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さだ×鎌田“震災を忘れない”残したい宝物

2018年3月22日 20:17
さだ×鎌田“震災を忘れない”残したい宝物

東日本大震災から7年。21日、諏訪中央病院の名誉院長・鎌田實さんは、「3.11をいつまでも忘れない」と題して講演会を行った。先週に続いて、歌手のさだまさしさんも参加。今回、ある目的のためにコンサートを開いた。

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21日、都内で行われた鎌田さんとさだまさしさんの講演会。まず、福島県南相馬市にある『絆診療所』の院長・遠藤医師(61)が登場した。

鎌田實さん「絆、絆と言われたけど、いま被災地の中の人間と人間の絆はどう?」

遠藤清次院長「やっぱり、できてきていますね。地元の人だけでなく全国から応援に来てくださる方がいっぱいいるので、そういう人が来てくれるとやっぱり元気になりますね、地元の人が」

以前から鎌田さんが支援している絆診療所。その名の通り、応援の絆が育まれているという。

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3年前、大規模災害の被災者への支援などを行う「風に立つライオン基金」を設立した、さだまさしさん。実は現在、ある船を震災遺構として保存するための活動を支援している。

津波で大きな被害を受けた、宮城県気仙沼市。震災1か月後の2011年4月、鎌田さんが宮城・気仙沼港を訪れると…。

鎌田實さん「打ち上げられてしまったんですよね。自然の力のすごさを、まざまざと」

気仙沼港から約7キロ離れた大島では、本土との行き来に必要なフェリーが打ち上げられ、島は孤立。震災から19日後に定期船が復活するまでの間、救援物資や医師などを乗せ、住民の命をつなぎ止めていた、一隻の船があった。それが、臨時船『ひまわり』。

『ひまわり』の船長・菅原進さん(76)は「島を孤立させてはいけない」という一心で、地震発生直後、港から船を出し、津波を乗り越え、船を守ったという。

さだまさしさん「島に対する愛だ。島に対する愛が違うんだよ」

菅原進さん「津波に向かって行こうと。『じゃあ俺が行こう』とひまわり(船)に声かけたんです」

さだまさしさん「そこから出て、とにかく自分の船を守ると」

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さださんは、震災から3か月後、大島でのコンサートの際、『ひまわり』にお世話になっていた。

ただ、気仙沼市の本土と大島との間に橋がかかり、来年3月の“橋の完成”に合わせ、菅原さんは『ひまわり』の運航をやめることに。そんな中、地元の人などから『ひまわり』を震災遺構として保存しようという動きが…。

菅原進さん「やっぱりね、被害に遭わない人たちはもう(震災を)忘れている。遠ざかっている、どんどん。やっぱり思いがある人たちは忘れないよ。忘れてほしくないね」

震災の記憶を忘れてほしくない。『ひまわり』を残すことで震災を伝えていきたい…。その思いが、さださんを動かした。

さだまさしさん「(震災で)こんなに何もかもダメになったこの町の中で、この船は生きているぞと。これが人々のどれだけ心の支えになったかということを考えると、あの時のことを忘れないためのひとつの大切な宝物として『ひまわり』を保存できたらいいなと思います」

最後は、さださんから歌でエールが贈られた。

♪いのちの理由
 しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ
 悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように

鎌田實さん「船を保存・展示する為の費用は、およそ3000万円ほどかかると言われています。僕も保存する会に協力して、広くみなさんから寄付を募っているんですが、この『ひまわり』だけではなく、いろいろなカタチで震災を伝える活動は、これからも続けていきたいと思っています」