【渡邉さん告別式】工藤静香弔辞全文

2014年1月8日 17:50

記事全文

 今でも何か皆さんと一緒に有三さんが冗談のように座っているんじゃないかなと思ってしまうくらい、とてもいつも冗談が好きな方だったので、そんなことを思いながら、さっき(席に)座っていました。

 有三さんとの思い出は語りきれないくらいあるんですけど、その中で特に印象に残っていることを少し、有三さんを思い出しながらお話したいと思います。

 私が17歳のころ、有三さんの家に初めてお邪魔したとき、奥さんにお会いしました。そのとき3人で食べた金色の紙に包まれたリンゴのチョコレートの味を今でも覚えています。そして、今はテレビ朝日で頑張って働いている、当時赤ちゃんだった(二男の)達也くんを私が抱っこしてみんなで記念撮影をしました。

 そして「おニャン子クラブ」、「うしろ髪ひかれ隊」のときから始まり、ソロデビュー。当時1年に3回シングルをリリースするという時代でしたので、次々とすてきな曲をいただきました。有三さんは覚えてないかもしれませんが、曲が出るたび、私に「いい曲だろう」「いいよな」とうれしそうに聞かせてくれました。

 特に「黄砂に吹かれて」という曲は、飛行機の中で有三さんがウォークマンを持っていて、かなりもったいぶってじらせて私に聞かせてくれました。そして「恋一夜」という曲のレコーディングのとき、私はどうしてもサビの部分があんまり高くて苦しかったので「キーを下げれないか」とお願いしました。そしたら有三さんが「俺は静香の苦しそうな高音が好きだから、下げないで頑張って歌って」と言いました。それ以来、今もキーを下げずに、有三さんが好きだと言ってくれたキーで歌っています。

 有三さんが病気と闘っていた5年間の間、一緒に食事に出かけたり、ゴルフをしたり、仕事以外たくさん楽しむことができてとてもうれしかったです。その間でも特に印象に残っているのは、ゴルフをしているとき、奥さんの慶子さんを高校生みたいに一生懸命デジカメでうれしそうに撮っていました。それがとってもうれしくて、何か、すごくかわいらしいというか、すごく無邪気で、すてきな有三さんの一面を見た気がしました。

 ここ1年前くらいまでは「本当にこの人は病気なんだろうか?」って。「本当は冗談だよ」とか「みんなに会いたかったから言ってたんだよ」とか言ってくれるのかな、なんて思うくらい元気で、笑いながら一緒に話したり、何か食べたりしていました。

 そして、毎年来てくださる私のクリスマスディナーショーに、去年は「車いすでも参加したい」と12月の初めに連絡がありました。しかし当日24日、かなり具合が悪いと思います。でも、具合が悪かったのにわざわざ病室から「ほんとうは行きたいけど無理なんだよ」と小さな声で電話をわざわざかけてきてくださいました。

 そして(私が)すべて仕事を終えて30日、奥さまから状況は聞いていたので、少し覚悟をして会いに行きました。少しだけ痩せてましたが思っていたよりずっとずっと元気で、1時間半くらい病室でいろんなお話をさせていただきました。顔を見るなり「座って座って」と私を有三さんの隣りに座らせてくれました。そして病室で少しの間だけ、2人きりになった時間がありました。本当に少しの時間だったんですけど、2人きりのときに私はなぜか有三さんに「いろいろなこと、全部大丈夫?」と聞きました。そしたら「うん、全部終わったよ。ほっとした」とにっこりとほほ笑んでいました。

 最後30日に1時間以上話す時間をくださった神様にとても感謝しています。私の歌手人生をスタートさせてくれた渡邉有三さんをもちろん一生忘れません。そして有三さんがプロデュースしてくれた歌を一生大切に歌って、また有三さんのところに届けたいと思います。本当にありがとうございました。まだちょっと亡くなったことが信じられないんですけど、信じられないような気持ちのままでもいいのかなと思います。本当にありがとうございました。

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