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“アラブの春”以降進むチュニジアの民主化

2014年11月28日 15:59
“アラブの春”以降進むチュニジアの民主化

 3年前に起きた“アラブの春”。しかし、中東の国々での民主化は進んでいない。そんな中、例外的に民主化が進むチュニジアを、天野英明記者が取材した。

 11月23日、チュニジアでは大統領選挙が行われていた。投票所の門が開き、有権者たちが続々と投票所に入っていく。投票を終えた国民はこう話す。

 「革命後、大統領を選ぶのは初めてです。民主化にとってとても大きなステップよ」

 2011年に独裁政権が倒れて以降、初めてとなる大統領選挙。結果は12月に行われる決戦投票に持ち越されたが、これまでチュニジアが進めてきた民主化プロセスの“総仕上げ”と位置づけられている。

 実はチュニジアは、2011年に起きた中東の民主化運動“アラブの春”の始まりの地だ。この時、23年にわたって続いた独裁政権は崩壊した。当時大統領だったベンアリ氏は、政権に批判的な人々を手当たり次第に逮捕したほか、極端なイスラム化を防ぐため、モスクに熱心に通う敬けんなイスラム教徒らを拘束するなど、宗教や言論を徹底的に統制していたという。

 革命後は雰囲気が一新したチュニジア。その一端を街の書店で見つけた。ある本が売れているというのだ。店員が見せてくれた本は“チュニジアの憲法”。今年1月に承認された民主的な憲法には、信教の自由や人権尊重、男女平等などが明記されていた。この書店では、1日に150冊売れたこともあるという。

 市民に根付いた憲法。街中で憲法を持っているか尋ねてみると…

 「これがチュニジアの憲法だよ。新しい憲法だからうれしいんだよ」

 また、民主化により、メディアの放送も180度変わっていた。チュニジア最大のラジオ局“モザイクFM”では、“アラブの春”以降、表現の自由が認められ、政権批判も放送できるようになったということだ。編集局長は民主化以前をこう語る。

 「独裁政権時代は、政府や大統領だけでなく、その家族についても報道で批判することは禁じられていました」

 このラジオ局では、革命後、1日に5時間以上も政治関連の番組を放送するようになったほか、多岐にわたる情報収集に対応するため、社員の数を約2倍に増やしたという。実際、生放送の様子を取材していた時も、“自由”を実感する出来事があった。放送中、DJが突然こう呼びかける。

 「アマノに来てもらおう。来てください」

 生放送中にもかかわらず、ゲストとして参加を求められたのだ。「誰もが自由に意見する」――そんなメディアの姿勢が垣間見えた。

 さらに今回の大統領選挙にも、“民主化”の形跡があった。大統領選挙の投票用紙は、候補者27人もの顔写真が印刷されているため、特大サイズとなっていた。独裁政権時代も、ベンアリ大統領の対抗馬として数人が立候補していたというが、実際は、独裁政権の息がかかった候補者らが争うという形式だけのもの。事実上、ベンアリ大統領の信任投票にすぎなかった。今回、これだけ多くの候補者が立候補しているのも、政治の参加の自由が認められた結果といえる。

 “アラブの春”以降、チュニジアで政権をとった政党“アンナハダ”の党首・ガンヌーシ氏は、民主化が進んだ理由について「一党のみで政権を握らなかったことが一因」だとの認識を示した。

 「一つの政党がチュニジアを支配することはできない。複数の政党が一緒に支配するというメッセージを国民にしっかり伝えました」

 また、10月の議会選挙で第一党となった世俗派の政党“ニダ・チュニス”も、今後の政権運営について次のような方針を示している。事務総長のバクーシュ氏はこう語ってくれた。

 「過半数の当選をしていたとしても、他の民主主義政党とともに政府を構成するつもりです」

 一党だけの支配では民主主義が危ぶまれるという考えが各政党に根付き、例外的に民主化が進められている“アラブの優等生”チュニジア。大統領選挙後新たに発足する政権は、アラブ民主化の成功例となる国づくりを進めることができるのか、その行方が注目されている。