報道局員としての丸12年間、常に肌身離さず暮らしてきたものとお別れの時がやってきます。「ポケベル」です。今月末をもってNTTドコモがサービスを停止することに伴うものです。
日本テレビに入り、希望叶って報道局へ配属された際に配られたのは、昔ながらの、数字しか表記されない小さなポケベルでした。携帯電話もまだ普及前でしたので、外で取材をしている記者に連絡を取るための必需品。本社での勤務の時には、大小にかかわらず、外に出ている記者へのすべての連絡は、ポケベルを鳴らすところから始まったものです。とりわけ、報道フロアでの泊まり勤務のとき、デスクに代わって「一斉呼び出し」の端末を操作したときは大変にドキドキしたものです。
あのころ、ポケベルという「鈴を付けられた」側の取材記者が取材現場に到着すると、最初にやることの一つが「公衆電話探し」でした。ベルが鳴ったときのレスポンスの早さは重要。もちろん取材の経過報告、結果報告も迅速に出来ます。いざというときにまごついては、遅れをとってしまいますからね。いまやその公衆電話もめっきり減っていますが…。
自分自身が省庁での記者クラブ勤務をしていた頃は、何百回、あるいは何千回の「ピーピー音」を聞いたコトか。その都度「あ、あの件だな」と思ったり、「こんな夜中に何だろう」「取材中って知っている筈なのに急ぎの用件かな」と思ったり。地震や大事故を知らせる際の一斉呼び出しは、普段と着信音が違います。その音を聞いた時にはひときわ緊張感が高まるものです。とにかく、ポケベルの呼び出し音は、完全に生活の一部でした。
自分が仕事で忙殺されているときに報道局から異動していく先輩や同僚を見ていると、「ああ、明日からポケベルに振り回されることは無いんだな」と思ったものです。反面、もし心ならずも報道の仕事から離れて、ポケベルを返却するときが来たら、きっと寂しいんだろうなあ、とも。月並みな表現ですが、苦楽をともにした持ち物なのです。
ところで冒頭で「肌身離さず」と表現しましたが、誇張はありません。本当です。寝るときも常に枕元に置いていましたから。2007年になった今もそうです。連絡がつかずに出動が遅れることがあっては記者の名折れ。替えの電池も常に携帯しています。取材記者から番組に移ったこと、そして携帯電話やメールが普及して、めっきりポケベルが鳴ることは少なくなりました。しかし、やっぱり入社以来の「最終連絡手段」というイメージは容易には変えられないのですね。
先週、ポケベルの電池切れの警告音が鳴り、ボタン型の電池を取り替えました。使用期間はあと2日です。この電池での呼び出し待機が、間違いなく「最後のご奉公」になりそうです。
投稿者 近野宏明
日曜日に起きた地震。それからまる3日が経ちました。しかしけさも震度5弱の余震があり、被災地の皆さんには、一瞬も気が休まらない日々が続きます。
私が現地に入ったのは発生当日の夕方でした。金沢を出て能登半島を北へ向かうのですが、あちこちで道路に亀裂が入り、段差ができています。ひどいところでは、段差が2mにもおよび、幅100m近い土砂崩れも起きていました。二次災害に巻き込まれないよう、細心の注意を払って輪島市に入りました。
夜の避難所はぎゅうぎゅう詰め。化粧仕上げをしただけの冷たいコンクリートの床には深いヒビが。あちこちで近所つきあいの深い地域ですから、顔を知った者同士、話の輪ができています。しかし見渡すと、ぐったりと目を閉じるお年寄り、人の輪から離れてぽつんと床を見つめるお年寄りもいます。日が暮れて冷えているうえ、騒々しくて眠ることは困難です。仮設住宅の建設など、最低限の住環境が整うのが待たれます。
月曜日、全壊した住宅を再び訪ねると、懸命にがれきを片づける住民の姿が。母屋は30度ほど傾き、土蔵と納屋と車庫は完全につぶれてしまっています。寝泊まりできないのはもちろん、春からの農作業に必要な機械もダメになっています。74歳になるというご主人は気丈に、そしてつとめて朗らかに、私たちの取材に応じてくださいましたが、生活の再建を危惧するほかありません。
輪島の古い市街地。輪島塗の工房や、海女さん、漁業関係者の住まう地域など、昔ながらの職能ごとの街並みも少し残っています。細い木でつくった格子戸が特徴的な、じつに風情のある木造建築が並びます。このあたり、一見してわかる全壊家屋は多く有りません。しかし建物の中に一歩お邪魔すると、その被害の大きさに絶句します。作業場の床や天井が落ちていたり、梁が歪んで扉が飛んで閉まったり。器などに塗りつける漆を小売りする店では、漆が樽から漏れていました。仮に職人さんの仕事場が早く復旧しても、材料が入手出来なければ仕事は出来ません。伝統工芸への影響も懸念されます。
普段はところ狭しと道路を埋め尽くす、輪島の代名詞「朝市」も、月曜日は殆どの店が開かれませんでした。北陸でも有数の観光地。現地が落ち着いたら、また大勢の方が足を運ぶときが来るでしょう。落ち着いた被災地を旅先とすることも、ひとつの支援です。町を回って地元の方とふれあいながら、ご家庭の防災対策への教訓も学び取って頂きたいと思います。
義援金の振込先
<銀行> 能登半島地震災害義援金:北國銀行県庁支店:普通預金199926
<郵便局> 石川県災害対策本部:00730-4-7700
投稿者 近野宏明
日進月歩、ドッグイヤー。変化の早いインターネット社会とその技術。教育評論での第一人者が、インターネットやケータイがはらむ、子どもにとっての危険性に警鐘を鳴らす。同時に子どもと教育にそれらを活かすのか、道しるべも示した一冊。
・尾木直樹 『ウェブ汚染社会』(講談社+α新書)
著者の尾木先生は私も文部省クラブ時代からのおつき合い。もう10年になる。豊富な教師としての経験、研究者としてのフィールドワークに裏打ちされた分析に、記者として全幅の信頼を寄せてきた。しかも、どんな問題でも常に子どもの視点で、子どもの限りない可能性を信じるスタンスは、愛に溢れている。取材に訪れる記者に対しても同様だ。
私が尊敬をこめて「愛の教育者」と思っている尾木先生。しかし本書は、その著書としては例外的に、子どもの「限界」をハッキリと記している。たとえば子ども自身の「判断力」やネットに起因する問題への対処力がそれだ。子どもの「限界」を尾木先生が明記したのは、取りも直さず「子どもを守る」という理由から。それだけ、インターネットやケータイには、使い方や接し方によっては、発達途上の子どもたちにとって看過できない問題がある、という。
その根拠として、子どもたちがどれだけネットとの密接な関わりを持っているか、豊富なアンケート調査で示す。親世代の想像を超える現実である。さらには直接・間接の両面から、ネットに起因する被害をあぶり出している。一方では、ネット犯罪では子どもたちが加害者にもなりうる、その背景には当然おとな社会の問題が潜むという、保護者にとっては目を背けたくなるような現実も指摘しているのだ。
そのうえで、子どもとネット・ケータイの関わりにおいて、保護者が何もしないことがいかに問題かということを、言葉を変えながら繰り返し強調している。「ネチケット教育(情報モラル教育)に力を注ぎながらも、小・中学生に対しては無規律・無防備には使わせないこと」「ホームページは世界に発信する『情報の公器』である」「スキルが身についていることと、社会的に責任をもってコントロールできることとはまったく別物」「人格において対等なことと、情報社会で大人と対等に責任をとれることとはまったく意味が違う」と。
処方箋は特別なコトではない。ネット・ケータイ使用のルール作り、フィルタリングソフトの活用など、具体案を示している。こと家庭においては、詰まるところきちんとした親子関係、家庭環境の確率が何よりの防御壁になるのだが。
物心ついた時からインターネット環境が整備された世界に生きてきた、現代の小・中学生。彼らが心身に思いがけない傷を負うことがないよう、何が出来るのか。保護者や教育者は必読の一冊である。
*能登半島地震の取材報告は後日あらためて掲載します。
投稿者 近野宏明
人生に影響を与えた一冊は何か。そう問われた時に私が挙げるのは、城山三郎さんの『落日燃ゆ』です。先の戦争のあと、東京裁判で文官としてただ一人、絞首刑に処された元首相・外相、広田弘毅の生涯を描いた小説です。
初めて読んだのは中学生のときだったでしょうか。ページをめくる毎にぐいぐいと引き込まれていき、あっという間に読み終えた感触はいまでも克明に思い出せます。この本を通じて、私の近現代史への興味は固まりました。大学で日本近現代史を専攻したのもそのためです(『落日燃ゆ』に描かれた広田弘毅像を、批判的に見直すこともできました)。そのうちに、歴史を記録すること、歴史から現代を見ることに関心が移り…。結果、記者という仕事を選んだわけです。その選択には、城山さんのような仕事に近いのでは、という畏れ多い理由もありました。日々のニュースもいずれ歴史に変わる。それを間近に見られる、自分の言葉で記録ができる、そういう職業だからです。
城山さんの作品は殆ど読み尽くしましたが、私にとっての「城山文学」の魅力は、魅力的な人物像が明確に描かれること。経済人、政治家、ときに一般には知られていない無名のひと。様々な人物の生涯が城山さんの手で小説になり、あるいは論評されました。誰を題材にしても、城山さん流の濾過を経るとき、もともと持ち合わせているモデルの「生き方」がよりくっきりと浮かび上がる。読者はそこから、自分自身の納得する人生を堂々と生きることの意味を感じ取るわけです。
軍国主義の教育下で育った城山さん。典型的な「軍国少年」「皇国少年」だったといいます。しかし戦争が終わると、世の中の価値観は一変。そのとき、少し前まで戦争に国民を駆り立て、言いたいことも言わせずに、ひたすらに忍従を国民に強いてきた指導者たちは知らん顔を決め込んだ…城山さんは権力や組織というものの本質を嫌と言うほど感じたのでしょう。作家として筆を執った一番の動機は、「戦争中の体験だけは残したい」という思いでした。「こんなことを二度と起こしてはいけない。どんな風にひどかったかを次の人たちに伝えていかなくてはいけない」(『対談集「気骨」について』より)と。
明確に、直接的に、戦争そのものをとりあげた作品はそう多くはありません。むしろ、巨大な組織・国家、そうしたものに絡め取られることなく筋を通して生きる主人公を通して、戦争や権力の怖さに読者の思いを至らしめる、そういう強い思いが数多くの著作に静かに貫かれていたと言えるでしょう。
数年前その動きが急となった、政府によるメディア規制の動き。城山さんは老骨に鞭打って、断固として反対の声をあげました。その根っこには、「言論弾圧」の怖さを知る者としての義務感がありました。言論や表現の自由の無い社会に、未来はない。政治家や官僚の腐敗・悪行を書かせない法を作ろうとする動きは、卑しいとしか言いようがない。普段は物静かだという城山さんが、全身で訴えていました。会見の様子を映像で見ても、ただならぬ気迫が。
この頃、私は番組へのゲスト出演交渉を行ったのですが、結局日程上の都合などもあり、叶うことはありませんでした。報道機関に身を置く者として、一度お目にかかってじっくりお話をさせて頂きたい方。自分がもう少し、城山さんの前に出ても恥ずかしくないぐらいに研鑽を積んだら…と思ううちに時間は流れて。夢も叶わぬままの悲報を聞くことになりました。本当に残念でなりません。
投稿者 近野宏明
3月18日、首都圏では鉄道・バス各社の共通ICカード乗車券「PASMO(パスモ)」のサービスが始まりました。改札の読みとり機にかざせば、乗車分の運賃が差し引かれる仕組みで、利用者にとっては一枚のカードで多くの公共交通機関が利用できます。また、加盟店では現金を使わずに買い物も可能。財布や定期入れを開くことなく、改札を通過し、買い物も済ませることができるので、確かにスマートではあります。残額が一定額を下回ると自動的にチャージする機能も付けられます。そのシステムの特質をひとことで言えば、「便利」です。
一方で、正直うむむ…と考え込んでしまうこともあります。「セキュリティ」の問題です。拾得したカードを読みとり機にかざせば、他人でも買い物が出来てしまいます。よほどの高額でなければ、本人確認もありません。ICカードの機能を携帯電話と一体化した場合には、ネットショッピングの決済時に、カード情報の入力が不要な場合もあります。不注意で紛失したICカードや携帯電話が不届き者に拾われた場合、自分のお金が易々と使われてしまう恐れがあります。とにかく「便利」ではあるのですが、そういう懸念がどうしても完全に払拭できないのです。
ICカードは、カードそのものの記録量が多いのはもちろん、利用履歴や個人のデータを蓄積するサーバーも相当な大容量であることが必然です。小銭レベルではない金額の支払いも可能とするわけですから、間違いがあってはならず、正確なデータを一定期間ストックする必要もあります。どこの誰がいつどの路線を使ってどこからどこまで移動したか、よく使う店はどこか、という内容がどこかのサーバーにたっぷり保管されるのです。
このデータ、企業や店舗にとっては喉から手が出るほど欲しい情報です。膨大なICカードの利用履歴は、プライバシーの宝庫ですから。行きつけのコンビニ、スーパー、通勤通学の経路、友人の住まいの最寄り駅、などなど。そうした履歴を一定の条件で拾い出せば、例えば、「東京・目黒区の□▽駅付近に在住で、新宿区の○△駅付近に勤務し、夜の飲食は恵比寿近辺が多く、休日はよく渋谷で買い物をする、20代後半の女性」といったふるい分けも、可能になりそうです。この人物の平日の動き、休日の動きなどの類型化もできそうです。
その情報を使えば、例えば情報提供を受けた事業者による、ターゲットを絞り込んだPR活動が可能になります。平日の夜、恵比寿の駅に降りた瞬間、この人物の嗜好に合う提携飲食店から、携帯電話にメールが届くとか…。不特定多数を対象にしたPRよりも、こちらを選ぶ企業や店舗が多くなるのでは。そこまで組織的な利用でなくても、例えばデータの管理スタッフが、特定個人の履歴を隅々まで読んでいるとしたら…という想像もしてしまいます。
交通機関、カード発行の各社は個人情報保護指針を策定して、漏洩や目的外の利用を防止していますが、これまでの個人情報漏洩問題を見ても自明の通り、何においても「絶対万全」はありません。基本的な個人情報はもちろん、当人の行動や嗜好が特定されうる情報の管理には、利用者として厳しい目を向ける必要があります。
それにしても、都会という空間は「無名の一人」になることが出来る場所、というのが社会学上の通説でした。しかしこの種のカードや電子マネーの普及によって、改札やレジという「関所」を通るごとに、一つ一つの情報で色づけされ、どこかで(個人が特定された)データとなって記録される時代になっているのです。たとえ本人は「無色透明な存在」、「無名の一人」のつもりであっても。
投稿者 近野宏明
私の人生では空前のブームとなる兆しか?という事態。「走る」ことが、です。まだ「兆し」で、しかも「か?」ですけれど。中学生の頃、部活動で毎日のように5キロコースを走っていましたが、それ以来。この週末も小西キャスターと走りましたよ。写真は完走後の小西さん。表情をみても余裕がありますね。この時点では。
先週、あれだけ右足の裏(「土踏まず」ではない部分)が痛くなったので(まだ少々痛い)、「走りたい」という気分は当面起こらないだろうと踏んでいました。しかし。木曜あたりから、「ちょっと走ろうかな」という気持ちが抑えがたくなり…。自分でも意外でしたね。
2.5キロ歩いてアップ。今回走ったのは先週より少し短めの4キロちょっと。先週、真純コーチから指摘されたので「ぴょんぴょん跳ねすぎない」ことを意識しつつ。普段歩いている時も外側から着地しがちな右足は、内側に体重を乗せるようにちょっと心がけました。後半にペースを上げて走りきりました。いやぁ、快調快調。しかし!残り300mで突如小西さんがスパート!ううむ。爪を隠していたか・・・。あっという間に置いて行かれます。やられた・・・。
で、掲載しようとした私の写真ですが…。いまパソコンで見ると、なんだか、お世辞にもその快調ぶりに見合う、「颯爽」とした感じが無いんです。何がいけないんでしょう。パンツもずり落ち気味。膝も上がっておらず。「本気度」の低いパーカー姿も相俟って、だんだん恥ずかしくなってきました。…掲載は見送ります。
そこでこちらの写真です。小西さんはマラソンの経験もあるほどのスポーツ好き。しかも大学時代には単なる学生ではない、もう一つの顔があったんです。それは、ラクロスの全日本代表選手!すごい!オールジャパンですよ。カナダに渡ってラクロスを一から学び、日本に帰って、関西を中心に各大学を回って指導まで行ったとか。つまり「ラクロス界のフランシスコ・ザビエル」みたいなことをしていたんです。その「布教」ならぬ「普及」啓蒙活動は、当時「きょうの出来事&スポーツ」の取材も受けたほど。
そんなラクロスガールの小西さんは、私と走っていると沿道で男子ラクロスの試合を見つけました。やっぱり胸が高鳴るんですね。フェンスにくっついてじーっと試合を見つめています。ラスト300mのスパートに使ったパワーの一部は、思い入れをもって見つめた、あのラクロスの選手たちからもらったのかもしれません。
<最新情報> 小西さんは月曜10時30分現在、太ももの前の部分が硬くなって痛いそうです。いける!と思ったラストスパートを、少し悔やんでいる様子。ふっふっふ。
投稿者 近野宏明
北陸電力の志賀原子力発電所で、点検作業中に予期せぬ「臨界」が起きていたにもかかわらず、その事故を8年間にわたり隠していたことが発覚しました。「臨界」とは、核分裂が連続して起こること。制御不能な状態が15分間にわたりつづき、大事故寸前の状態に陥りました。しかし8年前の作業日報には、まったくその事実は記載されず、闇に葬られていたのです。
15日、北陸電力の永原社長が原子力・安全保安院を訪ねました。その様子を取材したのですが、これが「唖然」と言うしかない内容で、驚いてしまいました。
「作業も夜中の2時3時だったというので、誰も見てない、というのもあったのかなとは思う」-隠蔽の発端についての推測です。結果、社長自身にこの情報が届いたのは今週3月13日。事故そのものの問題以上に、社内風土の問題は深刻です。記者がさらに訊ねます。社内でも専門で人には説明しなくていいという雰囲気があるのかと。「そこまで言えるかどうか分からないけど、そういう雰囲気があるのは感じられるんですよ」「昨年1年だけでも2号機の品質管理の問題が出てまして、なんかおかしいんだと、感じておりまして」「上に相談してもわかんねえ、というそういう(技術系の現場の)空気が感じられますんで」
多数の人命に影響を与えかねない原子力事業をやっている会社、その社内風土とは到底思えません。「信じられない」の一言に尽きます。社長は小声でくぐもった感じで話しますが、その語り口と裏腹に、内容は驚天動地の見過ごせないことばかり。
きょう志賀原発1号機は運転を停止しました。北陸電飾は、今月中に原因究明を、来月13日までには抜本的な再発防止策の報告が求められています。安全が何よりも優先されるべき原発への信頼は、社長の言の通り「地に落ちた」と言えましょう。各社で相次いだデータ改ざん、データ隠しを見ても、ひとり北陸電力だけの問題ではありません。もう唖然とさせられるのは御免被りたいと思いつつ、スタジオに戻りました。
投稿者 近野宏明
高知空港での胴体着陸事故。国内では滅多に無い重大な事故に、報道フロアも騒然となりました。私は「日テレNEWS24」のスタジオに入って、加藤亜希子キャスターの横で解説を致しました。10時54分のランディングも、祈りをこめて生の映像を見ながらの放送です。火花を散らした機体が滑走路を真っ直ぐに滑り、ようやくその動きを止めたとき、報道フロアからは拍手が。誰もがひとりの人間として、乗客乗員の無事を祈っていたことが分かる、温かな拍手。私も歓声を聞きながら、心底ほっと致しました。
水曜日。不具合のあった前輪(前脚)はどのような仕組みで下ろすのか、シミュレーターでの模擬フライトを体験しました。自動で前輪を下ろすレバー、それがうまくいかないときのバックアップシステム、事故翌日だけに、シミュレーターといえど手を触れるのは緊張します。バックアップシステムも多様なものがありますが、このシミュレーターでは、長さ50センチほどの金属棒を使って、ポンプの様に圧力を与えることで前輪を下ろします(事故機は違う仕組みです)。そのポンピング回数は150回以上(!)とのこと。飛び続ける機体、狭いコックピットの中での、全身を使った作業となります。驚きです。
そしてベテランパイロットの操縦による、胴体着陸。事故と同様に前輪が出ない状態で、滑走路に進入します。シミュレーターは前方の映像はもちろん、機体の動きや重力も実機同様に再現します。スピードを落とさないと接地衝撃が大きい、しかしスピードを落とすと風の影響を受けやすい。相反する条件下、機長は両手両足を常時動かして、機体の安定を図っています。休まるヒマなど全く有りません。後輪(主脚)の接地…そして機首を下げると…ガツン!という下からの強い衝撃とともに、ガガガーっと滑走していくのです。カメラマンも思わず「おおーっ」と声を上げます。
3回の訓練はいずれも「無事着陸」でしたが、訓練、しかも横に座っているだけであっても大変な緊張を強いられました。あとで映像を見ると、機長の表情も幾分強ばっています。しかしただ停止しただけでは終わりません。実機の場合には、出火が無いかの確認・処置、けが人の有無を確認・対処、地上スタッフとの連携での脱出判断、などやることは沢山あるのです。そのすべてに最終責任を負う、機長という職の重みを痛感いたしました。
こうした訓練を積んでいるがゆえに、事故機の機長が着陸を成功させたのは、いわば当たり前のことなのかもしれません。それだけに、操縦する者のスキルが確実であれば、今度は機体の安全性・確実性が問われるわけです。今回の事故機はとりわけ脚部にトラブルが多いという指摘もあります。万一の際にも、研鑽を積むパイロットの技量を十二分に生かせるよう、徹底的な原因究明が求められます。
投稿者 近野宏明
「勢い任せの発言」という疑惑を招いた、「近野・ランナー宣言」から早や3週間。このまま走ることの無いままではまずいと思っていたところ、山本真純キャスターが実に好いアシスト。我が家を来訪、走りに連れ出してくれました(…他人頼みでいいのか)。
30分で5キロ弱。いやー、走っている間は気分上々。終盤はちょっとへたりましたが、真純コーチにノセられて、走りきりました。あの建物は○×だよ、などと話していると、わりと気が紛れます。ひとりじゃないのが奏功した格好です。
ちょうど夕暮れどきゆえ、空は赤から青、濃紺へとグラデーションが拡がります。そして西日に照らされた影は切り絵のように美しい。そっちを見ていると本当に気持ちよく走れました。これにて、「近野さぁ、走れないくせに書かない方がいいよぉ」と口の悪いことを言っていた、同期の町亞聖キャスターにもこれで一応の面目が施せます。
帰宅後は、真純コーチ持参のお土産、美味しいケーキを家族と賞味。ずっと食べてみたかった、行列の出来るお店のもの。文字通りのご褒美です。カラダを動かしたあとだけに、これが本当に美味しくて、五臓六腑に染みわたりました。これ、走ったぶん以上のカロリー摂取では…という問いに、真純コーチは「でも普段は運動せずに甘いもの食べてるんですよ」と厳しい一言。確かに。返す言葉もありません。大満足のうちに日曜の夜は更けていったのでした。
しかし問題は本日。足が自分のものではありません。他人の足に乗って歩いている感じ?筋肉痛はいいのですが、足首から下にじいんと歩く衝撃?が響きます。これ、どうしたらいいんでしょう。
さらに。問題なのは「アタマ」のほう。朝、駅まで歩き、開店直後の銀行に立ち寄ってカウンターで手続きをしていると、行員さんが「身分を証明できるものは…?」と。免許証免許証…あ、定期入れが、無い。ついでに財布も持ってきていない。取りに戻るしかないか、いま何時だ??あ、腕時計も忘れてる!どうも足のことばかり考えていて、アタマが疎かになっていたようです。おかげで自宅まで一往復プラス。月曜朝からかれこれ25分歩きました。滅多にやらないことをやった余波でしょうかね。アタマとカラダのバランス、なかなか微妙なようです。
投稿者 近野宏明
・青山七恵 『ひとり日和』 (河出書房新社)
激しいクライマックスや、鮮烈なドライブ感は、無い。声高な主張や、目を背けたくなるようなエピソードも。あくまで淡々と、まったりと、時間が流れ、結末らしきものを迎える。一生ものの定職もなく、やりたいことも、意欲もハッキリとしない20歳の女性の1年間。50も歳の離れた遠縁の女性宅での間借り生活。次の世界に羽ばたく前の「モラトリアム」というにも、外界に対していささか閉じている日常。
厳しいおとなは「甘ったれている」とバッサリ斬り捨てるだろう。山田詠美さんは選評で「日常に疲れた殿方にお勧め。私には、いささか退屈」と述べている。うん、山田さんの作品世界が基準とすれば、さもありなん。ただ、途中退屈を覚えるようなまったり感は、主人公とまったく同様なフリーター生活をしている人たちのみならず、若者たちが共感できる、いまの時代の気分、なのでは。あくせく働くには強烈な動機や自分の目指すものが見えない、衣食が足りれば背伸びをした贅沢もいらない、恋愛も相手の懐にどこまでものめり込むわけでない…。よくいえばどこまでも控えめ、穏やか。それが、やんちゃなおとなや奔放な若者文学の世代には物足りないのかと。
いっぽう、40代?と思しき母親、70代の女性が絡み合うことで、20歳の彼女が相対化される。主人公とは少し違った温度の女性からみた今どきの20歳、が浮かび上がってくるのだ。反対に、母親、老女の言動からは、単純に年齢に比例するわけではない、多様な「女性の生き方」も透けて見え、これまた興味深い。やわらかくてもろいミルフィーユのような多層性が、淡々と紡がれる日常からほんのりと見えてくる。あくまでほんのりと。
物語に明白な結末らしきものはない。むしろ「つづき」の存在を感じるぐらい。いつかこの主人公の「その後」を読める時がくるのだろうか。昔ながらのありきたりな「成長」ではない、いまどきの「成長」をしていきそうな気がするが…。
投稿者 近野宏明
ラジオの話のつづき。自宅で。結構な時間ラジオをつけている私がいます。小ぶりだけれどとても音の良いCDラジオをリビングに置いたので、最近はとりわけご機嫌です。本を読むときにラジオをつける。そのときオンエアされている音楽が調子いいと、ページをめくる速度も弾んできます。…気付くとかなりの時間が。土日は必ず聞く番組、というのもいくつかあります。
もうひとつ。寝るときもラジオタイム。きのう掲載した写真で手に持っている小さいラジオ(=エアモニ)のイヤホンを左耳に。ボリュームは目一杯絞るのがコツ。音楽はうっすら聞こえるけど、おしゃべりは何言っているのかよくわからない、という微妙な音量で。するとあら不思議、スーッと眠りに導かれるのです。…もっとも、私は寝付きがとても良いので、これがラジオ効果かどうかは定かではありませんが。朝。目覚めるとイヤホンはとっくに外れています。エアモニはオートオフ機能が付いているので、ちゃんとスイッチも切れています。良くできています。
ラジオにひとり耳を傾けるというのは、ちょっと独特の世界です。思い返すと、私は小学校の高学年ごろからラジオ好きでした。携帯電話もパソコンも無い時代。自分の部屋と外の世界とを直接つなぐのが小さいラジオでした。いろんな音が遠くから直接飛んでくる。当時はテレビのチャンネルに限りがあったので、ラジオのダイヤルは無限に遠くの放送を拾ってくれる感覚がありました。北海道や山陰地方のAM放送なんかが聞こえてくると、なんだかわくわくしたものです。
日本テレビとネットワークを組む各社の中には、ラジオのチャンネルも持っているところが結構あります。出張などでお邪魔した際には、ラジオスタジオも見学させて頂くことも。と、テレビに対する「先輩格」のメディアへの憧れ、みたいなものがこみ上げてくるんですよね。あれは何なのでしょう。
そんな私ですから、ラジオに出ませんかと言われて断るハズがありません。日本テレビと関係の深い「ラジオ日本」に、何度かお邪魔しました。そのときのテープがきょうの写真。小さなスタジオに入ってマイクのぶら下がったテーブルに座ると、テレビとは違うリラックスした雰囲気に包まれます。小難しい話よりも、パーソナルな話のほうが滑らかに口をついて出てきます。音を送る側にいても、やっぱりラジオの魅力にどっぷり、です。『リアルタイム』も、そんないい雰囲気が醸し出せるようになったらいいのですが…。
投稿者 近野宏明
テレビ局に勤務する私ですが、ラジオも大好きです。どんなとき聞くかと言えば…長距離列車に乗っているとき、車の中、寝るとき。私とラジオの「蜜月タイム」と言えましょう。
記者の仕事に就いて、「七つ道具」のひとつとして最初に購入を命じられたのは写真の携帯ラジオ。通称は「エアモニ」。「オンエアモニター」の略と思われます。テレビ・AM・FMの3バンドがすべて聴けるすぐれものです。取材現場にいても各局のニュースが確認できるので、必携です。どこに行くにも私はいつも持参します。最近は「ワンセグ」という「テレビそのもの」を視聴できる最終兵器が登場しました。しかし長年「取材現場用携帯メディア」の王座に君臨してきたことに疑いはありません。
このエアモニ、実際に携帯すると、上記の本来的使用方法のほかにもすぐ役立ちました。とくに「張り込みの友」として。例えばオウム事件が世のニュースを席巻していたころ。私たち駆け出し記者は、上九一色村の第6サティアン前の夜間張り込みをしていました。日中は先輩記者とカメラクルーが3人で、ばっちり目を光らせています。その後。動きの少ない夜から朝にかけて、我々が小さいビデオカメラを持ってサティアンの動きをマークするのです。
周囲には自社の仲間はいません。携帯電話も圏外。サティアンから漏れる灯りの他は真っ暗です。おまけに標高がある山間地ゆえ寒く、毎晩のように深い霧や靄に包まれる…。実に心細いシチュエーションなのでした。そして、駆け出し記者ひとりに任せられるほど、現場では大きな動きは滅多にありません。でももちろん居眠りするわけにもいきません。そんなとき、大袈裟に言えば「心の支え」ともなったのがラジオでした。深夜はいくらかAMラジオの受信条件が改善するので、まずます聞こえるチャンネルを探し当てて耳をすませます。そこには「日常」の番組が。肩の凝らないおしゃべり、懐かしい音楽。ふだんの世界と自分を結ぶわずかな紐帯という感覚を、しみじみ覚えたものでした。
ラジオはとてもパーソナルな感じがするメディア。1対多数、ではなく1対1=直接自分に訴えかけているような錯覚をおぼえやすいメディアとよくいわれます。実際そう感じられたのが、あの特殊なシチュエーションでした。…と、思い出すとラジオを巡る記憶が次々とよみがえってきたので、この話はまたの回にも。
投稿者 近野宏明
日本テレビにいらっしゃるお客様が驚くことの一つ。ニューススタジオのサイズです。多くの方が「意外に小さいですね」「思っていたよりも小ぶりだなあ」などと仰います。もちろん決して狭すぎるなんてことはありません。必要十分のサイズです。これが画面で見ると大きく広く見えるのは、スタジオまわりのスタッフのテクニックの賜物。
その「意外に小さい」スタジオに、大きな飛行機を搬入した様子がきょうの写真です。最新鋭のジェット旅客機・エアバスA380は胴体直径が7m以上あります。そんな巨大な筒があのスタジオに…。入るかもしれませんが、運び込むのに難儀します。で、切り取っちゃいました。「国際線航空機への液体持ち込み厳しく」というニュースのひとこまです。(スタジオに居ながらにして)飛行機に乗っているように見える…でしょう?笛吹さんも流れゆく空の景色に目を奪われています。
我々の手前にあるのは、「機内持ち込み不可」となるもの。ゼリーやヨーグルト、ヘアジェルなど、ゲル状のものも「液体」の範疇に含まれるそうです。厳しいですね。初日。全国の国際線ロビーでは大きな混乱は無かったものの、持ってきたペットボトル飲料を慌てて飲み干す人の姿もあったようです。ゴミ箱にも持ち込めないものがちらほら。
スタジオで登場したのはわずか1分ほどのこのセット。でも、一目で「機内」と分かるうえ、スタジオ進行の雰囲気も変わります。事実、コメンテーターの山本博さんは、コーナー終わりのわずか2秒ほどの隙間に、窓の外を指さして「あっ!富士山だ」とアドリブで声をあげました。隣の席に座っていた田宮榮一さんもそれに合わせて「おっ?」と目をやる…。斯様にリアリティのあるセットの力は大きいのですね。
重要な役割を演じた飛行機のセット。放送終了後、このセットがどうなるかというと、こうなります。バラして大きなエレベーターに。そして普段置いてある場所に戻っていきました。たまには目先の変わったセットで放送に臨むとどうなるのか。ちょっと気分が変わる「セット」のお話でした。
投稿者 近野宏明