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武漢封鎖1年 当局が箝口令…取材受けるな

2021年1月23日 13:47
武漢封鎖1年 当局が箝口令…取材受けるな

中国・武漢市で世界最初のロックダウンが始まってから23日で1年となる。世界を驚愕させた1000万都市の封鎖措置の後、武漢では医療崩壊などにより多くの命が失われたが、現在は“英雄都市”として中国が新型コロナウイルスへの勝利をアピールする象徴になっていて、22日からは記録映画の公開も始まった。

一方で、1年の節目にあわせた外国メディアの大々的な報道を警戒してか、一部の武漢市民の下には「メディアの取材を受けてはならない」と当局からの通知も届くなど箝口令が敷かれている。


■“英雄都市”武漢 ドキュメンタリー映画も公開

22日から中国各地で武漢の医療関係者や市民の苦闘を描いたドキュメンタリー映画が公開された。湖北省の共産党宣伝部が企画したもので、「医療関係者やボランティアら平凡な英雄の偉大さを記録した」と大々的に宣伝されている。

武漢市内には次々と新たなモニュメントもつくられている。4万本以上を植林した“記念林”も登場。そこには「英雄の都市」と武漢市民の苦闘を讃える言葉も記されている。

中国当局が武漢封鎖の通達を出したのは20年1月23日の未明、そして午前10時には封鎖措置が始まった。武漢ではその後、医療崩壊など凄惨な状況が伝えられ、3869人が亡くなった。武漢以外の中国本土の死者は766人にとどまる(21年1月23日0時現在)。中国政府は「すぐさま断固とした方策を決め、感染と死亡を減らした」と振り返る。しばしば欧米や日本などに比べ、迅速に強制措置を取る中国の政治体制の優位性をアピールする根拠にも用いられている。


■市民には箝口令 「メディアの取材受けるな」

4月に封鎖は解除され日常を取り戻した武漢。しかし、封鎖から1年の節目を迎える21年1月23日を前に、一部の市民のもとには当局から異例の通知が届いた。

 「メディアの取材を受けてはならない」

節目の日には各国メディアが中国政府の初動対応などについて検証する報道を企画するのが通例だ。これを予想した当局が厳重な箝口令を敷くことで先手を打とうとしたとみられる。

情報統制は、感染拡大の初期対応にも深刻な影響を与えた。武漢市につとめる女性医師の艾芬(がい・ふん)さんは、19年12月30日、当時は未知のウイルスだった新型コロナの検査結果をSNSに投稿し同僚医師たちに注意を呼びかけた。その後、当局から病院を通じてこれ以上情報を発信しないよう口封じされたと、後に雑誌記事の中で証言している。

また艾さんは20年1月の早い時期から、ヒトからヒトに感染することを確信していたが、中国当局が20日にヒトヒト感染を認めるまでは表だった対策が取れず、同僚たちに白衣の下に隠すようにして防護服を着させていたという。艾さんの証言記事はネット上に掲載された直後に削除され、彼女自身もその後、この件については一切発信していない。私たちは艾さんに取材を申し入れたが、「私は今では世間に注目される人間になってしまったため、自由に取材を受けることができません」との答えだった。

日常を取り戻し“英雄都市”となった武漢だが、情報統制の暗い影は今も街を覆っているようにみえる。

武漢には、初期の感染状況を調べ新型コロナの起源を明らかにするためのWHO(=世界保健機関)の調査団も入っている。ただ、中国当局との調整で現地入りが大幅に遅れ、さらに14日間の隔離措置が取られたため、本来ならすでに始まっているはずの調査もスタートしないまま調査団は1年の節目をホテルの中で迎えた。

調査の行方に世界の目が注がれる中、中国側は積極的な情報開示に応じるのだろうか。

(NNN中国総局 富田 徹)


<武漢での新型コロナをめぐる動き>
■2019年12月30日 艾医師が原因不明のウイルス検査の報告をSNS上に投稿
■19年12月31日 武漢市、発症者27人認める
■20年1月9日 新型コロナウイルスと確認
■20年1月20日 当局、ヒトヒト感染を認める
■20年1月23日 中国政府が武漢市を封鎖
■20年2月7日 艾医師の同僚、李文亮医師死去
■20年4月8日 武漢市の封鎖を解除
■21年1月14日 WHO調査団、武漢入り