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被災者の悲しみ一緒に…お坊さん喫茶の活動

2019年3月11日 14:31
被災者の悲しみ一緒に…お坊さん喫茶の活動

東日本大震災から8年。心の傷を抱えた被災者に寄り添い続ける、ある住職の活動を取材しました。(※映像では当時の津波の映像が流れます。ストレスを感じた場合は、視聴を控えてください。)

2011年3月11日。津波を逃れて、町の高台から撮影した当時の石巻市の様子――あれから8年、同じ高台から見た、いまの石巻の復興住宅の一角で、ある集会が開かれていました。

「みなさん、どうもこんにちは。確かここに来たのは3年前くらいかな。3年ぶりでみなさん、若返りましたね。順調にお年を召しましたね(一同から笑い声)」

この会を主催しているのは、曹洞宗通大寺の住職・金田諦應(たいおう)さん(62)。被災者の話を聞いてまわる「カフェ・デ・モンク」という移動喫茶を開いているんです。「モンク」とは、英語で「お坊さん」という意味、被災者の不満の言葉「文句」と、苦しみ「悶苦」を掛けた名前でもあるんです。

布教活動を禁じた上で、仏教や神道、キリスト教、イスラム教などの宗教者が集まって、この8年で300回以上開いてきました。

金田さん「また生きていけそうですか?」

被災者の女性「んーあと何年生かしてくれるかしら、神様」

金田さん「誰にもそんなことわかんないから」

被災者の女性「(家にいるより)こんなふうに出てくると楽しいですよね。みなさんと何か月ぶりかにお会いする人もいるし」

金田さん自身がギターを演奏して、余興をすることも。被災者の大切な憩いの場となっていますが、活動を始めるまでに様々な葛藤があったと言います。

この写真は、震災から四十九日にあたる4月28日。金田さんが宗教者たちと初めて、南三陸町を訪れた時のものです。この時、感じたのは、「無力さ」だったといいます。

金田さん「ここに仏様も神様もいらっしゃるのか、という感覚になって。今まで、私たち、宗教者として、いろんな言葉を語ってきたんだけど、一切通用しないなって」

しかし、避難所で必要とされる医師たちを見て、「医者が“命”」なら「宗教者は“心”」と思い直したのだといいます。いざ始めてみると、被災者からの問いには、答えられないものも――

金田さん「『何で俺が生き残って、孫が死んだんだって、なんで俺は助けることができなかったんだ…』と。私たちは答えることができなかった。わからない、って。本当に“答えのない問い”ですよ」

この女性も、“答えのない問い”に悩み続けていました。津波で妹や友人など約30人の身近な人を亡くした大島ます子さん(71)。自身もまた、車ごと津波にのみ込まれたそうです。その現場へ、案内してもらいました。流される直前まで、一人暮らしの高齢者に避難を呼びかけていたといいます。

大島さん「でも結果的には、その方もお家ごと流されてしまったんだけど。亡くなってしまってね。後々助かってから考えれば、乗せてくればよかったなって。どっちがいいかわかんないね」

当時の判断が正しかったのか。今でもわからないといいます。

8年間、被災者の言葉を聞き続けてきた金田さん。

金田さん「笑いながら目がね、やっぱり遠くに向かってますよ、焦点が。“悲しみを背負って歩く”っていうことはこういうことなんだな、っていうふうに思いますね。おそらく一生ずーっとその背負い方を学んでいくっていうのかな。自分で自問自答しながらいくんだと思います。それはやっぱり一緒に寄り添いながら、一緒に揺れながら歩いて行く、これがとても大切なのかなと思います」

震災から8年。金田さんは、きょうも「カフェ・デ・モンク」を開きます。