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ベルリンの壁崩壊25年 今も残る東西の壁

2014年11月14日 16:36
ベルリンの壁崩壊25年 今も残る東西の壁

 冷戦の象徴といわれたドイツ・ベルリンの壁。今月9日に、その壁が崩壊してから25年がたった。当時、壁の崩壊は人々にどんな影響を及ぼしたのだろうか。小島康裕記者が取材した。

 9日、ベルリンでは多くの人々が、街が分断された悲しい過去に思いをはせた。25年前のこの日、ベルリンの壁は崩壊した。当時、東ドイツの国民は、壁を越えて西側に行くことを一切許されていなかった。その壁の崩壊は、人々にとってどんな意味があったのだろうか。かつて旧東ドイツに住んでいたシュテファン・ボルフさん。生まれたときにはすでに壁があった。シュテファンさんは「この壁は我々、旧東ドイツ国民を閉じ込めていたものでした。だから壁をなくすことが大切だったんです」と話す。

 その日、27歳だったシュテファンさんはテレビで壁の崩壊を知る。自らの目で確認したいと思い、妻ら家族と検問所に足を運んだ。その場所は今、当時の様子を再現した博物館になっている。シュテファンさんは「大きな声で『来い』『パスポートを出せ』と乱暴に言われました。パスポートを見せると、スタンプを押され『通れ』と言われました。信じられない瞬間でした」とそのときの様子を語る。

 当時、検問所は西へ向かう地下鉄の駅につながっていた。車両は人であふれていたと記憶している。シュテファンさんは「みんなすごく楽しそうにシャンパンをかけあっていました。みんなとすごく話しました。『どこから来たの?東から?』と」当時を振り返る。なぜ突然壁が崩壊したのか、この状況がいつまで続くのか分からないことだらけだった。次の日にはソビエトが戦車を出動させるのではないかとも思ったという。実際は、この11か月後に東西ドイツは統一。壁の崩壊は冷戦終結の象徴となった。

 あれから25年。ドイツは一つの国として歩んできた。ただ統一で浮き彫りになった東西ドイツの格差は今も埋まらず、旧東ドイツ地域に対する支援は5年後の2019年まで続くことが決まっている。

 ベルリン市内の旧東ドイツ地域に位置する広場。シュテファンさんは「これがアレクサンダー広場です。ベルリンで最大のデモがあった場所です」と話す。壁が崩壊する5日前、ここでは大きな市民集会が開かれた。参加者は50万人とも100万人ともいわれ、少なく見積もっても当時の東側ベルリンの人口の半分が参加したことになる。シュテファンさんもここで政治体制の変化を求めた。壁の崩壊は市民運動の成果だとシュテファンさんは胸を張る。一方で、今のドイツは自分たちが求めていたものではないと少し失望もしている。シュテファンさんはこう語る。

 「私たちは理にかなった社会を求めていたのです。資本主義を求めていたわけでありません。一切違います」

 いつまでも埋まらない格差をはじめ、現在のドイツにいらだちを感じている市民は少なくない。その意味で、人々の心の中には壁はまだ残っているといえるのかもしれない。