)選手は、10年前の3月11日、東京電力の福島第一原子力発電所で働いていました。あの時、原発で何が起きていたのか。豊島選手が「今だから伝えたい思い」とは。元ラグビー日本代表・廣瀬俊朗さんが迫りました。

福島県いわき市出身の豊島英選手(32=WOWOW所属)は、生後4か月で患った髄膜炎により、両足にマヒが残りました。車いすバスケットボールと出会ったのは、中学2年生の時。当時通っていた特別支援学校の体育教諭に誘われた体験会がきっかけでした。

「スピードだったり、シュートだったり、自分が思っていた車いすバスケットボールとは違った印象を受けて、かっこいいな、早くやりたいと思った」。車いすバスケにのめり込んだ豊島選手は高校を卒業後、東京電力で働きながら競技を続けます。

2009年に移籍した宮城県の強豪チーム「宮城MAX」の練習に参加するため、時には仕事を終えて仙台まで車を飛ばし練習。深夜に帰宅する生活を送っていました。

2011年3月11日午後2時46分。いつも通り福島第一原子力発電所の事務本館で、経理の仕事をしていた豊島選手。「地震が来てしばらくは車いすに座った状態で耐えていたんですが、さすがに危険を感じて、机の下に隠れて地震が収まるまで待っていた。事務本館の天井も落ちましたし、車いすで外に避難することが難しかったので、同僚の方におんぶしていただいて外に避難しました」。

一度、屋外に出た後、放射能を防ぐ鉛で窓が覆われた免震重要棟に避難した豊島選手。携帯電話は電波がつながらず、家族とも連絡がとれない中、一夜を明かしました。

そして事態は悪化の一途をたどります。12日の午後には、津波により冷却機能を失った1号機がメルトダウンを起こし、建屋が水素爆発。放射性物質が放出され、半径20キロ圏内に避難指示が出されました。

※以下、廣瀬俊朗さん=廣瀬、豊島英選手=豊島、とします(敬称略)

廣瀬
「水素爆発が起きた時の周りの状況は?」

豊島
「日に日に現場の状況が悪い方向に傾いてしまい、収まらずに最悪なことになったらどうなるんだろうと思いました。私自身は原発のことをあまり知らず、現場に出ている方の行動力や、今までの知識を元に働いてくれている方を信じて待つしかできなかった。地元にいる地域の方のことも考えると、自分が何もできない状況で、力のなさを感じた日々でした」

豊島選手が原発を離れたのは14日。当時、住んでいた双葉町は立ち入りが制限されていたため、実家のいわき市に車で向かいました。

豊島
「車のガソリンが途中でないことに気づいて。双葉町から離れていったところ、電波が通じるようになったので、『無事です』と家族に連絡をとり、ガソリンを持ってきてもらいました。その時に父親はじめ、兄弟や従兄弟も一緒に来てくれて、会えてほっとしました」

一方、豊島選手の所属するバスケットボールチーム「宮城MAX」も震災後、活動を休止。仙台市の体育館が使えなくなったため、6月に山形で練習を再開しました。

廣瀬
「練習を再開できた時の気持ちは?」

豊島
「僕自身、心の整理がついていない状況でした。本当にこれから先自分は、バスケットボールを選んで生活していくことが正しいのか、問われていた時期でした」

廣瀬
「またやろうと思うきっかけになったものは?」

豊島
「自分は何ができるんだろうという。自分がプレーしている姿を見てくれた方が、元気になってもらったら嬉しい。応援してくださっている方、その期待にこたえたい。まずは日本代表に入って、恩返しをしたいという気持ちで、前に進むことができました」

震災から1年後の2012年。豊島選手は見事日本代表に選ばれ、ロンドンパラリンピック初出場を果たしました。

豊島
「スポーツは正直、あってもなくても生きていけるものだと思うんですが、幸福か幸福じゃないか、自分が元気になるか、元気にならないかを考えると、スポーツをやった方が人生豊かになりますし、前に進んでいけるきっかけにもなる」

廣瀬
「僕もまさに同じようなことを考えていて、喜怒哀楽がむちゃくちゃ出てくるのが、スポーツの良さだなと。勝ったら嬉しいし、頑張っているのは楽しい。たまには負けて悲しいとか、悔しいとか、この気持ちも含めて人生が豊かになっていく」

今では日本代表のキャプテンを務めている豊島選手は、2021年に延期されている東京パラリンピックで、メダル獲得を目指しています。

豊島
「日本の選手は海外の選手に比べて、高さがなかったり、手が短かったりっていうのはあるんですが、そこをカバーするために全員で(ボールを)つないで、コートの中を日本の選手は走っています。このような状況ですけど「開催して良かった。力が湧いた」と言ってもらえるように、1プレー1プレーしっかりやっていきたいと思います」

廣瀬
「震災から10年。今だから伝えたいことは?」

豊島
「3月11日っていうのはやっぱり特別な日。10年目だからということではなくて、毎年特別な一日だなというのは感じています。震災の時もそうですし、昨年からのコロナもそうですし、先が見えない一日一日の繰り返しだと思うんですけれども、その一日一日を自分なりでいいと思うんです、明日につなげる気持ちがあれば、5年後、10年後につながっていく。諦めることなく未来をみて、この日を過ごして欲しいなという風に思います」