#202  論争

(2007/08/31)


 

070829 フルーツサンド.jpgフルーツサンド。いい響きです。私は大好きです。一点の曇りもなく言い切れます。耳を切り落とした柔らかく清々しい食パン。キレイに揃った赤、橙、緑…色とりどりの果物の切れ目。そして両者をつなぐ純白の生クリーム。嗚呼、フルーツサンド…。思わずうふふっと微笑んでしまいそう(三十路も半ばの男なのに)。ま、それぐらい好きだということです。サンドウィッチの専門店や、フルーツパーラーのテイクアウトカウンターで、たまに買っては至福のときを過ごしております。皆さまもお好きでしょう?

 …と、こういう思い(想いといって差し支えないでしょう)は世の中の誰にも共通しているとずっと思いこんでいた浅はかな私でした。まさかフルーツサンドにそれほどの想いを抱かない人が身近にも居ようとは。まず、いつも隣りの笛吹さん。「全く食べないわけではないけど、好き好んでは食べないなあ」ですって。どひゃー。いわく「ベチャベチャしている」…そうか。ベチャベチャしているんですか。以前スタジオで『リアルタイム』の出演者にも訊ねてみたところ、私はほとんど孤立無援の状態。意外にフルーツサンドに厳しい意見が相次ぎました。「パンに生クリームなんて」「果物とパンを一口で摂るのには無理がある」などなど。でも。でもですよ。ケーキだって「生クリームとスポンジ」「果物とスポンジ」なんですから。なぜ食パンじゃダメなのか。

 …すみません。冷静さを失いました。ことフルーツサンドとなると。反対側の隣席にいる小西さんに聞いてみました。「あ、大好き!」即答であります。「美味しいよねえ」「サンドウィッチのお店なんかに行くとつい買っちゃうよ」ははは。これです。この想いが万人に共通しているはずだと私は期待してるんですよ。しかし小西さんが付け加えた一言はちょっと首肯しかねます。「ケーキは甘すぎるんだよね」。「ううううむ」近野、梅干しのようなシワを顔中に浮かべて疑問を感じるの巻。ケーキの甘さにはまた意味があるわけで。新たなる論争の種ができてしまった!のかもしれません。

投稿者 近野宏明


#201  夏の終わり

(2007/08/29)


 

 四季のある国、日本。ということは季節ごとにその始まりと終わりがあるわけです。なかでも「終わり」に一入の寂しさを感じるのは、「夏」であることに異論を唱える向きは…、はい、ありませんよね。無いことにしましょう。「夏の終わり」…一抹の切なさを感じませんかね?きょうは久々に真夏日も回避。日射しも弱い曇り空です。ああ、夏の終わりです。

 「春の終わり」はすなわち夏の始まり。高く青い空と白い雲に気持ちは沸き立ちます。「秋の終わり」は冬との境目がよく分からないので、ちょっと感慨を抱きにくいかなと。「冬の終わり」、雪国ならずとも冬が終わることに寂しさを覚える人はまず居ないでしょう。生命の息吹を感じる季節であるがゆえに、卒業式も入学式もぴったりと符号します。

やっぱり、「夏の終わり」はものがたりになりやすいようで、いまインターネット上の歌詞検索サイトで曲名を検索してみると「夏の終わり(含む「夏の終り」)」という曲は沢山あるのですが、その他の季節はわずかに「冬の終わり(終り)」という曲が2曲。この事実ひとつとっても、夏の終わりは特別なんだということがよくわかります。ということは。とりわけ「春の終わり」という歌詞を万人の共感できる内容で仕上げられたら、それは画期的なこと。それだけでその作詞者には尊敬の念を抱くほかないと言えましょう。

 この時期になると、ラジオを聴いていても行く夏を惜しむような曲がオンエアされます。「夏の終わり」そのものをタイトルにした前掲のような曲、歌詞の中に「夏の終わり」をというフレーズを含んだもの…。ほかにもあれこれ。やはり一抹の寂寥感を感じる曲が多いようです。我が家の周りでは、夜に聞こえてくる虫の声が、蝉から鈴虫へと明らかに変わってきました。まだ真夏日はありそうですが、朝晩は明らかに秋の気配…。皆さんにとっての、この時期にぴったりはまる曲、何でしょうか?

投稿者 近野宏明


#200  福

(2007/08/27)


 

070712_メロンのデザート.jpg このコラムも200回ということで、何を書くべきかちょっと考えました。このところ硬めのネタが続きましたので、あえて、まったく、緊張感の無い題材で参ります。「デザート」です。すみません。

 折しもきょうは森麻季キャスターが、とあるお店でデザートのフルコースを試食するという、幸せきわまりない取材をしてきました。戻って来た麻季に聞いてみると、「オードブル→メイン→ファイナル」という3点セット。ま、そのすべてがデザートなんですが。それぞれにお茶がつく、らしいですよ。「コースとは言っても、どれも分量を考えていて、全部食べても大丈夫」だったとのこと。オードブルに出てきた岩塩を使ったアイスは「しょっぱい…のに、甘い」という感覚で、とても美味しかったそうです。材料としてトマトなどの野菜などもふんだんに使われているようで、となればデザートにまつわる「不健康感」「罪悪感」は払拭されますよね。

 070824 パフェ.jpg確かに夏はデザートを食べる機会が増えます。…もっとも私は年中食べてますけれど。まずはファミレス。最初と2枚目の写真は、ファミレスで食べたもの。私は甘いものが大好きな上に、フルーツも大好きなので、できるだけふんだんに果物が使われたものを選びがちです。例えばチーズケーキよりもショートケーキ。チョコパフェよりはフルーツパフェ、といった具合に。これは一緒に行くメンバーにはよく知られたところ。この時期、冷たいものはたしかに美味しいのですが、あんまりにも冷たすぎるのもどうかというワガママな私であります。つまり、「かき氷」みたいなレベルに至るとどうかと。「冷たすぎ」「さっぱりしすぎ」で味がよくわからないのはいまひとつ食指を動かされません。

070818_デザート.jpgむしろ「暑い時期にあたたかいデザート」「一定の濃厚さ」のほうが魅力を感じるかもしれないですね(←くだらないことを分析しすぎ)。例えば「フォンダンショコラ」。先日、漫画家のいしかわじゅんさんと食事をした際にも食べました。アイスも添えられて、じつに美味しゅうございました。あったかくて、つめたい。甘くて、濃厚。デザートというものから得られるいろんな「福」を一度に堪能した気分でした。願わくば私たちの番組も、多種多様な魅力を2時間で感じることができる、そんな番組になりますように…。

投稿者 近野宏明


#199  総動員

(2007/08/24)


 

 70年前(昭和12年)のきょう、その後の日本社会に立ちこめる暗雲を決定づけることがらが、閣議決定されました。「国民精神総動員実施要項」です。
「挙国一致 堅忍不抜ノ精神ヲ以テ 現下ノ時局ニ対処スルト共ニ 今後持続スベキ時艱ヲ克服シテ 愈々皇運ヲ扶翼シ奉ル為 此ノ際時局ニ関スル宣伝方策及 国民教化運動方策ノ実施トシテ 官民一体トナリテ 一大国民運動ヲ起サントス」…これがその冒頭に謳われた「趣旨」です。すでに大陸では戦争状態、まさに「時局」を反映した文言です。真珠湾攻撃に至るにはこのあとまだ4年の時間があるのですが、この時点ですでに「物量」と同等、あるいはそれ以上に「精神」の総動員が叫ばれているわけです。実際、内心では戦争に反対だとしても、その内面を表に現すことはできない、相互監視と厳しい摘発の時代が終戦まで続きます。表立って言動に表さなくても、こころの中にまで国家の監視が及ぶ。なんとも息苦しい、おぞましい寒気のする事態です。

続く「指導方針」をみると目指すところが具体的に記されます。いわく、「「堅忍持久」総ユル困難ヲ打開シテ 所期ノ目的ヲ貫徹スベキ国民ノ決意ヲ固メシメルコト」。この前段には「事態がどのように展開し、どれだけ長期にわたるとしても」という意味の字句があります。結局は何ら見通しが付けられぬままに泥沼にはまりこんだ、この国のゆくえを暗示しているようです。

近現代史を学んだ私が常々引っかかるのは、「異論」を唱えることが許されない怖さ。「例外」を許さず、「疑問」すら差し挟むことができない。すべては国家のためにという、「個」を押しつぶす施策。この実施要項の指導方針には「全国民ヲシテ 国策ノ遂行ヲ推進セシムルコト」という条文ももりこまれています。そして。その方法の中には「各種言語機関ニ対シテハ 本運動ノ趣旨ヲ懇談シテ 其ノ積極的協力ヲ求ムルコト」「ラヂオノ利用ヲ図ルコト」が例示され、事実、メディアには一片の自由もなく「大本営発表」を機械的に伝えるだけになっていくのです。 

報道機関に身を置く者として、このようなことが決して繰り返されてはならないと思うばかりです。とはいえたった70年前のこの要項も、何の前触れもなく突如として現れたわけではありません。21世紀の我々のまわりに、いま同じ轍を踏みかねない予兆や前触れは絶対にないと言い切れるのか。国民の「自由」が徐々に排され「総動員」が図られることはもはやあり得ないと言い切れるのか。そんな疑問のアンテナを常に張りながら、ニュースをお伝えしています。

投稿者 近野宏明


#198  中華航空機炎上事故

(2007/08/22)


 

070820_中華航空⑤.jpg月曜日、那覇からの一報を受けて午後の便にて現地に向かいました。観光シーズン真っ直中。カメラクルーの席は取れず、私とディレクターの2人で先に沖縄へ。予定よりも1時間余り遅れて着陸した那覇空港。その北側に位置する国際線ターミナルの前に、事故機が無惨に焼け落ちた姿をさらしていました。私たちの便はターミナルに横付けされず、空港の北端に「沖留め」され、乗客はバスで移動します。その際に事故機の目の前を通過しました。当然車内にはどよめきが上がります。誰もが釘付けとなるその機体。しかし中には目を背ける方もいました。冒頭の写真はバスから撮影したものです。

070820_中華航空④.jpgそれから深夜まで、中継と取材が続きました。中華航空の社長は夜になって会見を開き、さらにツアー客が宿泊するホテルへお詫び行脚。すべての取材を終えて那覇支局から映像を伝送すると、とっくに日付は変わっていました。丑三つ時にようやく夕食。食堂のおばあが作ったチャンプルーの美味しさがしみ渡りました。

 翌火曜日。午後いちの東京行きを押さえて、取材に臨みます。昼前になって機体のそばまで近づくことが許され、搭乗時刻をにらみながらのリポート取材。機体から50mほど離れたところまで炭化した部品が飛び、風に舞います。激しい損傷を見ていると、よく犠牲者が出なかったものだという思いが強まるばかりでした。

070820_中華航空①184841.jpg帰路の飛行機はまた事故機の前を通過して離陸をスタンバイします。仕事を通じて数十回、プライベートも合わせれば100回以上利用した馴染みのある空港だけに、その黒く焦げた機体には強い違和感を覚えました。そして何とも言えないざらついた感覚も。ふつうは滑走路への着陸をもって安心するわけですが、そのあとにも(あるいは離陸の前にも)大惨事は起こりうる。当たり前のことを改めて思い知らされました。(ちなみに、航空史上最大の犠牲者を出した事故は、滑走路上で2機が衝突したことによります)
 
 木曜日になって、事故調査委員会が燃料漏れの箇所を特定しました。主翼の前のほうは「スラット」と呼ばれ、離着陸時に垂れ下がるように動く部分です。このうち右主翼のエンジンに近い「5番スラット」部分を調べたところ、金属製のボルトが突き出し、接している燃料タンクにボルトが穴をあけていたというのです。これが燃料漏れを引き起こしたとするならば、同型の機体にも相当の影響が出るのではないでしょうか。現にボーイング社は同様の燃料漏れを過去に確認していたといいます。整備上の問題なのか、構造上の問題か。あまりにも重大な事故を引き起こす可能性があるケースゆえ、事故調のさらなる調査が待たれます。

投稿者 近野宏明


#197  読了日記035 『中国古典名言事典』

(2007/08/17)


 

 そういえばこのところ「読了日記」もご無沙汰でありました。失礼しました。決して本を読んでいないワケではありません。読書の秋に向けてまた少しずつ掲載して参りますので、引き続きご愛顧を。今回は、もう15年以上本棚で素晴らしい存在感を示している、一冊の辞典です。

・諸橋轍次『中国古典名言事典』(講談社)

070817_中国古典名言辞典.jpg この写真、辞典をパソコンの上に置いてあるのは理由があります。中国古典における膨大な智の集積は、21世紀のコンピューターにも勝るとも劣りません。あまりに漢字の種類が膨大で、コンピューターでは扱えないという側面もあり、そのすべてをコンピューターが網羅するのは困難でもあります。なので(という後付けの理由)我が家では、この辞典はパソコンをアシストするかのように、すぐ横の本棚に立ててあります。

 さて。まず、何にも目的を持たずこの辞典を手に取り、あてずっぽうに開いてみましょう。偶然開かれたページを一読すれば、そこには「なるほど…」と唸る文があるはずです。と、断言したくなるぐらい幾多の名言がおさめられています。人生のさまざまな局面にぴったり寄り添い、社会をぴったり言い当てるような言葉の数々。「この状況、どうみたらいいのか」という疑問や、「あの立場ならどうすべきか」というふとした思いつき、ありますよね。そういうちょっとした穴に、まるで行動ジグソーパズルの一片をあてがうようにはまる名言、見つかります。

 いま試しにやってみました。よっ…と開くと、『老子』のページです。「軽諾必寡信」=「軽諾(けいだく)は必ず信(しん)寡(すく)なし」…軽々しく人に承諾を与えることは、結局、信義を欠くことになりがちである、という意味です。もう一度、別のページを。「欲当大任須是篤実」=「大任に当たらんと欲すれば、須(すべから)く是れ篤実なるべし」これは『近思録』からの一節。大きな仕事を任されたいと思うなら、心が篤実なことが必要ですよね、という意味。このように、どのページを開いても、「そういうものか」「確かにそうだ」「こうあるべきだよね」などと思うフレーズが必ず存在します。

 加えて、名言をおさめた書物の簡単な解説、名言ごとの索引が。さらには「人間」「自然」などの項目ごとの索引が充実。例えば「人間」といった大項目の中でも、「人間の本質→身体、容貌、容儀、養生」といった具合にさらに細分化されています。シチュエーション、テーマを入り口にして名言に辿り着けます。中国古典の入門書、最初の一歩を踏み出すガイダンスともいえる一冊でもあります。値は張りますが、十二分にお釣りが来る辞典です。

 私が最初に読んだのは、小学6年のとき。夏休みに親から渡されて「論語」だけは読みとおしました。当時は書き下し文や解説文を読んでも今ひとつよくわからないものがあったのですが、今となってはそれなりに「ふむふむ」と読めるように。…それはつまり「加齢」です。

投稿者 近野宏明


#196  終戦記念日

(2007/08/15)


 

 8月15日。終戦記念日です。世紀を跨いだこともあり、62年前と云いますと遠い昔のような錯覚をしがちですが、ついこのあいだ、とも言える歴史です。私が生まれたのが35年前の昭和47年ですから、その時点では「戦後27年」。そう考えると、ついこのあいだのことだなあと実感します。

 我が家では幸いにして祖父母の代に遡っても、戦争で命を落とした者はありません。それでも毎年この時期になると、しみじみ戦争の無い世の中の有り難みを感じます。とりわけ母親はその思いが強く、広島・長崎の原爆忌、そして8月15日の終戦記念日、それぞれ節目の時刻に合わせて、自宅で黙祷をしていました。きょう15日なら正午ですね。きっと今年もそうしていることでしょう。沖縄の慰霊の日(6月23日)はどうだったか、私の記憶が定かではありませんが、私が沖縄に通って取材をするようになってからは、黙祷の日にきっと加わっているのではと思います。

 そんな姿を小さい頃から見てきたうえ、父方母方ともに祖父が戦争に行ったことを聴かされていました。ひとつ歯車がかみ合わなかったらどうなっていたか。いまこの自分というのが実はたいへんな偶然によって在るのだなと思ったものです。命を的にして戦場に居るとか、貧しさやひもじさが横溢した「銃後」に過ごすといった当時の当事者の実体験もさることながら、つながっているはずの命が絶たれるということの残酷さにも怖ろしさを感じました。

 日本という国は、遠くない過去に戦争の惨たらしさや痛ましさを嫌というほど知った国。多大な犠牲を払い、同時に多大な犠牲も強いた国であります。であるならば、地上から武力による戦いを無くすために各国の先頭に立ってしかるべき。しかし実際には…。嘆息せざるを得ない状況です。書生論という人もいるかもしれませんが、きょうこの日はとくに、日本という国が世界に先んじて何をすべきかを考えたいと思います。

投稿者 近野宏明


#195  夏の夜

(2007/08/13)


 

 この時期、帰省先でテレビをご覧になっている方が多いと思います。親戚同士久々に顔を合わせて、子どもたちは廊下や外で大騒ぎ。「日本のお盆」ですよね。私の実家でも、毎年そういう光景が繰り広げられました。父方のいとこたちが大集合して、夏の半分ぐらいを過ごしていたのです。

 東京に住む彼らは、夏休みになると大きなカバンを持ってやってきます。着替え、水着はもちろん、宿題をやるための道具も持ってきていた記憶があります。食事は座卓を2つくっつけて賑やかに。日中はプールにでかけたり、丘の上にある公園に遊びにいったり。ワイワイやっていると、時折ケンカして怒られたり。夜は夜で、布団をずらっと並べて6人で寝ていました。窓を開けると夜風といっしょにカエルの鳴き声、虫の声が聞こえてきます。あれこれとりとめないことを話しているうちに眠ってしまいます。あれは、おとなになってしまうともう得られることのない時間。彼らが東京に戻る列車を見送ると、なんだか夏も終わったなあという気分になったものです。

 そんなことを思い出した理由はきょうのニュースにあります。木原さんとそらジローのお天気コーナーで、流れ星が紹介されました。そのVTRのなかに一瞬だけ、流れる星々を眺めようと、地べたに寝袋をずらっと並べて夜空を見上げるシーンがありました。ほんの一瞬ですが、あれはいい光景です。流星が見られればそれが本旨ですから言うことは無いのですが、あえて一言。

 たとえ流れる星が一つも見られなかったとしても、寝袋を並べて、その時を一緒に待つという状況が素晴らしい。もしも高校生ぐらいだったら、きっと深い話をし始めることでしょう。友達のこと、学業のこと、将来の夢…。互いの顔は殆ど見えないけれど、それだけに胸の奥まで見える気がしてきます。絶対的な時間経過とは別に、相対的な価値が大きな時間。絶対に忘れられないときになること間違いなしです。夜空を眺めるには打ってつけの日、まだチャンスはあります。夏の夜の天気予報は要チェックです。

投稿者 近野宏明


#194  ものを書くこと

(2007/08/08)


 

 このコラムも開始から1年4か月。まもなく200回を迎えます。週3回、長期の休みを除いて書きつづけてきました。しかし先月の後半から3週間休んでみると、意外にも、けっこうなエネルギーを要することなんだなと気付きました。

 私自身は日々のつれづれを若干勢い任せに綴っていた気分でいたのですが、いざ再開しようとすると、筆は重く(実際にはキーボード)、頭は回らず(これはいろいろ原因あり)、書く前も書いたあともスッキリとしない、自分としても納得がいかないものばかり。結局地震の報告を掲載しましたが、じつは他にも書きかけ、あるいは書き上げた文が幾つかお蔵入りになりました。いまこうして書いていても、どこへ文章が流れていくのか…漂う先に港がハッキリと見えないままの航海です(「漂う」ということ自体、「航海」ではないかも)。

 「近野さんはものを書くのが好きでしょう?」と先日も後輩に言われました。確かに、少なくとも嫌いではありません。ただし、無から有を紡ぎ出す創作行為はやったことがないのでわかりません。いっぽう自分が触れたこと、考えたことを書きあらわすことは大丈夫。それがつまり記者という仕事ですが。とはいえ、こういうつれづれを書き留めていくには、なんにしても無意識のうちに意識した「きっかけ」や「とっかかり」が大事なのだなと思います。

ささやかな幸せや、季節の移り変わり、旅先や通勤途上で目にしたもの…。もちろん悲しみや煩悶も、日々の暮らしの中で起きてしまうことがあります。そういうすべてを、正面から受け止めて考えることができる人を、私は尊敬します。そこまで大仰でなくても、ちょっと記憶に留めて、誰かにそっと教えてあげられる人を。私自身の愚鈍さと浅はかさを恥じるとき、なおさらのことです。

そこで、けさはひとつだけ。電車が停車しているホームを歩いていたとき。ある扉の前で「すいかの匂い」がぷうんと漂ってきました。なぜでしょう。歩きながら振り向いてみたのですが、その車内にはすいかを持っている人は居ませんでした。通勤時間帯ですから当たり前です。でも間違いなく鼻腔に届いた夏の香り。気怠さをまとい、心もこわばったけさの通勤に、少しやさしい気持ちを呼び覚ます匂いでした。この匂いが「とっかかり」になって、するするとこの文を書いた私であります。
(ところで「すいかの匂い」ってどこかで見た文字の並びだと思ったら、そういう小説、ありましたね)

投稿者 近野宏明


#193  新潟のこと 4

(2007/08/06)


 

 地震から3週間。政府はあす、新潟中越沖地震を激甚災害に指定することを閣議決定する方向です。被災地でみたことがらから、教訓とすべきことを考えます。

 柏崎市内では多くの倒壊家屋を目にすることになりました。完全に押しつぶされてしまった建物を見ると、やはり築年の古い木造家屋が目立ちます。立派な焼き瓦を葺いた大きな重い屋根。通風や採光を重視した長い縁側。平時には安らぎを覚えるそうした造りも、いざというときに、大きなダメージを与える要因に転換してしまうのが恐ろしいところです。

 能登半島沖地震の際もそうでしたが、昔ながらの古い造りの建物は、巨大地震には打ち克てないのかと痛感させられます。だからといって、すぐに立て替えられないのは仕方のないこと。では当面、いざというときにどう備えるかが課題となります。

 まずは家具のじゅうぶんな固定です。倒壊を免れたお宅の取材をすると、殆ど家具の固定をしていませんでした。ヒモや細い針金でつないだ形跡もみられましたが、無惨にもちぎれてしまっていました。もちろん固定していない箪笥や食器棚、本棚がどうなっているかは言うまでもありません。後片づけをしているご家庭では、「寝室にはできるだけ背の高い家具を置かない」ように、模様替えをすることを勧めました。スペースの都合上、どうしても寝室に家具を置くならば、倒れてきたときに自分の寝床に重ならないように配置することも。まずは命を守ることが第一、すべてはそこからです。

 寸断されたライフラインのうち、この時期もっとも大きなダメージを与えたのが、断水した。蒸し暑い梅雨どきに清潔な水がないことが、どれだけ不自由かということ、目の当たりにしました。お風呂の水は抜かずにおいておく、一定量の飲料水をストックしておく。これだけでだいぶ違うと思います。飲料水は、大きなペットボトルをひと箱分つねにストックするだけでも意味があります。買うたびに古いモノから飲めば期限切れの心配もありません。風呂の残り湯は、まずトイレを流す際に役立ちます。床に散乱した食品などを掃除する際にも、水が無ければキレイにふき取りきれません。生活のすべてに水は関わってきます。いざという時の前に、ご家庭での心掛け、ぜひお願いします。

投稿者 近野宏明


#192  新潟のこと 3

(2007/08/03)


 

 前回本欄で原稿を書いてから、3週間がたちます。この間、新潟中越沖地震、そして参院選と、大きな出来事が立て続けに起きて、更新が滞ってしまいました。1年3か月、週3回書き続けてきたコラムですが、一度途切れるとなかなか復帰できないこともわかりました。いずれにしても、読んでくださる方々にはご無沙汰しております。

 7月16日、祝日の朝に出勤し、まさにこのコラムを書こうとしていたところで地震が発生しました。新潟で震度6強。まっさきに考えたのはやはり実家のことでした。とはいえ、いま放送している番組を中断して伝えねばならない規模の地震です。番組のプロデューサーに声をかけ、特番となったら番組進行を行う用意のあることを伝えました。その間にも、私の実家が新潟にあることを知っている方から心配するメールが。涙が出るほどありがたいことです。

 結局私は現地にすぐ向かうことになり、ロッカーに常備している着替えなどを詰めたケースを転がして、取材チームとともにワゴン車に乗り込みました。テレビ・ラジオの音声、本社からのメールなどで情報収集をしながら新潟に近づきます。しかし高速を長岡で降りてからが大変。大動脈の国道8号線は寸断、迂回路の県道は渋滞。結局現地柏崎に入ったのは16時頃。放送直前のことでした。

 途中、取材をしながら進んだのですが、その時点で被害の大きさを痛感することになります。刈羽村では越後線の線路が水平方向、上下方向の両方に激しくうねっています。家の前に停めた1BOXカーに避難している若い家族は「3年前の中越地震を教訓に、室内が広い1BOXにしたけど、まさかこんなに早く大きな地震に遭うとは」「怖くて家の中では眠れそうにない」と話していました。養鶏場がダメになってしまいそうだ、という年輩の男性は、「もう辞めるよ」と力無く笑います。あちこちで家が傾き、塀垣は倒れ、道路がねじれていました。ひとたび集落に入ると、先ほどまで見ていたのどかな田園風景もふきとんでしまうほどだったのです。しかし地震の被害はまだまだ底知れぬ大きさであることが、時間が経つにつれハッキリしてきたのです。

投稿者 近野宏明