はじめから逃げ場がなかった“痴漢男”
10月下旬のある日、通勤時間帯の電車内で1人の男が隣に座る20代女性の胸をめがけて手を伸ばしていた。女性は眠ったままで気がつかなかったが、近くにいた乗客の男女2人が異変に気づく。偶然乗り合わせた男女2人。その連携プレーが男を追い詰めていく。“痴漢男”に逃げ道はなかった。
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ことし10月のとある平日の午前7時半すぎ──。東京・港区の「新橋駅」を出発した「ゆりかもめ」の車内で、紺色のスーツを身にまとった20代の男は腕組みをしているように見せかけて、隣に座る女性の胸にその右手を伸ばそうとしていた。
男の隣に座っていたのは、20代の女性。週末に差しかかり、日頃の疲れが出たのかウトウトと居眠りをしていた。隣に座る男の手が迫っていることには気づく様子はない。
しばらくして男は伸ばした右手で、その女性の胸を触った。ある人物に犯行の一部始終を見られていたとは知らずに──。
男の目の前でつり革を持ち立っていた50代の女性は男の不審な動きに気がつくと、すかさずスマートフォンを取り出した。
ビデオカメラ機能を静かに起動させ、目の前で起きているその様子を録画していく。
「証拠はおさえた」
あとはこの男を取り押さえるだけだが、1人ではきっと厳しい。そう考えた女性はスマートフォンのメモ機能を立ち上げて、こう打ち込んだ。
「目の前の男が痴漢をやっています。次の駅で男を降ろします。協力してください」
女性は隣に並んで立っていた若い男性にスマホ画面のメモを見せた。男性は20代。メモに目をやると戸惑うことなくしっかりとうなずいた。
電車が「お台場海浜公園駅」を出発した直後、50代の女性がスーツの男に声をかけた。
「痴漢やったでしょ。降りなさい。」
その言葉に、男は意外にも素直に応じた。次の「台場駅」に電車が到着し、ドアが開くとスーツの男は50代の女性と若い男性に連れられてホームに降りた。
しかし次の瞬間、男は2人を振り払い脱兎(だっと)のごとく走りだした。
高架上を走る「ゆりかもめ」。男はホームを勢いよく駆け、改札を通過し地上へ下りようとするが、男は慌てていたのだろう、階段ではなく上りエスカレーターを逆行したのだった。
しかし、いくら逃げても男に逃げ場はなかった。車内で静かにうなずいた若い男性がそのあとをしっかりと追いかけていた。
追いかけていた男性は余裕だった。そして、冷静だった。男性は、男を追いかけながら、頭の中でこんな勘を働かせていた…。
「男はエスカレーターで疲れるだろう。危険だから、あえてエスカレーターでは捕まえずに男を走らせ体力を削らせよう」
男性の予想は的中した。
スーツの男は上りエスカレーターに逆らって駆け降りたせいで疲れが見えはじめ、ホームから200メートルほどの場所であっけなく男性に身柄を確保されたのだ。
男は、東京都迷惑防止条例違反の疑いで現行犯逮捕されると、そのまま近くの警察署に連れて行かれた。
痴漢行為をいち早く発見し、さらにはスマホで証拠をおさえた50代の女性。そして、その女性からの依頼でスーツの男を冷静に追いかけ確保した男性。たまたま同じ電車に乗り合わせた通勤客2人による見事な連携プレーだった。
この2人、男を確保したあとそれぞれ勤務先に向かったがなんとそこは同じ場所だった。
警視庁・東京湾岸署──。
実はこの2人、同じ署に勤める警察官だったのだ。張り込んでいたわけではない。全くの偶然に乗り合わせていたのだ。50代の女性は刑事の経験もあるベテラン警察官。20代の男性は、現役の刑事課の刑事。2人に面識はあったが、女性警察官は電車内では男性警察官には気づかず、あくまでも一般の人だと思って協力を依頼していたという。
ただ、見事な連携プレーで男を捕らえた背景には、警察官同士ならではの「あうんの呼吸」があったのだろう。
警察官は制服を着ているときだけが警察官ではない。通勤途中でもその目を光らせている。
※写真:台場駅で逃げる男(イメージ)