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地震発生から30分間 何を伝えるべきか

2021年3月3日 14:09
地震発生から30分間 何を伝えるべきか

東日本大震災から10年、当時被災地では何が起こっていたのか、今一度検証し、これからの大地震へどう備えるか考えます。地震発生から初動30分間のアナウンサーによる「津波からの避難呼びかけ」のあり方について。(日本テレビ報道局災害担当/アナウンサー 矢島学)


■あの日の報道フロア

2011年3月11日。東京汐留にある日本テレビも、突然の強い揺れに襲われました。報道フロア全体が、荒波に揉まれる船のように揺れ、天井から吊るされた照明器具が互いにぶつかり合い、鋭い金属音がスタジオに響きました。

東京都心は震度5強。

当時私は、この社屋が「途中階を境に、折れるかもしれない」という恐怖感さえ抱きました。入社以来、初めてヘルメットを被ってカメラの前に立った時、私の目の前のモニターには、東京お台場地区の火災の様子が映し出され、黒煙が上がっていました。

脳裏には、1995年に起きた阪神淡路大震災がよぎり、もしかしたら都心でも、ビルや高速道路の倒壊が起きているかもしれないと思い、目の前の被害を伝え続けました。

しかし、東北地方を襲った揺れは、東京よりも遙かに激しいものだったのです。そして、我々が東京の揺れに狼狽していた午後2時49分、東日本の太平洋沿岸に、大津波警報が発表されたのです。


■これは津波なのか?

当時私は、津波に関する知識は持っていたはずでしたが、その本質的な恐ろしさまでは知りませんでした。津波というものは、一旦、引いてから押し寄せてくるものと思い込んでいました。

しかし、この日、私がスタジオのモニターを通して初めて目にした岩手県宮古港の映像は、ゆっくりジワジワと潮位が上がる海の様子でした。「果たして、これは津波なのか?」逡巡する時間が流れました。

しかし、次の瞬間、これまでとは比べ物にならないほど巨大で真っ黒な塊が襲来したのです。港に停めてあった大型トラックや港湾施設が、あっという間に流されていきまいた。

それが、初めて目にした津波の実態でした。

私はすぐに、強い口調に切り替え、繰り返し避難を呼びかけましたがその間も津波は激しさを増し、容赦なく堤防を越えていきました。

もっと早い段階から、強いアラートを出し、避難を呼びかけるべきだった。そう思った時には、既に津波は住宅街にまで押し寄せていたのです。


■初動の30分で伝えるべきこと

結局、当時の私は、「津波」というものを、何一つ知らなかったも同然でした。

大津波警報が発表されたのが、地震発生から3分後の午後2時49分。私が宮古港の映像を実況で伝え始めたのはそれから30分後の、午後3時19分でした。地震発生から、本格的な大津波が襲来するまでの30分間。

この間私たちは、東京都心の被害状況などに放送時間を割く一方、視聴者の命を守るため
「全てに優先すべき事」を十分に伝えられていませんでした。あれから10年。津波からの避難をもっと早く、もっと強く呼びかけるべきだったという後悔の念は、今も消えることはありません。


■強い呼びかけとは

東日本大震災後、日本テレビは、災害報道のあり方を見直しました。一人でも多くの人の命が助かる放送をするには何を優先して伝えるべきかを議論し、研修と訓練を重ねてきました。

その中心にあったのは津波からの避難呼びかけです。海に向けられた情報カメラの映像を「実況」しながら、津波の切迫感を伝えること。予想される津波の高さや到達時刻、実際に観測したという「情報」を繰り返しながら、危機感を伝えること。そうした、「実況」と「情報」を使った「現実味のある強い呼びかけ」をすることとしたのです。


■記憶の襷

東日本大震災から10年。日本テレビアナウンス部では、震災経験世代のアナウンサーが4割、震災後入社世代のアナウンサーが6割となり、震災の記憶を次世代へ継承することが
重要なテーマになってきています。

今年は、震災経験世代のアナウンサーが未経験世代のアナウンサーに当時の記憶を語り継ぐ、アナウンス部内の勉強会を開きました。その勉強会は「記憶の襷」と名付けました。

アナウンス部震災伝承会「記憶の襷」では、当時報道フロアが包まれた異様な緊張感、津波に襲われた東北地方に対し十分な防災報道が出来なかった反省などを若手に全て率直に話しています。

東日本大震災は、決して過去の出来事ではなく、今もなお、多くの方が辛い思いをされている災害です。そして、東日本大震災の経験は、次の災害に備えるため、活かしていかなければなりません。

今後30年以内に70%から80%の確率で発生することが想定されている南海トラフ巨大地震や、首都直下地震。そうした災害に直面する確率は、ベテランアナウンサーよりも、若手アナウンサーの方が、遥かに高いはずです。

日本テレビアナウンサーは、これからも、視聴者の命を守るため、呼びかけコメントのあり方を、考えていきます。


画像は、東日本大震災当時の日本テレビの画面を合成したものです。