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“食の危機”作り手と消費者をつなげる 3

2018年6月21日 17:01
“食の危機”作り手と消費者をつなげる 3

スマホひとつで旬の食べ物を食卓へ届けるポケットマルシェの代表取締役・高橋博之氏に聞く「飛躍のアルゴリズム」。3つ目のキーワードは「農業の“危機”は食への“危機” 作り手と消費者をつなぐもの」。農業の危機について高橋氏に聞いた。

――農業の危機とありますが、どういうところが危機だと感じていますか。


■田舎はいま外に出ている

都会にいると、これだけ掃いて捨てるほど食べ物があるわけです。飽食で、ここでいっても全く理解されないのですが、その食べ物を支えている供給地である生産現場が、僕が生まれるちょっと前は、農家の人が1000万人以上いたから国民の10人に1人が農家だったんです。

それが近代化していき生産性も上がり、少なくなっていくのは仕方がないことです。いま200万人をきって僕より若い農家は12万人。ここが年代別で見ても、一番離農率が高くやめていくんです。ですので高齢者が、僕らの食べ物を作っているというのが現実なんです。いま田舎が過疎化で大変ですが、東京は豊かな食生活を送っているので、国として立ちゆくと思っている人が多いです。しかし単純に田舎を外に出しているだけで、だから中国産なわけです。

これから、ますます食のグローバル化が進んでいくときに、やはり食べ物が体をつくっているわけで食べ物の背景がどんどん見えなくなっていく。作り手がどんどん外に出ていくというのは、僕は大変なことだと考えています。


■国防に関わる食べ物の話

これは国防に関わる話で、自立の基本というのは自分たちで生きるために必要な食べ物を自分たちで握ることですから。それをほかの国に握られるということは、その国のいうこと聞かなくてはいけなくなるということです。

そういうことではやはりダメで生産者だけが頭を抱えているんです。売れない、これじゃ食えないといって。それで最終的に困るのは食べる方なんですね。国産の食べ物を子どもたちに食べさせたいといっているお母さんたちも困ります。それであれば生産者だけが頭を抱えるのではなく、食べる人も一緒に考えなければダメだというのが僕の問題意識です。


■ガソリン給油、栄養補給のような食事

――いま、食育という言葉が定着しているように食に対して子どものまわりで起きている危機もあると思うのですが。

いまの都会の子どもたちは、魚は“切り身”でしか見たことないですよね。半分冗談、半分本気で切り身が海を泳いでいるんだと。

僕らが食べているものは、もとをたどれば動植物の死骸なんです。だけど食べ物の裏側が見えない、表側しか見えない、スーパーにはきれいに陳列された加工品。レストランに行けばきれいに皿に盛りつけられた食事。これが元々、動植物の命だったなんて想像できないんです。

そうなると簡単に捨てられるし、まるでガソリン給油、栄養補給のような食事になっているわけですよね。現代人は忙しいのでそういう食事に、時々頼るのはいいのですが、生きるということはそういうことか、食べるということはそういうことかと。やはり自然を文化に変換させる行為が食べるということで、社交の場であったり、友情や愛情を育む大切な時間が、どんどん栄養補給になっているのは、本当にこれでいいのかという思いはすごくあります。


■テレビ消した途端、他人事に

――人は常に色々なことを考えなければいけなくなってしまっていて意識が弱くなっていると思うのですが、何を変えたらいいと思われますか。

例えば、パレスチナ難民のニュースを見たとき、大変だなと思うのですが、テレビ消した途端、他人事なんです。それは知り合いがいないからで当事者意識が持てないんです。だから生産者が減っているというニュースをやっていても大変なんだなと、でもテレビを消すとどうでもいい他人事と。

今の時代、知り合いに農家、漁師は一人もいないという時代だから想像ができないんです。昔は、東京に出てきても田舎の家族か親戚か同級生に米農家が一人はいたのですが、今はいません。それでしたら血縁じゃなくても知り合い、友だちのように、かかりつけの歯医者とか美容師のように、かかりつけの農家、漁師の知り合いをつくっていけば、他人事ではなくなるはずなんです。

そういう生産者と消費者、都市と地方のあいだがいま“つるつる”して、かかわりがないので“ごにょごにょ”にしていきたい。かかわりをつくっていきたい。この社会に摩擦を生んで、熱を生んでと思います。双方向が大事なんです。


■伝える手段が変化していった

――今年3月に食生活ジャーナリスト大賞を受賞されたということですが、元々最初は記者志望だったということで、ジャーナリストの夢をかなえたということですね。

人生は不思議ですね、100社以上落ちているんです。お前はジャーナリストの資格がないといわれたはずなのに、こういう賞をいただきました。

僕自身はジャーナリストというのは伝える仕事で、手段はどんどん変わっていきましたけど、新聞記者にはなれなかったけど政治、これもやはり伝える仕事です。

そして「東北食べる通信」も伝える仕事なので、それは目的を変えずに手段が変化していっただけの話なので、結果としてこういうことになったんだと思います。