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車椅子バスケ“遅咲き”が覚醒した日1/4

2017年6月1日 15:19
車椅子バスケ“遅咲き”が覚醒した日1/4

 キーワードを基に様々なジャンルのフロントランナーからビジネスのヒントを聞く「飛躍のアルゴリズム」。今回は、車椅子バスケットのリオパラリンピック代表・千脇貢選手。

 千脇選手は高校時代、スノーボードの事故で脊髄を損傷し、車椅子での生活を余儀なくされた。事故後、自暴自棄になったこともあるという千脇選手を変えたのは何だったのか。


■千脇選手のプロフィール

 1981年生まれの35歳。身長185センチ、腕回りは47センチ、高校生の時にスノーボードの事故で脊髄を損傷し、車椅子での生活となる。その後、車椅子バスケットに出会い、2014年、32歳の時に日本代表に選ばれ、2016年のリオパラリンピックでは日本代表の原動力となった。パラリンピック後は、1週間もたたないうちに舞台をドイツに移し、先月まではブンデスリーガでも活躍していた。


■屈強な肉体が生む、繊細なターン

――いま、千脇選手が乗っていらっしゃるのが競技用の車椅子ですが、通常のものとどういった点が違うんでしょうか。

 まず、キャンバー(タイヤ部分の傾き)というものがついていて、普段用の車いすよりかはターンがしやすかったり、競技用なのでかなり頑丈につくられているので、激しい当たりでも壊れにくいというのがあります。


――この場でそのターンを見せていただくことは可能でしょうか。

 はい(車椅子のままクルッと1回転。非常にコンパクトに回転できる)。


――軽快ですね。それを動かしているのは千脇選手の47センチの腕、すごい迫力ですね。衝突もあったりする激しいスポーツの中で、屈強な体というのは大事なんですね。

 やはり国内だけではなくて、国外に出て行くには強じんな肉体は必要になるかなとは思っています。


■障害の程度により“持ち点”がある

――さて、ここで「車椅子バスケットボール」のルールを簡単に説明します。車椅子バスケットボールは、1チーム5人、コートの広さやゴールの高さなど健常者のバスケットとほとんど同じで、大きな違いはプレーヤー1人1人の障害の程度により、プレーヤーに「持ち点」が決められていることです。千脇さん、この持ち点というのはどのような仕組みなんでしょう。

 障害の程度によって1点から4.5点まで各選手に持ち点が振り分けられています。その中で1チーム(5人)試合に出るメンバーは、14点以内でなければならないというルールがあります。


――つまり「障害が軽い=持ち点が高い」と。障害が軽い選手だけを集めてしまうと、いわゆる14点を超えてしまう可能性があると。

 はい、なので、4点選手が5人出ることはできないので、必ず障害が重い選手も入れて戦うという形になります。


――選手のこういう持ち点などに注目して試合を見ると、また面白いですね。ちなみに千脇選手の持ち点は何点になるのでしょうか。

 僕は、2.5点になります。


――これはチーム内での役割でいうと、2.5点というのは低いポイントですね。

 はい、自分はローポインターと呼ばれる存在になっています。


■動かなくなっていく足…自暴自棄にも

――さて、千脇選手は、スノーボードによる事故で障害を負い、高校生の頃から車椅子で生活をされています。ひとつ目のキーワードは「髪を金色にした、動かない足を彫刻刀で刺してもみた、でも痛くない…一生このままだと思った」ということですが、いったいどのような事故があったのでしょうか。

 高校生の時に、スノーボードで脊髄を損傷して、脊髄損傷という形で障害者になってしまったっていう経緯がありました。自分自身、その当時は、高校の仲間とか、色々支えてくれる人たちがいました。

 そして、大学に進学したのですけれども、その際に、一気にコミュニティーが変わってしまって、自分自身、(初めから)障害者として周りと関わるというのが初めてになったので、そのときにどう接していいか、自分自身わからなくなってしまったっていうのは、一番の要因かなとは思います。


――ケガをして足が動かなくなり、その現状というのはすぐに受け入れられたんですか。

 いや、受け入れられなかったですね。やはり日はたっていくんですが、年々、実際に足は動かなくなっていくジレンマがありました。その時にメンタル的にやられてしまったというのは大きくありましたね。


――足を彫刻刀で刺したというのもそういったところからくる行動だったのでしょうか。

 自分自身、自暴自棄に陥ってましたね。


■人に支えてもらった

――そういったことの中でも、大学の後はお仕事もされていますよね。どういう気持ちの切り替えがあったのですか。

 自暴自棄になって、ずっとこのまま生きていくよりは、何かこう自分が変わるタイミングというのを探してたんだと思います。


――そのタイミングはどうやって見つけられたんですか。

 やはり周りの人に支えてもらったというのは大きいです。車椅子バスケットも、友人の勧めで入部したというのもありますので。


――ちなみにその頃は、髪の毛を金色に染めていたと。

 そうですね。


――染めたのはどういう理由からでしょう。

 特に理由はなかったんですけど、自分の中で「変えたい」というのはあったんだと思います。