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九州北部豪雨から3か月…家に戻れない現実

2017年10月5日 19:47
九州北部豪雨から3か月…家に戻れない現実

 37人が命を落とした7月の九州北部豪雨。福岡県朝倉市では、1日で約1000ミリもの猛烈な雨が降った。豪雨から5日で3か月。復興へ進む地域がある一方で、まだ被災当時のままという所も。先月、諏訪中央病院・鎌田實名誉院長が被災地を訪れ、避難所や仮設住宅などで被災者の声を聞いた。

 先月22日、まず鎌田さんが向かったのは、朝倉市にある避難所。仮設住宅へ移る被災者が多い中、3か月たった今も避難所生活を続ける人たちがいる。川のそばに住んでいたという井上さん夫妻は――

 井上昇さん(62)「橋も流されて道も流されて、いま家には行けない状態」

 妻・初美さん(55)「(Q:今も?)今も。帰りたいです」

 7月の豪雨の翌日に撮影された井上さんの家の写真では、豪雨以来、家のそばを流れていた川の幅が広がり、水が家のすぐ横まで迫っているため、戻れる状態ではないという。しかし家は1年半前に建てたばかり。修復すれば住むことができそうなだけに、早く川の護岸工事や橋を整備して欲しいと話す。

 その一方で、住み慣れた家が全壊してしまった人も。仮設住宅で暮らす、伊藤正彦さん(62)に今の住まいを見せてもらった。

 伊藤正彦さん「手狭は手狭です。自分たちが住んでいた所と違って狭いですから。ただ雨風しのげればいいと」

 伊藤さん家族が暮らしているのは4畳半の和室に6畳間。家族4人で住むには少し手狭に感じるという。

 雪江さん(48)「(Q:居心地はどう?)やっぱり家の方が落ち着く」

 志緒里さん(22)「(Q:帰れる家はあるの?)帰れない。帰っても家、全壊なので。もう住めなくて」

 その家があった場所を案内してもらった。この朝倉市杷木寒水地区は、被害の大きかった場所の一つ。伊藤さん家族の住んでいた家は、被災から3か月、今も手つかずの状態だ。伊藤さんが家の中の状況を見せてくれた。地盤の問題などで大型の重機が入れず、解体すらできないという。

 雪江さん「(Q:こうなったらいいなとか夢はありますか?)小さくてもいいから自分たち家族で住める一軒家が欲しい、持てるようにしたいです」

 伊藤さん「そのつもりでいるんですけど。(Q:つもりはあるの?)はい。(Q:負けてないのね?)はい。一応」

 また、朝倉市山田地区では復興の兆しも。被災の1週間後から「news every.」が取材している井福勝義さん(70)。被災前、和菓子の製造販売とうどんとそばの店を経営していた。機材が土砂にのまれてしまい、和菓子の製造はできなくなってしまったものの、うどんとそばの店は再開へ向けて準備が進んでいた。再開の時期を聞くと――

 井福勝義さん「10月17日にはできるように」

 町全体の復興のためにも、店を再開して欲しいという声があるという。

 井福勝義さん「(周囲から)少しでも早く復活して欲しいと言われている。ちょっとでも(町に)活気が出るように…なんとかしないとですね」

★★★

 まだ3か月だが被災の爪あとは深く残っている。復興へ向けて歩み出している人たちもいる一方で全壊して手のついていない住宅も数多くあって、復興への一歩を踏み出せない人たちもいた。なにか復興への格差のようなものを感じた。

 被災地を訪問した鎌田さんが挙げる今回のポイントは「集中豪雨に強い町づくり」。朝倉市では、ひと月に降る雨の3倍もの量がたった1日で降った。そんな豪雨によって生活が壊され、心も体も疲れ果てている被災者を見てきた。今後、温暖化にともなって今後も集中豪雨の起こる頻度が高まる可能性がある。今一度、山林を守ることや川や堤防、都市の排水機能の見直しなど集中豪雨に強い町づくりが必要だ。