箔一・浅野氏「夢から逃げない」経営術 3
株式会社「箔一」の代表取締役会長・浅野邦子氏に聞く「飛躍のアルゴリズム」。3つ目のキーワードは「1999年、会社存亡の危機、辞めた社員がライバル会社で安売り攻勢」。ドラマのようなピンチを、浅野氏はどう乗り越えたのだろうか。
■一瞬のうちに売り上げが落ちた
――“辞めた社員がライバル会社で安売り攻勢”…これは何があったんでしょうか。
これは、だんだんあぶらとり紙は売り上げが伸びていくと、やはり業界で目立ってきますよね。そうすると伝統技法を使っているわけだけど、やはり違うということで。いろいろあった際に、同業者が新しいものを開発しました。
そうすると、今までいた社員さんが、違うところで、作り方はみんな知っているので、それで同じようなものを作って。私は開発費などいろいろかかりましたが、その人は開発費がいらなかったからですね。
――価格の面で箔一が負けてしまって、安く売れなかったから売り上げが40%ほど落ちてしまったと。
はい。しかし、いつかこういうことがあると思っていましたから、私はこの製法を、機械化してはいました。ただ、一瞬のうちに売り上げが下がってしまい、やはり大変でした。
■危機のおかげで今の自分がある
――その時、どんな対策をとられましたか。
この時は私の商売の中で、ひとつの商品で20%を超える売り上げは持っちゃいけないっていうスタンスがあったんですけど、あぶらとり紙は、正直言ってどんどん時流にのって伸びていきました。
そうすると、やっぱり偏っちゃいけないと思っているのに、この部分に特化するような形になっていましたが、その頃にはもう新しく製品開発をしていたので、どんどん価格の対抗はできました。それに品質も自信がありましたから、どういうことをやられても、勝っていける自信はありましたね。
でも、急に売り上げを全部取られた時は、やはり会社としてやってけるかなと思っていたけども、業績がきちんと安定させていましたので、打ち勝っていたと思います。
――あぶらとり紙の困難をどうするかという中で、そこだけではなく、東京営業所を開いたり、建築の方に金箔(きんぱく)を活用したり、いろいろと事業拡大されてきました。つまり、成功されてきたんですが、2009年に社長の座を(息子さんに継承されました)。
はい。そうなんですね。順調にずっと、なんでもそうなんですけども、順調に伸びてるときは危機感がなくなってしまいますから、これがあったおかげでいろいろできましたね。