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ソチとはどんな町か?五輪舞台の意外な歴史

2014年2月14日 16:23
ソチとはどんな町か?五輪舞台の意外な歴史

 熱戦が続くオリンピック。その舞台となっているソチには、複雑な歴史があった。山内康次記者が取材した。

 「ソチは初めてよ、フィギュアスケートを見るのでワクワクしているわ」―笑顔でそう語るのはアメリカから来た女性の観戦客。テレビカメラの前で歓声をあげる人々、マスコットキャラクターと記念撮影する子供、街の中で音楽を奏でる人たち…ソチはいま、オリンピック一色のにぎわいをみせている。

 ロシア南部に位置するソチは19世紀後半、温暖な気候と温泉が湧くことから保養地として注目され、開発が進められた。ソチにある温泉治療施設「マチェスタ」を訪れてみた。開業は1902年で、皮膚や内臓などの治療のため、ロシア全土から患者が訪れるという。実際に温泉に入ってみると、温かくて気持ち良い。施設の主任医師は「スターリンもこの温泉に入っていました。とても体に良いのでみなさんも入ってください」と説明する。

 あの旧ソ連の指導者・スターリンは、持病のリウマチの治療のためソチの温泉に通っていたという。さらに、スターリンは1930年代にソチのリゾート化を指示し、自らも別荘をかまえた。「スターリンはソチを愛していました。長く滞在して山を眺めていたのです」と話すのはスターリン博物館の職員。スターリンの別荘は現在も博物館として残され、一般の旅行客も予約をすれば中を見ることができ、オリンピック期間中は多くの予約が入っているという。

 スターリンがソチの開発に乗り出してから約80年。今度はプーチン大統領がソチを世界的なリゾートにしようとオリンピックを誘致した。しかし、ソチオリンピックをめぐっては、イスラム武装組織がオリンピックを標的にしたテロを予告しており、警備が強化されている。

 実は、その背景には“征服の歴史”がある。ソチの中心部から車で約1時間のところに位置する、ある地区を訪ねた。そこで暮らしているのは少数民族のチェルケス人。ソチの先住民族であるチェルケス人は、約1000年前から、このソチで、蜂蜜を採取して生計をたててきたという。この土地の蜂蜜を試食させてもらった。甘いだけかと思ったら、わずかに苦みもひろがる経験したことのない味だ、ズバリおいしい。

 丘の上には、この土地に暮らす人々の歴史を象徴する慰霊碑があった。実は、ソチオリンピックの会場を含む地域一帯は、約150年前、当時のロシア帝国に攻め込まれたカフカス戦争の戦地だった。

 ソチ市歴史博物館のフシト・アムネタさん「チェルケス人の9割は虐殺か、追放され、自立心を傷つけられたのです」

 礼拝の様子を取材する。チェルケス人の大半は、ロシアで最も信仰されるロシア正教ではなく、イスラム教徒だった。こうした征服の歴史を背景に、イスラム武装勢力は「先祖の骨が埋まる場所でのオリピック開催は許せない」としているのだ。一方で、地元の住民は「もう時代は変わった」と話し、わだかまりはないと強調する。

 地元の住民「カフカス戦争は150年も前のことだから。時代は変わったんだ、もう許したんだよ」

 別の地元の住民「民族の関係をこじらせようという一部の人たちがいるのです。私たちは平和な暮らしがしたいだけです、戦争や報復は必要ありません」

 かつての戦いの地で行われているオリンピック。チェルケスの人たちは、平和の象徴となることを願っている。