富山駅と路面電車 100年の歩み

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富山2020.03.18 18:56

 富山駅の南北を走る路面電車がつながるまであと3日です。それを記念して、富山駅や周辺地域がどう姿を変えてきたか、写真や資料で示す企画展が開かれています。そこで知ることができる驚きの歴史とは。

 こちらは明治の終わり、現在の場所で開業して間もないころの富山駅です。当時、本格的な駅を作るにあたって、設置場所の案は3つありました。場所をめぐって、誘致合戦が繰り広げられたといいます。

 浦畑学芸委員「奥田と現在の牛島と堀川の3つの案がありました。そのうち奥田案というのは一番予算が少なく出来るものですから国の方が推していた案だったんですね。ところが富山市としては奥田案は市街地から遠いので市街地の北の近くか南の近く、牛島か堀川という形でどちらかの案でいきたいと考えたわけです。しかし予算といろんな関係から最終的には堀川ではなく現在の牛島案が採用された」

 当時の市議会の議事録には、現在の富山駅の場所・当時の地名で桜谷、または堀川の2つを推すが、最終的には桜谷にしてほしいと書かれています。

 富山市郷土博物館で開かれている企画展では、こうした様々な逸話を知ることができます。

 1908年、現在の場所に開業した富山駅ですが、神通川の流れに囲まれていたため、工事にあたっておよそ3.6メートル盛り土をしました。この土砂の採取場所が富山駅の北側でした。

 土地を掘り下げたことから駅北地区には「牛島のドブ」と呼ばれた大きな水たまりができました。この水たまり、その後およそ50年間にわたって富山駅北にありつづけました。

 その駅北では1952年、現在の富岩運河環水公園のそばに北日本放送が開局。1958年には旧富山市体育館が建設され、それまで南口しかなかった富山駅に北口が完成します。駅開業から100年余り、時の流れとともに周囲も姿を変えてきました。

 そして100年もの間富山駅の土台となっていた盛り土は、駅の高架化とともに役目を終えました。現在、一部の土は富山西インターチェンジそばの呉羽南部企業団地の造成に使われていて、これからも富山の発展を足元から支えます。

 一方、路面電車は1913年、大きなイベントが開かれることになった堀川と、富山駅を結ぶため、富山電気軌道として開業しました。それ以来、私たちの身近な交通手段として、富山の街の発展を支えてきました。

 そして今から40年前、1980年には、今回の南北接続を先取りするような計画が浮上しました。富山駅の地下に路面電車を通して南北を行き来する「路面電車地下化計画」です。しかし、北側の整備計画の変更などによってこの計画は幻となりました。

 浦畑学芸委員「富山の路面電車というのが日本海側で最初に開業したという歴史的な事実もあり、途中全国で廃線になっていった中でも、富山は活躍し続けた。そういった様々な歴史が集約して今度の路面電車富山駅南北接続に繋がっていると思う」

 開業から100年以上が過ぎた富山市の路面電車。あと3日で南北接続という、歴史的な節目を迎えます。

 普段利用している富山駅や路面電車に、知られざる歴史があります。この企画展は富山城址公園にある富山市郷土博物館で来月19日まで開かれています。

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