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箕輪厚介氏に聞く“若者×選挙” 3

2019年7月19日 18:36
箕輪厚介氏に聞く“若者×選挙” 3

この夏の参議院議員選挙を控え「the SOCIAL」では、「若者が投票に参加する意義について」箕輪厚介氏に聞いた。


Q:どうしても難しい、1票のリアリティーを感じ取ること。

箕輪氏:1票のリアリティーって難しいよね。郵政民営化とか大阪都構想みたいにそれこそ争点が明確だったら1票のリアリティーって出ると思うんですよ。しかもそれが結構、世代間闘争になってたり、“既得権益”VS“新しい権力権益”だったり、“新しい勢力”ってなっているとそれこそ一票一票っていうものがすごい価値があると感じていくと思うんだけど。

争点が分かりやすくなくて、「ぶっちゃけどっちでもいいし、たぶん与党っしょ」みたいな時においてわざわざ自分の時間を使ってその1票を投じるっていうリアリティーはなかなか。それが必要なんだっていくら訴えかけても、現実、目の前の生活とか目の前の遊びと比べたとき、どこまで説得が効くのかいうのがわかんないよ。

ぶっちゃけさ、テレビで見られる側になってこういうこと言うと超批判されるから言わないけど、そんなに選挙には行かないでしょうって思うんだよね。でもそこからスタートしないとダメ。リアリティーが逆にないと思う。ぶっちゃけ行かないってところからスタートして話し合いを始めないと。みんなついてこない気がするからそこから考えるみたいな。

単純にみんなお祭り好きだから飛び道具だけど、お祭りやってれば行くけどね、みたいな。縁日みたいにヨーヨーすくいとか金魚すくいとか。なんかそういうのがあれば行くんじゃないかな。


Q:アメリカの大統領選挙には感じられる“祭り“の要素

箕輪氏:あんな風になったらそれこそイベントだから盛り上がるし、行くと思うんだけど。でもそれが目指すべき正解なのかなって気もするんだよね。いわゆる煽りあって、ある種、真実よりもムーブメントとか勢いになってしまうことが。今SNSとかで非常に極端な意見が刺さりやすい世の中になってるから、「めちゃめちゃイベントにしようぜ!」っていうノリもある種の超ポピュリズム的になるような気もして。

わかんないけど、それを利用する人がいるからさ。なんかもうちょっと自然に、能動的に自分たちの日常として政治に興味を持つし、変に極端な方に振れないで、「政治って大事だよな」って「自分たちもその一部だよな」って思う方法があればそれが一番いいような気がする。


Q:“自分事”として感じるために必用なことは?

箕輪氏:友達一人でも議員にいるとだいぶ違う。マジで普通の友達が政治家っていうと結構リアリティーがあって、「そういう風に選挙ってやるんだ」みたいな。リアルに考えてて、例えば若者票が欲しいとSNS層が欲しいから僕とかと仲良くしてるようにする、それはNewsPicks好きみたいな界隈とつるんでるように見せられる。けどネクタイは外せないみたいな。それはやっぱりこっちの票(高齢者の票)も大きいからみたいなそういう話を聞くとなんか面白いなって気がする。選挙戦もそういう信長の野望みたいに戦略とかを考えるのは面白いんだけどね。


Q:自分事として感じ取ってもらうためのメディアの伝え方って何だろう。

箕輪氏:選挙速報は、コンテンツとしてめっちゃ面白いじゃん。なんか政治家は喜んだり悲しんだりして裏側の顔が出てきたりする。だからそのあおりは観てみたいよね。

それとやっぱりもっと投票率を上げたり、注目度を上げるには、やっぱりクリエイティブはカッコ良くならないとダメだなと思ってて、政治家とかって人脈も金もあるはずなのに。動画とかクソださくない?箕輪編集室の動画なんかの方が全然かっこいいのよ。やっぱあれじゃ盛り上がらない。デザインセンス、ホームページとかなんだとか、全部ダサすぎだろっていう感じだから。やっぱクリエイティブがかっこよくならないとこっちもなんか乗れないよね。

「だっせーな」「違うだろう」って気がするんだよね。あの辺のセンスも結構すごい大事だと思ってて、僕もイベントとか開催したり、本のプロモーション動画とか作るんだけど何を言ってるかより本当にデザインセンスとか動画のクオリティーで結構変わるんですよね。この登壇者とこの登壇者とこの登壇者を呼んだイベントっていってもそのチケット募集の時の、あおり動画がカッコイイだけで一瞬で集まる。

それがなんか素人が作ってるみたいな文字と写真だけみたいになると全然集まらないから。そこのクオリティーが低いっていうのは若者にとっては結構、興味を失うっていうのが実は小さそうで大きい問題な気がするな。


Q:“選挙に参加する”以外で若者が選挙に影響を及ぼすことがあるのだろうか。

箕輪氏:あります。でもなんか首相官邸の人が箕輪編集室にいるみたいな、首相官邸のインスタやってる人は、そういうのを言うとやっぱり国のこととかってみんな遠く感じてるけど、携わりたいし、ある種凄く名誉な仕事だとは思ってるから、皆めっちゃ盛り上がる。若者をガンガン起用すればいいのにって気がするよね。その辺の縛りがどうなってるのかわかんないんだけど、身近な人が政治に関わってるっていうのもやっぱり増やすべきだと思う。

政治に関わっている人って周りに普通にいないじゃん。政治家か、政治家じゃないか、みたいな。中間点な人がいて、政治って別に特別なもんじゃないっていう風になっていくと投票っていうのももっと身近になる気がするよね。

「参議院選挙って一言で何が変わるのかよくわかんない」っていうのあるよね。参議院議員で、選挙でどうなるのみたいな。それだったら、「その1時間、自分の英語の勉強に使うわ」みたいな。自分が変わった方が早い気がするなというか、思う人は多い気がする。

ある種、若いうちはそれでもいいような気がするんだよね。その政治に対してああだこうだ言う風に。要はこれっていつも言うと批判されるんだけど、“個人のあり方と社会のあり方は違う”って、自己責任論みたいなのを言い過ぎて、でもこれって言ってるのはまさに正しいし、その通りだと思う。まあ若い人が自分で変えてやるぜっていう、政治がどうとかじゃなくてっていうのはまずベースとしてあるべき。

その上で大きな枠組みとか社会のあり方っていうのは個人個人がやっただけでは誤った方向に行っちゃうし、それこそ、その競争からこぼれ落ちた人を救えなくて社会全体のバランスが悪くなるから社会のあり方も考えなきゃいけないというのはその通りなんだけど、なんか変に政治政治って言いすぎる人も。Twitterとかで政治家の文句ばっかり言ってる人もいる。「自分で頑張れよ」とも思うんだよね。悩ましいとこだけど。