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風化する記憶…インド洋大津波から10年

2014年12月27日 19:31
風化する記憶…インド洋大津波から10年

 約23万人の死者・行方不明者をだしたインド洋大津波から26日で10年を迎えた。現地では追悼式典が行われたが、月日が流れる中、いかに防災への高い意識を持ち続けるかがか課題となっている。

 2004年、インドネシア・スマトラ島沖を震源とする巨大地震で発生した津波により、アジア有数の観光地として知られるタイ南部では、日本人28人が犠牲になった。

 タイ南部・プーケットでは26日、式典が行われた。参列者の一人、田中章さんは、当時新婚旅行中だった長女の由美さんを失った。

 田中さん「スマトラ沖のこの地震・津波が日本人の心から忘れ去られていくのが一番さみしい」「さよならとは言ってません。また会おうねと、そういう気持ちです」

 未曽有の大災害から10年。ひときわ早い復興を見せたプーケットでは今、津波の痕跡はほとんど残っていない。災害後、240万人に落ち込んだ観光客は約5倍にまで増加した。(2005年約240万人→2013年約1130万人、タイ観光庁)

 プーケットでは、地元住民や観光客が行き交う繁華街が海のすぐそばにあり、たくさんの屋台も並んでいる。この地域ではもともと、防災意識がそれほど高くなかったという。大津波の後、政府は津波が発生した際、複数の言語で避難を呼びかけるサイレンや看板を設置するといった対策を講じたが、津波の後も防潮堤などはつくられないまま。津波の危険区域を示す標識の中には、風化し、ほとんど文字が読めなくなってしまったものもあった。

 地元住民「(Q:津波を警告する標識を知っていますか?)知りません」「(Q:津波が来たらどこに避難するかわかりますか?)わからないわ」

 スイスから来た観光客「避難経路は知らない。ホテルに逃げるよ」
 住民や観光客に対する啓蒙(けいもう)活動は進まず、意識も大きくは変わっていない。海岸近くの小学校では、今年は一度も避難訓練をしていない。訓練のためサイレンを鳴らすと、観光客が本当に津波が来たと思ってしまうためだという。

 大津波から10年。改めて、人々の防災に対する意識をいかに高め、維持していくかが今後の課題と言えそうだ。