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減りゆく証人… “戦争体験”どう伝える

2014年8月15日 17:39
減りゆく証人… “戦争体験”どう伝える

 8月15日、日本は69回目の終戦記念日を迎えた。第二次世界大戦を経験した人が少なくなる中、戦争の記憶をどう伝えていくのか、日本と戦ったアメリカでも同じ課題を抱えている。平野亜由子記者が取材した。

 今月6日、69回目の“原爆の日”を迎えた広島。土砂降りの雨の中、行われた平和記念式典には、アメリカのケネディ駐日大使も初めて出席した。この前日、アメリカ東部・ペンシルベニア州ではある男性の葬儀が行われていた。列席者は「彼は素晴らしい英雄だった。寂しいよ」と語る。その棺はアメリカの国旗に包まれていた。

 列席者から英雄と称えられたのはセオドア・バン・カークさん。老衰のため先月28日、93歳で亡くなった。バン・カークさんは、広島に原爆を投下したB29爆撃機“エノラ・ゲイ”の乗組員で、乗っていた12人のうち、最後の生存者だった。バン・カークさんは、
原爆投下についてどう考えていたのだろうか。私たちは、生前、話を聞いていた。

 「戦争を終わらせ、これ以上の殺害を止めるためにも原爆を投下したい。そして、早い方がより良いと思いました。原爆の犠牲者のことを聞き、もちろん気の毒に思いました。でも、戦場で殺された全ての人のことを思っていたら戦争では絶対に勝てない。原爆の投下は唯一の方法ではなかったが、人間の命という意味でもっとも犠牲を少なくする方法でした」

 原爆投下は「戦争終結を早めるために必要だった」と、バン・カークさんは繰り返し強調した。

 アメリカでは、国民の間でも原爆投下を肯定的に捉える声がいまだに根強くある。

 「日本人は違う意見を持っていると思うけれど、アメリカ人からすれば正しかったと思うよ」

 「原爆投下は戦争を短くしたと信じてます」

 一方で、オバマ大統領が“核なき世界”を掲げたこともあり、若い世代の間には否定的な声も広がっている。

 「他の方法があれば他の方法を選ぶべきでした。犠牲が多すぎました」

 「戦争を終わらせるために必要だったとは思いません。やりすぎだったと思います」

 若い世代の声にバン・カークさんは、「犠牲者の数だけで判断するべきではない」と主張していた。

 「若者は原爆について多くの被害者が出たということ以外は何も知らない。なぜ我々が原爆を落としたのかと考えるようなことはない」

 原爆投下の正当性については一歩も引かなかったバン・カークさんだが、“原子爆弾”の存在そのものに対しては否定的だった。

 「核なき世界を掲げるオバマ大統領には完全に同意します。核兵器なんて1つも持っていなければ良かったと思います。人類を地図上から消してしまうような武器は持つべきではない」

 一度に10万人以上の命を奪った原爆を落とした当事者としての葛藤があるようにも感じた。

 「外交で問題を解決できないなら戦争しかない。しかし、私はもう戦争はしたくない。第3次世界大戦ともいえる戦争が世界中で起きているが、どんな戦争も正当化することはできないのです」

 終戦からまもなく70年。バン・カークさんら“歴史の証人”が次々とこの世を去る中、原爆の研究・製造に関わったテネシー州のウラン濃縮施設などを国立公園に指定する計画が進められている。原爆投下の歴史を伝えようとするこうした取り組みについては、「歴史の残虐な一面を残すことに意義がある」「第二次世界大戦についてより深く知ることができる」などと評価する声が多いということだ。

 「戦争はもう二度としたくない」と訴えていたバン・カークさん。“歴史の証人”の思いを後生に伝えるための取り組みがアメリカでも始まっている。