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昭和天皇の崩御 新元号案はいつ示された?

2018年5月2日 21:47
昭和天皇の崩御 新元号案はいつ示された?

ニュースのポイントをコンパクトにまとめた「深層NEWS ここにフォーカス」。今回は昭和天皇の崩御に伴い、新しい元号が「平成」に決まる過程に関して、当時の竹下総理大臣らに新しい元号の案が示されたのはいつだったかということについて。

近野キャスター「これまでは昭和に代わる(平成・修文・正化の)3つの新元号案が示されたのは、昭和天皇が崩御した昭和64年1月7日とされていたわけですが、今回、吉田キャスターが、石原信雄元官房副長官に取材したところ、新たな事実を明かしてくださったんです」

吉田キャスター「最終案として3案に絞り込まれたというのは、いつお知りになった?」

元内閣官房副長官・石原信雄氏「陛下が重篤状態になられた直後です」

吉田キャスター「大量に吐血された(9月19日)直後?」

石原氏「直後です」

石原氏「翌日、時間は覚えてませんけど。要するに翌日だったんですよ」

吉田キャスター「首相執務室で説明された」

石原氏「執務室に(小渕)官房長官と政務の副長官も入られたと思うんですけどね。小沢(一郎)副長官と的場(内閣内政審議)室長と絞り込んだものを中心に説明したわけです」

石原氏「ただし、その場で『これでいこう』って話まではいかなかったですよ。何となく(竹下)首相も(小渕)官房長官も『平成』かなっていう、何か感じはしましたね」

京都産業大学名誉教授・所功氏「本当によくぞおっしゃってくださったと思うんですが、政府の責任において元号を決めるということですから、(昭和63年)9月19日に(昭和天皇が)大量吐血されたら、本当にどうなるか分からないという中では、そこまでまず準備をされた。でも本当に1日でも長くいていただきたいという思いの中で、万一の時を迎えるまでの間は絶対漏らさないということは、当然といえば当然なんですが、なかなか大変なことなんですよね。それを111日間なさった。結果的に(昭和64年)1月7日に、すぐ(元号に関する)懇談会にかけられるまで、細心の注意を払われたことは、いまふり返っても、あの重苦しいしかも厳しい中で、よくぞなさったと思いますね」