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東京・日本橋の意外な“日本初”を探せ!

2016年3月23日 17:17
東京・日本橋の意外な“日本初”を探せ!

 風情ある街“東京・日本橋”。実は、“日本初”がたくさんある街なんです。3月24日は人力車の日なのですが、人力車は日本橋で初めて営業が始まったのだとか。そこで今回は、人力車に乗って日本橋で“日本初”の面白話を探してみました!


■“日本初”がたくさんの街
 今は日本橋観光で人気の人力車。“日本初”、その当時のお客さんはというと、お医者さんなどの富裕層。人力車は日本橋に集まる、当時の富裕層のために誕生したのです。ちなみに、人力車に乗ったときのちょっと高い目線は、お殿様が馬に乗ったときと同じ目線なのだとか。

 今回、人力車の車夫として日本橋を案内してくれる“くるま屋”統括マネジャー・石塚さんによると、人力車の他にも日本橋発祥のものがたくさんあるとのこと。さて、日本橋にある様々な“日本初”とは?


■書店にあった“日本初”は食べ物
 まず訪ねたのは、日本橋の“丸善”。明治の早い時期から洋書などを取り扱ったことで有名です。そこで日本初とも言われているのは、創業者が考案したとも言われるハヤシライス。店長の篠田さんによると―

 「いろいろ通説はあるんですけれども、創業者が医者だったものですから、野菜のごった煮の中に肉を入れて食べたら栄養がつくんじゃないかということで振る舞ったと聞いております」

 丸善の創業者は、福沢諭吉の門下生で医師でもあった早矢仕有的(はやしゆうてき)氏。患者のために野菜と牛肉を一緒にとれる栄養食として考案しました。それが好評となりハヤシライスとなったとも言われています。


■社会を先見した“日本初”
 続いてやってきたのは、江戸時代から続く老舗“山本海苔店”。こちらの日本初は“味付けのり”で、明治天皇が京都を訪れる際の土産として考えられたものなんです。

 そして、もう1つ“日本初”がありました。取締役の山本さんに写真を見せてもらうと、そこには車で品物を受け取るお客さんの姿が。なんと日本初の“ドライブスルー”は、のりのお店にあったんです。昭和40年に設置したドライブスルーは、平成になってビルを建て替えるまで存在したそうです。

 でも、なぜのり屋さんにドライブスルーが?山本さんに聞いてみると―

 「当時、社長らがアメリカに視察旅行に行った時に、すごい車社会で、これは間違いなくモータリゼーションは日本にもやってくるだろうということで、日本にも造っちゃったと」

 設置当時は夕方までのお店が多かった中で、午後8時まで営業。急な宴会や商談の贈答品として、重宝がられたのだとか。


■魚河岸の忙しさが生んだ“日本初”
 続いては、“弁松総本店”へ。“弁当専門店”としては一番古いと言われています。当時、日本橋には築地市場の前身となる魚河岸があり、そこで働く人を相手に食堂として開店。ところが、忙しくて食事を残して帰る人が多かったため、日本初の弁当専門店になったのだとか。味付けは当時と変わらぬ濃いめの甘辛。砂糖の甘さは当時のぜいたくさの象徴であり、実際に冷めてもおいしく食べられると、大評判だったそうです。