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コロナ後初の菅首相外遊 同行記者の挑戦

2020年10月24日 0:03
コロナ後初の菅首相外遊 同行記者の挑戦

2020年10月、新型コロナウイルスが流行してから初めてとなる、菅首相による外国訪問が行われた。行き先はベトナムとインドネシア。新型コロナ対策のため、異例づくしの中で行われた首相の“コロナ後初外遊”について、ここに記していく。


■私に課された「最大のミッション」

10月上旬、日本テレビで政治部の現場記者の取材を統括する官邸キャップから私に、18日からの菅首相の外国訪問に同行するよう指示があった。通常、こうした同行取材で現地からの中継リポートを行う場合は、カメラマンはもちろん、音声や照明、本社との回線チェックなどを担うディレクターなど、記者以外に少なくとも3人が必要となる。外国で行う場合、東京から一緒にカメラマンなどが現地に行くか、滞在国またはその近くに駐在する海外支局員に手伝ってもらって放送につなげる。

しかしキャップが言うには、今回は新型コロナの感染防止対策のため、東京から同行できる記者は各社1名のみ。カメラマン・音声スタッフは“日本メディア代表”として取材するチームしか同行できない。さらに、現地にいる海外支局員らとの接触は禁止。つまり、“日本テレビ”としての現地取材や、記者が撮影した映像の本社への伝送、中継リポートなどは、海外支局員や技術チームの手を借りずに、すべて一人で行う必要がある、ということだった。

これまでも首相の外遊に同行したことはあったが、たった一人で中継を行った経験は当然なく、私にとっては、この中継を成功させることが最大のミッションとなった。

10月14日、午前9時。出発の4日前。私は、国立国際医療研究センターで、人生初のPCR検査を受けた。ニュースなどで知ってはいたが、実際に鼻に綿棒を突っ込まれると、痛いやらムズムズするやらで、気持ちが悪かった。検査当日まで体調はずっと良好だったが、もしここで陽性となれば、直ちに隔離されるだけでなく、日本テレビは首相の初外遊を取材することができなくなるため、非常に緊張した。夕方、外務省に問い合わせると、結果は陰性。この1年ほどで一番ホッとしたのを覚えている。


■いよいよベトナム入国…私たちは「危ない奴」?

18日。出発の日。午後2時過ぎに羽田空港を発ち、現地時間の午後5時頃、菅首相の最初の訪問地であるベトナムのハノイに到着した。到着後、専用のバスに乗せられ、プレスセンターのあるホテルへ移動。

ホテルに到着すると、全身を防護服で包み、まるで病原体と接するかのような姿の現地職員とホテル関係者に迎えられた。

ベトナムは累計感染者数が1100人ほどと少ないため、外国から来た人たちへの警戒感が強い。私たちは事前のPCR検査で陰性だったが、現地の人たちからすれば「危ない奴」に見えるのだと改めて実感した。一般の利用客との接触を避けるため、裏口から通されて泊まる客室に直行。その後、すぐにPCR検査を受け、翌朝まで部屋の中での待機を命じられた。窓からはハノイの賑やかな夜景が見えたが、当然、外には出られない。夕食は、日本の外務省が手配した「チキン南蛮弁当」だった。……味は普通。特別まずいわけではないが、うまくもない。だが文句も言っていられないので、しっかり食べて寝た。


■外務省もびっくり!?たった一人の中継リポート

19日。早朝に外務省から連絡があり、前日の検査で陰性だったと伝えられた。言うまでもなく、ここで陽性であれば即隔離。ベトナムで一定期間過ごした後、自力で帰国することになる。会社にも迷惑をかけるし、取材も当然できず、何をしにベトナムに来たのかわからなくなるところだったので、陰性の結果が出て安心した。

プレスセンターに移動し、お昼のニュースに向け、中継リポートの準備に入った。この日は菅首相とベトナムのフック首相の首脳会談があり、それを、現地から中継で伝えることになっていた。

今回の中継では、スマートフォンのカメラを使用することにした。三脚にスマホを取り付け、自撮りモードにする。その後、Wi-Fiに接続して映像の回線をつないだら、左耳にブルートゥースのイヤホンマイクをつけて、本社のディレクターと連絡をとった。右耳には、予備の電話回線のイヤホン。端からみれば、両耳に別々のイヤホンをつけた私が、一人で無人のスマホに向かって語りかけるという格好。見た目は変だが、仕方がない。

中継用の原稿を書き上げ、放送の10分ほど前からカメラの前に立ち、回線の最終チェックと、原稿の下読み。日本時間午前11時30分に中継リポートを行った。中継は無事成功! 同じく同行していたテレビ各局は、中継をあきらめたり、三脚を使わない簡易な中継を行っていたりしていたが、弊社だけが普段と変わらないクオリティーの中継を行うことができた。

私の中継が終わった直後、外務省の職員が飛んできて「さっきの放送を見たが、カメラマンがいないはずなのに、どうやって中継したのか!?」と聞いてきた。私が一人で行ったことを説明すると、感心して帰って行った。多くの記者中継を見てきた外務省職員も驚くほどスムーズに中継ができたのだとわかり、肩の荷が下りたように感じた。

しかし、夕方のニュースでふたたび中継を行った際には、回線が途中で切れてしまい、映像が止まってしまった。中継はプレスルームの中で行っていたのだが、昼間よりも室内の記者が増えていて、Wi-Fiの回線が混雑したことが原因かもしれない。海外からの中継リポートの難しさを改めて実感した。

20日。ベトナムを発ち、次の訪問国のインドネシアに移動。菅首相は夕方からジョコ大統領との首脳会談に臨んだ。ベトナムと違い、インドネシアは新型コロナの感染者数が非常に多い。首脳会談もマスク着用、握手なしで行われた。ここでも私たちはホテルから出ることを許されず、プレスセンターから首脳会談を見守った。この日は現地時間の午後11半時頃まで作業し、午前1時頃に就寝。


■帰国、そして2週間の待機へ

21日午前。菅首相による、外遊を総括する記者会見が行われた。首相は安全運転。外遊の成果についても、日本学術会議の問題についても、いわゆる徴用工問題についても、これまでの答弁の域を出ず、初外遊にケチがつかないよう慎重に行っている様子がうかがえた。

会見が終わると空港に移動し、約7時間かけて日本に到着した。到着後は、唾液抗原検査を受け、公共交通機関を使わずに帰宅した。翌日、抗原検査で陰性だったことが知らされたが、このあと2週間は自宅待機をする予定だ。

今回の外国訪問は、コロナとともに生きていくという「ウィズコロナ」における取材のひとつの指針となった。政府は今後、各国のビジネス関係者の入国措置を緩和していく方向である。テレビとしても、ウィズコロナ時代に何を伝え、どうやって放送するか問われていると思う。まだ改善点は多くあるが、今回の経験と知識を生かし、よりよい放送につなげていきたい。
(日本テレビ報道局政治部 佐藤正樹)