北方領土 「いつでも島に」元島民の願い
15日の日露首脳会談を前に、2014年に公開された映画「ジョバンニの島」を紹介する。映画「ジョバンニの島」は終戦直後、ソ連に占領されていく色丹島を舞台に純平と寛太という幼い兄弟が懸命に生きる姿を描いた、実話をもとにした物語だ。
■ソ連が不法に占拠…北方4島
色丹島は、15日の日露首脳会談で話し合われる“北方領土”のひとつ。戦前は、色丹島には1038人、そして北方領土の4島全体では約1万7000人の日本人が住んでいて、映画に出てくる純平と寛太もその中にいた。当時、北方領土にソ連の人は1人もいなかった。
しかし、日本が終戦を迎えた1945年8月15日の後になって、当時のソ連が北方4島すべてを不法に占領した。映画の中でも色丹島がソ連軍に占領されていく様子が描かれている。
予想していなかったソ連の侵攻。ソ連軍は続々と島に上陸し、小学校の教室の中にも軍人が乗りこんできて、島での生活は一変した。ただ、同じ島に暮らすことになった日本とソ連の子どもたちは次第に距離を縮めていき、主人公の純平はソ連軍の将校の娘、ターニャにひかれていく。
ところが、占領から3年後の1948年までの間に、北方領土に住む日本人はみんな強制的に退去させられた。こうして、島の日本人はふるさとに自由に戻ることもできなくなってしまった。
■主人公は実在の人物がモデル
実は、主人公である兄の純平のモデルとなった人がいる。
現在、82歳の得能宏さん。北海道根室市で水産加工業を営んでいる。得能さんは、ふるさとの色丹島を自由に訪れることはできないが、今年の夏、元島民などに認められているビザなし交流で色丹島を訪れ、お墓の前で亡くなった家族にこう語りかけていた。
「近いうちに必ずいつでも来られるように、がんばってこの島を手元に引き寄せますので待っていてください」
元島民にとっては、ソ連に占領された幼いころから約70年間、ずっとつらい思いをしてきた。
■国境越え心通わせ
また、得能さんは、いま島で暮らすロシア人の家庭を訪問し、その家族と歌や踊りで交流した。得能さんは、戦争でつらい思いをしたのは北方領土にやってきたロシア人も同じだと言う。
「やっぱり(ロシア人も)かなり苦労してね、島にたどり着いて自分の子供たちを育てながら、今も元気で我々を迎え入れてくれているわけだから、その意味は非常に大きいと思います」
ふるさとから出なくてはいけなかった日本人と、そこに住み続けるロシア人が今、心を通わせている。
■国境線を引く前に
そして12日、得能さんら北方領土への自由な行き来することを求める元島民は、その思いをつづった手紙をプーチン大統領に渡して欲しいと安倍首相に託した。元島民の平均年齢は81歳。高齢化も進んでいるため、早い解決が求められる。
私たちは、領土交渉というと「国境線をどこに引くか」ということばかりに注目しがちだが、そこには、その土地に住む人の暮らしがあり、その土地で積み重ねてきた思い出もあることを忘れずにいたい。