×

キューバ移民120年、日系人の複雑な思い

2018年5月11日 15:44
キューバ移民120年、日系人の複雑な思い

今年は、日本人がキューバに移民してから120周年になる。そのキューバで太平洋戦争の際に、父親が強制収容所に送られたある日系人の思いを取材した。


■「これがパパ、ママ」

今月、カリブ海にあるキューバのサンタマリア島で開かれた観光イベント。世界32か国から旅行会社などが参加した。

キューバ・マレロ観光相「観光産業はキューバにとって最優先です。キューバを確固たる観光地としていきます」

キューバ政府は今年、500万人の観光客の受け入れを目指すとしている。このキューバに日本と深いつながりのある場所がある。首都・ハバナから飛行機で40分…本島に次ぐ第2の島「フベントゥ島」、別名「青年の島」と呼ばれる。

「どうぞ、お上がりください」――カタコトの日本語を話す日系2世のベニータ・イハさん(79)は、ある写真を見せてくれた。

イハさん「これがパパ、ママ」

砂糖づくりが盛んに行われ、好景気に沸いたキューバには世界中から農業移民が集まり、日本からも約700人が移住した。イハさんはキューバで生まれたが、4歳の時、幸せに暮らしていた一家の運命は太平洋戦争で一変する。


■突然、家族が強制収容所に

当時、親米政権だったキューバは、敵国だった日本人を強制収容所に隔離することを決めた。イハさんの父親も突然連れて行かれたという。

イハさん「理解ができませんでした。なぜ日本人だけなのだと嫌な気持ちになりました」

その収容所は車で10分くらいの所に今も残っている。囚人の部屋が円形に並び、約1000人を収容していたという監獄の横に日系人の収容所がある。この4階建ての施設にキューバ全土から日系人約350人が集められたという。

記者「ここが日本人が集められていた強制収容所です。当時使っていた洗面所が残っていますね」

強制収容所など、この島で亡くなった日系人が眠る墓地を訪れた。地元で日系人会の会長をつとめるノボル・ミヤザワさんに案内してもらうことができた。

ミヤザワさん「この島で亡くなった日本人はここで葬られています」


■つらい中、キューバ人の優しさに触れ

「強制収容」は日系人にとってつらい記憶である一方、キューバ人の優しさを感じるきっかけにもなったという。

ミヤザワさん「私の妹が亡くなった時に(葬儀代の)お金がなくて払えなかった。近所の方が全ての費用を払ってくれた」

強制収容を決めた当時の政府への憎しみがある一方、優しくしてくれた周りのキューバ人には感謝していると話す。イハさんも、父親が抜けた一家を支えてくれたのは、近所に住んでいたキューバ人だったと振り返る。

イハさん「私はここで生まれて、日本人であり、キューバ人でありますから、今後も両国の良い関係性が続いていけば良いと思います」

政治に翻弄(ほんろう)されてきたキューバ。それでも変わることのなかったキューバ人の優しさを多くの日本人に知ってほしいとイハさんは話している。