#138 読了日記027 『八月の路上に捨てる』

(2007/02/28)


 

きょうは「書くことの難しさ」をささやかに省みることになった一冊をご紹介します。

・伊藤たかみ 『八月の路上に捨てる』 (文藝春秋)

061222_八月の路上に捨てる.jpg離婚経験を持つ男勝りの女性トラックドライバー、その相棒の男性アルバイト。「青年」期を過ぎた2人が、東京でもディープな地域を走り回る。汗にまみれた会話と生動。ぎこちなさも感じるのに根っこでは気の合うようなふたり。それぞれの過去が語られていく。そして…。友情というか、同士感覚というか、微妙な心象が読むほどにきっちり伝わってくる。壮大なテーマや見通せないほどの深みがあるわけではない。むしろどこにでも有りそうな話、という感覚を与えがち。そのせいか、芥川賞を受賞したにもかかわらず、選評をよむとストレートに押している選考委員があまりいない。

 こういう小説、読むと書いてみたいと思うひとも多いハズ(私もそう思うひとり。あー恥ずかし)。だけどいざ書こうとすると、うまくいかないもの。プロットが先行して科白が上滑りしてしまう。あるいは逆に、微細な会話に力が入りすぎて、浮き立ってしまったり、全体が成立しなかったり。実際に著そうとすると難しいのだろうなあと思う。

 その難しさが容易に想像つきつつ、もうひとつの収録作『貝から見る風景』を読む。こちらにもそんなシーンがある。主人公・敦が同棲相手の鮎子を相手に、なぞのスナック菓子「ふう太郎スナック」の話をするくだり。さんざんその話で盛り上がって、鮎子は「もう寝なきゃ」と目覚まし時計をかける。「ふう太郎のふの字でも口にしたらひどいよ」と明言して。しかし敦はどうするかというと、「我慢できずに『ヒ』と声を出した。鮎子は怒って、自分が寝るまでハ行の言葉を言うのは全部禁止だ」と布団を蹴る。

 こういう(一見)ちょっとした(ことのようにみえる)描写。私にはけっこうぐっと来るのです。「あー日常だ」と。激しく劇的でもない、大上段でない、日常を丹念に描くってむずかしい。だけどそれがハマると、読む者には強い印象を残す。
…そんな文章、138回に及ぶ「リアルコンノ」で一度でも書けているでしょうか。如月最終日、自問する私です。

投稿者 近野宏明


#137 読了日記026 『陛下の御質問  昭和天皇と戦後政治』

(2007/02/26)


 

・ 岩見隆夫 『陛下の御質問 昭和天皇と戦後政治』 (文春文庫)

 激動の時代、昭和天皇は折々にどのようなご質問をされたのか。その「御質問」にほの見える昭和天皇のお人柄、お考えとは…。いわゆる「内奏」とよばれる天皇への内外情勢の報告・進講を行った、国内外の政治家や高級官僚などの証言を中心にした、興味深い労作。
ときに鋭く、ときに穏やかに、またあるときはユーモアを交えて。昭和天皇が発した「御質問」をめぐるエピソードは、近現代史を学んだ者にとっては実に興味深い。資料的価値も兼ね備えた一冊である。

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  ところで私は天皇皇后両陛下をはじめ、現在の皇族方には質問をしたことはありません。しかし、昭和天皇には質問をしたことがあるのです。勿論、記者としてではありませんが。それは1983(昭和58)年4月のこと。昭和天皇の82歳の誕生日に合わせて、手紙を書いて皇居に送ってみたのです。何しろ当時の私は10歳。小学5年生になったばかり。こわいものなし、だったんですね。

070225_昭和天皇への手紙.jpgもしかしたら、社会科の授業で日本という国のしくみを学んだ頃で、興味をかき立てられたのかもしれません。「象徴」ってどういうこと?という話になったのでしょう。そこで、「天皇陛下はどんなようすで暮らしておられるのだろう」という素朴な疑問を、三枚の便箋にしたためたのです。写真はその手紙のコピーです。まずは書き連ねました。自分のこと、家族のこと、住んでいる町のことを。そして「陛下はどのように毎日を過ごされているのでしょうか」「陛下の大好きなことはなんですか」などとお尋ね申し上げたわけです。『陛下への質問』です。文末には「どんなに短くてもかまわないので、返事を頂けるとうれしいです」とまで書いています。ずいぶん念入りな小学生ですね。

  後日、返事の入った封書が届きました。ドキドキしながら封を切ると、陛下からの返信…ではなく、侍従が書いた手紙が入っていました。すこしざらっとした、和紙のような趣も感じる縦書きの便箋に、万年筆で丁寧に書かれた文面。そこには、陛下の公務や、休息時間の過ごし方などが、小学生にもわかるよう説明されていました。そして陛下が大好きで楽しみにしているのは「大相撲」とも。翌日、学校にその手紙を持っていき、仲間に見せて報告したのは言うまでもありません。

  今にして思えば、このやりとりが「自分を含む多くの人の好奇心を、自分の行動で満たす」という原体験になった気がします。それは取りも直さず、取材記者の仕事に通底します。『陛下のご質問』を読むとき、24年も前の思い出がよみがえります。まったく個人的な、普遍性のない読書体験です。

投稿者 近野宏明


#136  長幼の序

(2007/02/23)


 

070223_小西プレゼン2.jpg今週前半は、自民党の中川幹事長の発言がニュースとなりました。改めて紹介しますと、発言は宮城での講演の中でのこと。「内閣総理大臣が入室した時に起立できない政治家、私語を慎めない政治家、それは美しい国つくり内閣にふさわしくないと思います。自分が目立つことを最優先に考えるそんな政治家は内閣、官邸から去らなければならない」。…与党幹部による異例の苦言ですが、こうして字面そのものを見ると、至極もっともという感もあります。この発言、夏の参院選への危機感にもとづく「ゲキ」という見方があります。いっぽう安倍総理の求心力低下の現れとも。

 この種の「ゆるみ」は、そもそもリーダー自身にじゅうぶんな風格が備わっていれば起きないはず。万一起きたときには、リーダーの周辺がそれとなくしめる、おさめるのが通例でしょう。今回はそのいずれもみられないと言うことで、止むに止まれず外部から苦言を呈したというのが、政治通の見方です。

070223_小西プレゼン1.jpg『リアルタイム』では小西キャスターのコーナーでも取り上げ、小泉内閣当時との映像比較も行いました。確かにそこには歴然たる差が。一人一人の私語や立ち居の乱れは小さいかもしれませんが、それが多くの閣僚にみられると、「区切り」とか「けじめ」がつかないものだなあと思います。自分の周囲で考えてみましょう。本当に風格や威厳を伴う人物、一目置いて敬意を払うべき人物が現れたら、やっぱり自ずと心身が引き締まるものです。

 中川幹事長の発言は、若い安倍総理を支えるべきベテランに向けられた声という指摘もあります。安倍総理は現在52歳。年齢の近い例としては田中角栄です。彼が総理になったのは54歳のとき。でも当時、その年齢を理由に軽んじた人がいたのか?恐らくいなかったはず。正真正銘の実力に裏打ちされた、目に見えない強い「圧」みたいなものが、彼の身体全体からみなぎっていたんでしょう。

のちの事件など最終的な功罪は別として、総理就任当時の田中角栄は日本の政治史でも例外的なバイタリティと権勢を手中にしていたので、比較の対象として適切かは分かりません。しかし、たとえ往時の田中角栄に比肩するまでの「圧」を備えていないとしても、閣僚にとって総理とは年齢や当選回数の多寡といった「長幼の序」を超越して敬意を払うべき対象のはず。なんといっても閣僚は、有権者の代表たる国会議員によって選ばれた総理によって、任命された職なのですから。20日の閣議では閣僚の「お行儀」は改まったようですが、今後もその緊張感が続くのか。注視していきましょう。

投稿者 近野宏明


#135  決意?

(2007/02/21)


 

 時に生放送は無意識の「勢い」を生むことがあります。怖いです。ホントに。何のことかと言えば、「マラソン」を巡る発言です。私の。
 18日の東京マラソンは、成功裡のうちに行われました。3万人余の参加者と沿道の市民、多数のボランティアを含む運営がひとつになって、大きな混乱も有りませんでした。じつは日本テレビや、報道局内にも意外に多くの参加者がいたんです。かなり前から準備をしていて、それぞれに意気込んでいました。
もっとも直前になって「どうしよう~」「練習が足りない~」「体調が心配~」なんて、ちょっと焦っているお茶目な人もいましたが(でもしっかり走りきったようです)。

 1月29日の本稿で「私でも、走ることの気持ちよさに憧れを抱きます。帰宅したらきょうは走ろうかな…とかなり真剣に思ったぐらい」と書きました。その後2月に入って、わずかずつではありますが、その気持ち、強まっているんです。それはひとえに職場のランナーたちの様子を知ったから。東京マラソンに参加する人はもちろん、抽選に漏れた人のため息も、「ふぅん…」と考えさせられたわけです。

18日は暖冬とは思えぬ生憎の冷たい雨模様、夜明けに目覚めると強い雨音が聞こえて、「あらら…雨だ、けど知事肝いりの大会だから絶対中止はしないだろうなあ」と思いました。でもテレビでランナーたちの姿を見ると、じつに溌剌としている。走ったあとはこぼれんばかりの「爽快感」を顔いっぱいに浮かべている。すごく羨ましいと感じたのであります。

070221_町あせい.jpgで、話は冒頭に戻ります。月曜日の『リアルタイム』、東京マラソンの悲喜こもごもを取材した山本真純キャスターが、「来年は近野さんもどうですか?」と問うてきました。そのとき、猛烈な「勢い」があったんです。私の周りには。で「はい。きょうから陰練(陰での練習)します」と言っちゃったのですね。さらに、インターネットで配信している放送後の動画ブログ(https://al.ssl.dai2ntv.jp/blog/realtime/)でも「勢いの上塗り」しちゃいました。よければその「決意?」のほどをご覧下さい。

…としたためていると、朝ニュースを終えた町亞聖キャスター(ことしランニングを始めた)がやってきました。隣席でぶつぶつ言ってます。「近野さぁ、走れないくせに書かない方がいいよぉ」だって。ホントに口の悪い同期です。ま、当たらずとも遠からずなんですが。…と書いたら「だって当たってるでしょ!」と、ド突かれました。次回の東京マラソンは、走っているのか、単に取材しているのか。…と書いたら町は「こんちゃんはぜったい走らないよぉー!」。つくづく信用されていません。なぜだろう。涙。

投稿者 近野宏明


#134  特別

(2007/02/19)


 

070219_ネクター.jpg不二家の「ネクター」を、「お土産」に頂きました。急速に店頭や自販機から姿を消しているので、いま必死に探しているファンもいるとか。このネクターは、ある地域への出張から帰ったスタッフが持ってきてくれたものです。原料の消費期限切れ問題で揺れに揺れる不二家。バレンタイン商戦にも加わることなく、このあと迎えるひな祭り、ホワイトデー…。

  先日、『リアル目線』のコーナーで、不二家の関係者やファン、一般の消費者の「つぶやき」を取り上げました。印象に残ったのは、不二家には固有のファンが確実にいたということ。そして、ファンの思いをどれだけ裏切ったかということ。私の年代よりも少々上の世代の皆さんにとっては、とりわけその思いは強いように感じられました。

  何か月かに一度の「お出かけ」の際に、不二家レストランでデコレーションたっぷりのプリンやパフェを食べる。誕生日やお祝い事のときに不二家のケーキを買ってきて、自宅で包みをほどく。そうした特別なイベント、格別な思い出とともに不二家のお菓子があるようです。コラムニストの泉麻人氏も、銀座レストランでの思い出をあちこちに綴っていた記憶が…。私も、同じ新潟出身のスタッフと話をして、新潟の繁華街にあった不二家レストランに、ちょっと晴れがましい、ちょっと華やぐ思い出を持っていることをお互い確認しあいました。

  「つぶやき」のコーナーでも、目を輝かせて幼い日々の思い出を語る主婦、ひとしおの思いを持ってケーキを売っていたフランチャイズ店の夫婦と、立場はそれぞれですが、不二家への特別な何か、をことばで表現していたのです。特定のメーカーや特定のチェーン店に、それだけの「特別な何か」を抱くことって、稀なことだと思います。皆さんにはそんなメーカーがありますか?

  それゆえに、「特別」を汚され、裏切られたという事実はじつに罪なもの。これから不二家はファンのつぶやきをどれだけ真摯に受け止めて、再生を図るのでしょうか。そして、容易には築くことのできない「特別」をふたたび提供できる日は来るのでしょうか。

投稿者 近野宏明


#133 読了日記 025 『屈託なく生きる』

(2007/02/16)


 

 「気にかかることがあって、心が晴れないこと。ひとつのことにこだわって、くよくよすること」…『大辞林』による「屈託」の説明です。たしかに、凡夫なれば人生「屈託だらけ」になってしまいがち。しかし人生の達人はどこにもいるもの。この類の人物取材では右に出る者がない筆者によるインタビュー集です。88年に出版された少し旧い本ではありますが、心を捉えるくだりがいくつもあるので紹介します。

・城山三郎 『屈託なく生きる』 (講談社文庫)

政財界、スポーツ、学術、芸能の各分野で名を成した10人に対して、城山氏流の問答が繰り広げられる。中でも改めて読むとストンと胸に落ちるのは、きょう(2月16日)3年ぶりに宮崎キャンプを視察する、「ミスター」長嶋茂雄氏のことば。

20年前のミスターのことばでとりわけ傾聴に値するのは、「プロとは何か」ということ。ミスター曰く「いかにエレガント、いかにダイナミックにお見せするか」。プロの仕事は単に求められる実績を上げるだけではダメだと。「エレガント、ダイナミック」という表現は、私たちのような人前での仕事にも求められる要素の一つなのだろう。「お伝えすることのプロ」として、エレガントでダイナミックに…ううむ。

070216_チョコ2.jpgそして耳が痛いのは、「プロとして一番醜態っていうことは、エクスキューズだと思うんですね」ということば。長嶋選手・王選手のいない巨人軍を率いた第一次監督時代。その逆境にあっても「このネタ(=選手陣容・近野註)じゃ勝てないという、そういうエクスキューズはぼくは言った記憶ありません」と回想する長嶋さん。誰でも自分の失敗を素直に認めたくないもの。何かに責任を転嫁したり、不可抗力を殊更に強調したり。けれど、プロたる者は言い訳をしちゃいけないと。これは非常に難しいこと。言い訳をさせると天稟の冴えを見せる、なんていう人もいますが、これなぞ以ての外であろう。ミスターはそこまで語っていないが、自分の落ち度は虚心に認めて、次に結果を出すことが、プロのプロたる証左だと読みとれた。

ことはプロスポーツに限らない。自分自身の職務に、自分自身に課せられた期待に、プロとしてどこまで応えられるのか、スーパースターの発言から学ばされた。
もちろん、ほか9人の面々も読みどころ満載です。 

 *写真は、バレンタインでプレゼントされたチョコレートを「屈託なく食べる」私です。本文とはほとんど関係ありません。この場を借りまして、チョコレートなど贈ってくださった方々に御礼申し上げます。毎日美味しく頂いております。 

投稿者 近野宏明


#132  候補

(2007/02/14)


 

かの国では、来年の決戦に向けての名乗りが相次いでいます。アメリカ・大統領選挙のことです。民主党はヒラリー・クリントン上院議員に続いて、バラク・オバマ上院議員も出馬を表明しました。かたや「史上初の女性大統領」を、対して「史上初の白人以外の大統領」を、それぞれ目指すことになります。

オバマ候補の地元、イリノイ州のスプリングフィールドという街は、私もささやなか縁のあるところです。高校生だった19年前、この街でひと夏を過ごしました。テレビ局に勤める(今となってはなんという偶然!)父親、専業主婦の母親、そして2人の男の子。ごく一般的な家庭にホームステイしたのです。それゆえ、今回のスプリングフィールドからの記者リポートは、目を皿のようにして見入ってしまいました。

この街はイリノイの州都である以上に、16代大統領リンカーンゆかりの地として有名です。ここでは街のあちこちに、リンカーンを偲ぶ施設やモニュメント、リンカーンの特徴有る風貌をかたどった表示物などがあるのです。南北戦争による国家分裂の危機を乗り越え、奴隷解放を宣言したリンカーンは、街の誇り。当然オバマ氏もそれを意識しての言動が目立ちます。「出馬宣言」を行った旧い州議事堂は、147年前にリンカーンが選挙の拠点を置いたところ。私のアルバムにも議事堂の威容はしっかりおさめられています。

オバマ氏は出馬宣言で気勢を上げました。「この場所でリンカーンはかつて言った。『分断されたアメリカよ、共通の希望と夢を持って一緒に立ち上がろう』と。そして私は今あなた方の前に立ち、大統領選挙に立候補を宣言する!」と。分断されたアメリカを憂うリンカーンの発言をゆかりの地で引用しながら、イラク問題などをめぐって迷走を続ける現下のアメリカへのメッセージを謳いあげたわけです。なるほど、「リンカーンの街」であるスプリングフィールドの市民で埋め尽くされた会場が異様な熱気につつまれたというのも、容易に想像がつきます。

アメリカ大統領選挙は長い長い政治イベント。アメリカ流民主主義システムを国民が再確認する定期的なプログラムなのだ、と意味づける向きもあります。ならば、単にブッシュ政権の8年間を検証するだけでなく、アメリカの有権者自身が、この8年間の自らの政治行動について検証・再確認してほしいと思います。望むと望まざるとに関わらず、アメリカの有権者が下した判断が世界情勢に与える影響はあまりにも大きいのですから。

投稿者 近野宏明


#131  朝食

(2007/02/12)


 

 平日は慌ただしく出かけて、朝食も出社してから軽めに、というパターンが多い私です。かつて麹町社屋の勤務だった頃は、定時よりも30分早く出社して、地下の社員食堂でしっかり朝ご飯を食べてから報道フロアに上がったものですが。不規則な記者業務ですと、「次の食事をきちんと摂れるかわからない」というリスクが常に伴います。ま、「リスク」っていうほど大袈裟なものでもないのですけど。いったん取材に出てしまうと昼食が摂れない恐れがあります。そうなると、朝ご飯をきちんと食べておくことは非常に大切です。

070211_ホットケーキ.jpg食事をめぐる告白。私は、そのときその状況でベストの食事をしたい、という気持ちがひとより強いのです。「やっつけ」の食事はイヤなんです。ゆえに、許された状況下、「あれを食べよう」と思い立ったら妥協することはまずありません。この週末もそうでした。日曜の朝はホットケーキを食べよう!と、ふと思い立ったのです。日曜は泳ぎに行くので、その前だったらたっぷり食べてもいい(ことにしよう)と。

 で、音楽を聴きながら焼いたのが写真のホットケーキであります。きつね色に、じつにいい塩梅に焼けました。ソースは普通のメイプルシロップと、黒ごまペーストもブレンドしたシロップ(写真右上がそれです)の2種類。そして土曜日に八百屋さんで買ったいちごも。形や大きさはとんでもなく不揃いながら、甘みも酸味もちょうどいい。あ、これから週に一度の運動に臨むわけですから、さすがにバターを塗りませんでしたし、生地の牛乳も「低脂肪」に変えました。ほとんど意味がないですけど。こうして作ったホットケーキ、手前味噌でありますが、ちょっとない美味しさ。生地のしっとり加減、シロップの吸いかた、絶妙であります。何も入れないコーヒーとのコンビプレーは最高です。
 3連休の最終日、きっと今頃の時間は朝昼兼ねた食事にホットケーキを焼いている方もいることでしょう。きのう自分で作って食べたのに、すでにご相伴にあずかりたい。

 食べものの話を書き始めるとキリが無くなります。何しろ食べることは好きなので。本欄ではあまり取り上げなかったのですが、きょうは例外。祝日に免じてお許しを。…また書きそうだなぁ…。

投稿者 近野宏明


#130  暖冬

(2007/02/09)


 

 言わずと知れた、暖冬です。東京ではあす2月10日が、これまでの「最も遅い初雪」の記録。1960(昭和35)年のことです。天気予報を見る限り、どうやらこの記録は更新されそうですね。私のデジタルカメラには、去年1月21日の写真が残っているのです。観測点での積雪記録は9センチでしたが、我が家の周辺では10センチ以上積もって、一面の雪景色でした。

 それから1年。ことしは暖冬ゆえに、ふと気付くと使っていないものがあれもこれも…。私の場合、ベージュ色の分厚いコートがその筆頭。さらに、厚手の毛糸の手袋も同様。靴も、冬用のあったかいブーツは掃いていません。寒い外での取材用に、鞄にはいつもスパッツを入れているのですが、これも一度も履かないまま。暑いのは我慢できても寒いのは辛すぎるので、私はかなり「寒さ心配性」の気があるのですが、それでもほとんど「防寒系」のものは使っていないことがわかります。あ、使い捨てカイロも常に鞄に入れていますが、これも今冬は封を切ることがありませんね。

070211_チューリップ.jpg第2日テレで配信中の「動画ブログ」でもお話しましたが、我が家では年末に植えたチューリップが、いくつも顔を出してきました。その丈も、ちょっとやそっとではありません。いちばん伸びたものは10センチを超えています。このままいくと花はいつ咲いてしまうのかという状況です。

 外で仕事をされる方々にとってはしのぎやすい日々ですが、このままいくと雪が降らないまま春を迎える可能性も…。ある程度は冬らしい天気にならないと、夏場の水不足なども心配になってきます。わがままな考え方であることは重々承知しているのですが。

投稿者 近野宏明


#129 読了日記024 『満鉄全史 「国策会社」の全貌』

(2007/02/07)


 

 本稿でも複数回「日露戦争もの」を取り上げましたが、本書は日露戦争で日本が得た直接の戦利にかんする一冊。満州をめぐる日本外交や大陸政策を繙きます。

・加藤聖文 『満鉄全史「国策会社」の全貌』 (講談社選書メチエ)

070207_満鉄.jpg日本の満州支配の中核的組織と位置づけられる「満鉄」=南満州鉄道株式会社。その40年ほどの社史は、以後の歴史で巷間思われているほどの一貫性も統一性も無い、そのことを著者は序文で強調している。「近代日本の迷走を体現」「満州支配は何ら統一された意思も構想も実行もないまま、さまざまな矛盾を抱えながら進められ、そして破綻していった」。
 膨大な資料に基づく設立から解散までの通史であるいっぽう、ところどころで多士済々の列伝ふうエピソードも加えられて、読み物としても非常に面白い。しかし、読み進むにつれて、ちぐはぐな組織運営、政治や軍事による一貫性のない容喙、組織の機能不全と、斎藤健が『転落の歴史に何を見るか』(ちくま新書)で指摘したのと同様の、日本近代の凋落が手に取れるように表現される。その結果至った、究極的な責任の欠如。本書を虚心坦懐に読みさえすれば、少なからざる人々がいまなお抱く、特急「あじあ号」に代表される満鉄ノスタルジーなど吹き飛んでしまうであろう。

 ところで興味深いのは、100年前の世界では「鉄道」が植民地支配の要諦であったこと。中国大陸でも、鉄道を巡る列強の争いが優劣を決する重大な要素だったのですね。その中国は21世紀のいま、国際社会に大きな存在感を示すまでになりました。ではいま中国の何が、国際社会にとって共存共栄のカギになるか、私は様々な人に訊ねてみました。「エネルギー」「環境」「水」…それぞれの立場からの答えはじつに興味深いものが。日本は近代の凋落から何を学び、21世紀にどうその反省を活かすのか。その立場にない私でも、あれこれと考えを巡らせるきっかけとなる一冊でした。

投稿者 近野宏明


#128  お気に入り

(2007/02/06)


 

 またも、週末に本を買いだめしてしまいました。読み終わらないうちに買ってしまう。もはや止めること能わず。リビングにも枕元にもトイレにもお風呂にも階段にも、至る所に本が積んである我が家であります。当然、本棚は飽和状態です。

070204_購入した本.jpg問題のひとつは、本が好きということと同様に「書店が好き」ということかもしれません。旅行や出張で知らない街に出かけると、必ず書店には入ります。さらには、「お気に入り」と呼べる書店まであるので困ってしまいます。この週末にもでかけたそこは、学生街の一角。決して大きな書店ではありません。規模としては商店街の個人営業の書店だって、これぐらいの店はあるぐらい。でも、決定的に異なるのはその品揃えです。奥行きの深い店内、入ってすぐの平積みのセレクションが素晴らしい。いわゆる大手出版社の売れセンではない、ちょっとマイナーな、知的好奇心を刺激されるものがずらりと並んでいるのです。

 必ずしも、自分の好きなジャンルど真ん中だけではないというのもポイントです。学生街という土地柄か、社会思想系の品揃えが豊富なこの書店。自分の趣味にちょっとかぶる、というのが嬉しいところなんです。確かに、ビル丸ごとという大規模書店に行けば、ありとあらゆる本はあります。ですが、書店の独自基準で選り抜いた本だけが置いてある、適正なサイズの書店なのにその店のこだわりがある、そういうところがこの店の美点なんですね。…ベタ褒めですね。

 そういうわけで、私はこの書店に通うのが止められないんです。週末の夜、時間があるとふっと足を運びたくなるお気に入りの書店。帰りにコーヒーショップで帰宅を待たず真新しい本を開く。片道30分をかけてもその価値あり。皆さんはそんなお店、ありますか?

投稿者 近野宏明


#127  安全

(2007/02/02)


 

 結果としては地上波のニュースとしての放送はありませんでしたが、きょう東京・世田谷で突発事件の通報がありました。その現場に行くと、そこは風見しんごさんの愛娘、えみるさんの交通事故現場とは100メートルほどの場所。事故後2週間余りが経って、現場がいまどうなっているのか、ようすを見てみました。

070202_えみるさん現場.jpg先月17日、細い路地から右折して駒沢通りに出てきたトラックが、えみるさんを巻き込んだその場所。たくさんの花束、お菓子や飲料が路傍の植え込みに供えられていました。えみるさんの自宅からすぐ近くでの事故です。通学の途上ですから、きっと大勢の友達や、同じ小学校の仲間たちは毎日、この場所を通るのでしょう。その度に、えみるさんのこと、事故のことを思い出すに違い有りません。子どもたちの心中を察するに、こちらも胸がいっぱいになります。改めて、ご冥福をお祈りします。

 この事故をお伝えしたあと、子どもの交通安全について調べてみました。警察庁のまとめによると、おととし1年間で、交通事故により15歳以下の子ども182人が亡くなっています。10年ほど前には400人近かったので、減少傾向にはあります。それでも2日に1人、子どもが交通事故で命を奪われているのです。けが人に至っては、8万8447人。道路上での子どもの安全が、どれだけ脅かされているかを如実に示す数字です。

 全国の皆さんにお伝えできるニュースは、これだけ多い事故のうち、ほんの一部分に過ぎません。悲惨な事故の報道をきっかけに、それぞれの地域で交通安全をあらためて考えて頂ければと、痛切に思うところです。また私自身もドライバーのひとりとして、これまで以上に運転には気を引き締めてまいります。
 

投稿者 近野宏明