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落合陽一「テレビに出るのは社会科見学」

2020年12月18日 17:56
落合陽一「テレビに出るのは社会科見学」

「テレビに出るのは社会科見学です」。メディアアーティストで筑波大学准教授の落合陽一さんはそう言い切る。『news zero』でパートナーを務めるほか、バラエティ番組に出演することもあるが、興味を持てないものは出ないようにしているという。そんな落合さんの目には、新型コロナウイルスに揺れる日本社会がどう見えているのだろうか。

■「失われた身体接触をどう補完するか」

新型コロナウイルスに揺れた2020年。人々の暮らしや生活は大きく変わった。落合さん自身は何が一番変わったのかを聞くと「自転車に乗るようになった」と答えた。

「筑波(大学)に往復して何万歩も歩いていたのが、(授業がオンラインになって)行かなくなったので。それでタクシーに乗る回数を減らそうと。あとは、あんまり変わらないですよ。昔からオンラインですし。『オンラインですめばいいな』と思っていたことがそうなったというだけです」

コロナが与えた社会へのインパクトをどのようにみているのか。

「マスユーザーが動かなくなった。フェスとかライブがなくなった。小売りも上手くいかないし、飲み会も難しい。街に出歩く人もそんなに多くはない。その中で『失われた身体接触をどう補完するか』が課題です」

「飲み会をリモートでやろうとしても、身体性がないから“祝祭性”や“共時性”が足りない。わざわざ脳みその速度を遅くするためにアルコールを摂取するような人たちが、動物性に回帰できず視聴覚でなんとかしようと思っているのが悲しいよね。冠婚葬祭ができないので祝祭感が盛り上がらない」

「祝祭」の意味とは何だろうか。

「入学式や卒業式など、コミュニティを維持するために、その一員として認められるためのイベントというのは祝祭と呼ばれることが多い。例えば、オリンピックだったら、“日本”とか“世界市民”だとか。祝祭がなくなると、社会に対する帰属意識やお互いにとっての共通基盤、コミュニティに属しているという感覚がなくなる。そうするとマナーが悪くなったり思いやりがなくなったりすることは起こるんじゃないですか」

この状況を回復するにはどうしたらいいのか。「身体接触を取り戻すような手法論が必要だ」と言う。

「共時性を保つために『いつでも見られるようにする』ようにはしないとか、ソーシャルディスタンスを保ちながらちゃんと祝祭を行うとか。ちょっとしたコミュニケーション時間の回数を重ねるとかね」

■テレビは「社会科見学」

オンラインでできることが増えた一方で、失われた身体性。「街歩き」は、コロナ禍で距離をとりながらできる身体性を回復するための営みのひとつなのかもしれない。「Googleマップで街を見て回るのとは解像度が違う」と話す。

街ブラ番組「発見!オチアイ旅」(12月19日13時30分~放送:日本テレビ)に出演する。教員やメディアアーティストという仕事の傍らで、テレビに出演するのは「社会科見学」だと言い切る。

「僕は有働(由美子)さんの写真を撮るために『news zero』に出ています(笑)。バラエティ番組に出るのは、番組にかこつけて時間を確保して面白い場所に行きたいから。だからつまらなさそうなものはやらないです」

「オチアイ旅」は、落合さんが独自の着眼点で日本の街の可能性を探るという内容。

「拾うつもりで歩かないと物は発見されない。面白い物はいっぱい見つかりますよ。例えば、今日ここに来るまでに路地に廃屋があったでしょう。気にしないと通りすぎちゃうものはたくさんある」

きれいに整ったものよりも雑然としたものに魅力を感じるという。好きな街をあげてもらうと、秋葉原、上野、御徒町、新宿、六本木…といった街の名前をあげた。今回の番組で訪れた北千住の街にも雑とした雰囲気がある。なぜ「雑然」を好むのか。

「『ポスト工業社会的美学』があるからです。ウルトラマンでなぜ団地が壊されるのかというと、慣れ親しんだ日常が破壊されるからだと思う。昭和にとっての日常っていうのはそういうところにある。日本というのは都市計画がない。あれ(雑然とした街並み)こそが日本です」