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空から砂が…実は「死の灰」元船員の思い

2019年8月16日 15:45
空から砂が…実は「死の灰」元船員の思い

終戦から9年後の1954年、アメリカの水爆実験によって被ばくしたマグロ漁船・第五福竜丸。その船でマグロ漁を行っていた元乗組員・大石又七さんに当時の話を聞きました。

1954年3月1日、マーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカの水爆実験により被ばくしたマグロ漁船・第五福竜丸。23人の乗組員全員が被ばくしました。先週、その中の1人、現在85歳の大石又七さんに話を伺いました。

大石さん「(Q:第五福竜丸に乗ると決まったのは何歳のころですか?)20歳ですね」

事件当時、船内で仮眠していたという大石さん。突然空が明るくなり、地響きが聞こえると、“白い砂”のようなものが大量に降ってきたといいます。

大石さん「(Q:白い砂を触ったりもしたんですか?)しましたよ。だけど熱くもないし、ただ本当に白い砂を触っていた。サンゴ礁のカケラだから、砂とも思うでしょ」

大石さんが白い砂だと思っていたものが、実は「死の灰」だったのです。その後、大石さんたちの体に異変が――

大石さん「黒く顔が真っ黒になって皮がむけて、水ほうができて水がたまる。自分の体が弱って、私がだんだんひどくなって、おそらく死んでいくんだろうなって思っていたから…」

港に戻り検査すると、「急性放射線症」だと診断されました。この時初めて、自分が放射線を浴びていたことを知ったといいます。

約1年半の治療を経て退院した大石さんは、静岡県から東京へ引っ越しました。そして、15年もの間、差別や偏見を恐れて、自身が被ばくした元乗組員であることを隠しながら生活していたといいます。

大石さん「(Q:第五福竜丸に乗っていたことを話さなかったのはどうしてですか?)我々のそばにいることをみんな嫌がったわけ。近づくと(放射線が)うつるからと」

しかし、元乗組員たちが相次いで亡くなる中、この事件が忘れられていくことに危機感を持ったという大石さん。事件から30年たち、初めて“語り部”として活動していくようになります。

大石さん「やっぱり核兵器というのをなくして、放射能が自分たちの体の中に入らない世の中にしたい。魚の中にも野菜にも放射能がないものを食べて、自分たちが少しでも安心できるような世の中に変えていきたい」