×

「100年前の化学兵器」と闘い続ける町

2013年12月13日 16:15
「100年前の化学兵器」と闘い続ける町

 2013年12月、ノーベル平和賞の授賞式が行われ、OPCW(化学兵器禁止機関)が受賞した。世界で初めて化学兵器が大規模に使われてから約100年。今もその脅威と闘い続ける町を渡辺祐史記者が取材した。

 今年のノーベル平和賞を受賞したOPCW。授賞式でウズムジュ事務局長は、化学兵器廃絶の必要性をこう訴えた。

 OPCW・ウズムジュ事務局長「化学兵器は、軍隊か一般市民かも、戦場か住宅地かも選ばない。姿も見えず、においもせず襲ってくる」「化学兵器が、フランダース地方で初めて大規模に使われてからおよそ100年前となる今、私たちは化学兵器がもたらす惨劇を思い出さなければならない」

 内戦が続くシリアで今年、化学兵器が使われ多数の死傷者が出たという疑惑が浮上した。OPCWはこの事態を受け、シリアから化学兵器をすべて撤去する計画を進めている。

 ベルギー西部に「イーペル」という町がある。第一次世界大戦で激戦地となったこの町には、犠牲者をしのぶ慰霊碑が至る所にあり、戦争をテーマにした博物館も建てられている。第一次世界大戦中、町の周辺では塩素ガスやマスタードガスなどの化学兵器が使われ、その影響は兵士らだけでなく、一般の市民にも及んだという。

 1915年、ドイツ軍がイギリスなどの連合国軍に対し、前線で塩素ガスを使用したとされ、化学兵器が大規模に使われたのはイーペルでの戦いが世界で初めてとされている。その後、双方がマスタードガスなどを次々に投入し、町は廃虚と化した。博物館の歴史家は「ガスは戦場の前線にとどまらず、町の一部まで吹き込んだ。町はパニックになり、人々は逃げ惑ったのです」と説明する。

 イーペルの名前はマスタードガスの別名「イペリット」の由来にもなった。町では戦争で犠牲となった人たちを追悼する儀式が、1920年代から“毎晩”執り行われている。

 さらに、化学兵器の使用はこの地域に負の遺産をもたらした。普段はカメラ取材を許されない隣町の軍施設も取材することができた。施設内には、大小様々な不発弾が大量に置かれている。1年間で約5000発もの不発弾が見つかっているという。そのほとんどがベルギー国内で見つかった不発弾で、マスタードガスや塩素ガスといった有毒ガスを発生させるものも含まれている。不用意に扱えば命を奪われかねないものばかりだ。不発弾は、エックス線などを使って内部を分析したうえで、廃棄作業が行われる。ベルギー軍の担当者は現状をこう話す。

 「100年前に使われた毒物の廃棄作業が、今もずっと続いているんです」

 戦争後に放置された毒ガス弾が次々に見つかるため、その処理作業はいつ終わるかわからない状態だ。化学兵器が使われた地域では1世紀近くたってなお、後遺症と戦い続けている。