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石から紙や容器をつくる?素材革命に挑戦2

2018年10月23日 18:07
石から紙や容器をつくる?素材革命に挑戦2

TBM代表取締役CEOの山崎敦義氏に聞く「飛躍のアルゴリズム」。2つ目のキーワードは、「新素材開発と無縁の中卒経営者 100年先の未来に貢献できる仕事を」。大工からスタートした山崎氏の仕事歴、10代~20代をどんな思いで生きてきたのだろうか。


■中学卒業後、大工の見習いに


――今でこそ、世界が注目する新素材を手掛ける会社を経営していますが、山崎さんは実は異色の経歴を持っています。素材の開発をする会社の経営者ということで、もとは研究者かと思いきや…違うんですね。どんな少年時代を過ごされたのでしょう。

仲間たちと遊ぶことに夢中で勉強もあまりしませんでした。元気でやんちゃな子どもだったと思います。


――スタジオに写真が出ていますが、これはいくつぐらいの時ですか。

15歳ぐらいの時だと思いますね。


――大阪の岸和田が故郷だということで、「だんじり祭」が有名ですね。

これは毎年、帰っていますね。


――昔もよく参加されていたんですか。

子どもの時からずっと一緒にやってきた仲間たちと、今でも参加してます。こうやって素材開発しながら、みんなに期待してもらって、応援もしてもらっています。会社のメンバーたちも来てくれてます。すごくありがたいなあと思っています。


――中学を卒業した後はすぐに働かれたそうですね。

すぐに大工の見習いをやったんですね。


――今の仕事と違うのでびっくりしました。

学校も行っていなかったので、なんか働かせてもらえるところないかなと。そこから大工の見習いをするようになりました。


■「自分たちでもやれる」後輩に見せたかった


――そこからは中古車販売会社を設立されたと。

そうなんです。大工を見習いで頑張っていた時は、将来は職人になって親方になると思っていましたが、5年後、10年後のことを考えた時に、もっと大きなことに挑戦したいと思って。中学校を出て、勉強もしなかったんですが、今からでも取り戻していけると。こんなこと自分たちでもやれるんだということを後輩たちにも見せてあげたかったというのがすごくありました。

大きい会社に勤めるというのは、当時の僕はまず無理なんだろうなと思ったんですけど、大きな会社をつくることだったら1%でも可能性が残ってるんじゃないかと。「よしやってみよう」ということで起業したというのが20歳の時だったんです。


■1度きりの人生、何をやり遂げるか


――そして、紙に変わる新素材をつくる会社を立ち上げましたけど、そのきっかけになる出来事は何かあったんでしょうか。

20歳で起業して幾多の事業をやったんですが、起業して10年たった頃、先輩の社長にヨーロッパに初めて誘ってもらって行った時、本当に衝撃だったんですよ。何百年も前に、何百年もかけてつくった建物があって、そこに今みんな当たり前のように暮らしていると。

僕も洋服とか好きなんですけど、本当に何百年もあるような街や建物の中で、何十年も前は中身が違ったんだけど、この景色というのは全然変わらないんだなあと、すごく感銘を受けたんですよ。

何百年もかけて街が存在していて、変わらぬ景色があると。自分が起業して10年たった時に、いろんなことで悩んで、短いようで長かったし、長いようで短かった10年でした。僕が20歳で起業したときに、30歳ぐらいの時には、ものすごい大きい経営者になっているイメージがあったんですけど、全然それがやれてなかったんです。この10年を何回か繰り返すと、僕はおじいちゃんと言われる年齢になるんだなあと。

1度きりの人生の中で、自分は何をやり遂げればいいかというのがすごくありました。何百年は生きられないんですが、何百年も挑戦し続ける会社ならつくれるなと。それをとにかくやってみようということと、僕と一緒に仕事をする仲間に、グローバルで挑戦できる仕事をさせたかった、一緒にしたかったんです。


■運命の「ストーンペーパー」との出会い


――そこで“石”というところに行き着くんですよね。

それは元々2008年に、「ストーンペーパー」と言われるものが台湾でつくられたことを紹介してくれた人がいました。その頃、日本でも環境に関する意識が少しずつ出てきていたんで、面白いんじゃないかと思って、輸入元が決まっていなかったんで、僕が台湾に行って交渉して、やるようになったんです。

――ビジネスとしては、輸入はうまくいったんでしょうか。

一言でいうと、うまくいかなかったんです。大企業からもコンセプトとしては面白い素材だと期待してもらったんですが、重くて、品質が不安定、そして価格が高かった、この3つが問題だったと。ノベルティーなどで使ってもらったんですが、広く素材として活躍するようなものにはならなかったんです。


――ストーンペーパーの輸入というのは、ビジネスとしては成立しなかったということですが、それでも諦めきれなかった理由は何ですか。

この素材が、いまみなさんに注目・期待してもらっているように、今後グローバルで起こり得る資源の枯渇の問題とかCO2の削減というところでは、大きく貢献できると。石灰石というのは、世界中で安くて無尽蔵にあります。それを主原料にして、いろんな製品を開発していくというのは、本当に意義のあることだと思っていて、世界に貢献できるし、挑戦できると。それを何としてもやりきりたかったというのがありました。

最初は台湾に品質改良を要求して、彼らと一緒に世界に出たかったんですけど、彼らはそこをなかなか挑戦しなかったので、それならばこんな大きな挑戦というのは、なかなか1回の人生で出会えることもないだろうと思い、とにかくやってみようということで、勝負してみたと。


――その後、大きな出会いがあったんですよね。

そうです。うちの今の会長をやっている角というのが、元々、日本製紙の技術畑に勤めていて、その出会いがあって――最初は、台湾のストーンペーパーの改良の顧問を担当してたんですが、彼らの様子を見ていて、それはかなわないだろうと。日本でなんとか良いものを作れるんじゃないかと、僕は絶対にたどり着いてみせるので力を貸して下さいと、それで一緒に仕事を始めました。


――そこで自社で開発していくということを進めていったということですね。

そうですね。