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被災地に“モリウミアス”をつくった理由2

2017年3月23日 16:42
被災地に“モリウミアス”をつくった理由2

 「モリウミアス」代表・油井元太郎氏に聞く「飛躍のアルゴリズム」。2つ目のキーワードは「ピンチのたびに頭をよぎる『9.11テロ事件』住む場所がある日突然、戦場に…そして『3.11』」。テロ現場での経験や、震災の被災地で紡いだ絆を語る。


■“9.11”の現場で

――油井さんは“9.11”のときに、まさにニューヨークに住んでいたということで、本当にたくさんのことを経験されたと思います。

 アメリカの大学に行っていたので、卒業してすぐにニューヨークに引っ越して仕事をしていたんですけども、非現実的という言葉がすごくぴったりくるというか、「まさかこんなことが」と。本当に映画のような世界(の出来事)が、ある日突然、自分が住んでいた街で起こりました。

 ちょうどテロがあったときは、テレビ局で仕事をしていたので、現場でもずっと取材をしていましたし、自分の人生観みたいなものが変わるタイミングでしたね。


――具体的にはどういった感情が芽生えましたか。

 「こういうことは自分の身に起こらない」と思っていたんですけど、何事も「まさか」ということが、ある日突然やってくるんだなというのはひとつありました。

 あとは、家族や友人、職場とは違う「みんなで支えあって生き抜く」というコミュニティーのようなものは、このときにすごく感じました。やっぱり食べ物がなかったので、みんなで炊き出しをして食べ物を分け合うとか、あんな大きな街なのにもかかわらず知らない人同士が助け合う。

 逆に、「自分の周りに住んでいる人たちともっと仲良くしておけばよかったな」という“町内会”のような発想をすごく感じました。


■“炊き出し”からはじまった絆

――改めて“人の絆”について再確認されたということですね。油井さんは“9.11”をニューヨークで体験した後、日本で子どものための職業体験型のテーマパーク“キッザニア”を立ち上げたということですが、その最中に“3.11”が起きました。すぐに現地入りされたのでしょうか?

 はい。“9.11”を経験していたから、“3.11”のときに「何か自分が東北のためにできることはないのか」と即座に思いました。身近な友人で仙台出身の者がいたので、彼の後を追って東北に入って、仙台でまずは炊き出しをするというところから東北との接点が生まれました。


――モリウミアスにつながる出会いがあったということですね。

 そうですね。本当に最初は「何ができるんだろう」と。炊き出し料理が得意なので、とりあえず外で料理くらいは作れるから、東京から食材を持って友人とともにやっていこうというだけだったんですけど。

 そこで雄勝の中学校の校長先生と我々の団体が知り合う機会があり、「給食を炊き出してほしい」という話につながりました。そこから生徒さんや保護者、先生方との関係性がすごく深くなって、気がついたら町の高台に廃校が残っている。

 本当に何というんでしょうか…我々も考えてなかったような“人との出会い”から、どんどん数珠つなぎのように展開していった事が、モリウミアスにつながるストーリーなんです。


■「もっと新しいチャレンジをしたい」

――キッザニアの立ち上げはかなり大変だったと思うのですが、ご苦労されてようやく成功したと…もしかしたら、このままキッザニアを続けていたら幹部になっていたかもしれない。それを断念してでも被災地に入っていくというのは、どういう気持ちだったのでしょうか?

 僕の中ではあんまり断念したという感じではなくて。もちろん、会社を立ち上げるときからキッザニアをずっとやっていたので、自分の子供のような気持ちを持って仕事をさせていただいていましたけれども、2009年にキッザニア甲子園をつくったあたりから「もっと新しいチャレンジをしたい」という気持ちが自分の中では強くありました。ある意味、震災というのは僕にとってきっかけでした。

 その当時からちょっと感じていた“日本の地域の豊かさ”に対して、人が減ってどんどん高齢化が進んでという部分と、今の子どもたちは田舎に出て行くとすごく喜んでいろんな経験を積んで帰ってくるので、そういうところをもう少し僕なりに「何かが生まれるようなことが新しくできたらな」とおぼろげに震災前から感じていました。