×

黒人初のメジャーリーガーが残したもの

2013年11月8日 16:36
黒人初のメジャーリーガーが残したもの

 今から60年以上前、人種差別が激しかったアメリカ大リーグで、初の黒人選手として活躍したジャッキー・ロビンソン選手。差別と闘いながら現代に残したものを取材した。

 日本シリーズ進出をかけた大一番。決戦前の巨人・原監督を、1人の女性が訪問した。

 原監督「ジャッキー・ロビンソン氏の奥さまに会えて大変光栄です」

 レイチェル・ロビンソン夫人「東京に来られてうれしいです」

 ロビンソン夫人が原監督に手渡したのは1着のユニホーム。背番号は42だ。

 11月1日、黒人初の大リーガー、ジャッキー・ロビンソン選手の半生を描いた映画“42”が公開された。タイトルの“42”は、ロビンソン選手の背番号だ。アメリカでは、興行収入成績で1位を記録するなど話題となった。

 1947年、黒人差別が激しく、白人しかプレーできなかった当時の大リーグ。ゼネラルマネジャーに見いだされ、ブルックリン・ドジャースに入団したロビンソン選手は、さまざまな差別を受けながらも「後に続く黒人の役に立ちたい」との思いでプレーを続け、新人王のタイトルを獲得。その活躍ぶりを見たほかのチームも、黒人の選手を次々と受け入れていった。逆風の中、差別に立ち向かった夫を支えたロビンソン夫人は当時の様子をこう語る。

 「野球界だけでなく、社会全体に差別があった時代でした。夫は社会が変わるのを見たかったのだと思います。そのためには、決してあきらめませんでした」

 そんなロビンソン選手の思いは、多くの人に影響を与え、今も受け継がれている。

 大リーグは功績をたたえて背番号42を唯一、全チーム共通の永久欠番にしたほか、デビューした4月15日には、全ての選手が42番を着けてプレーする。そして、大リーグ・レンジャーズで活躍するダルビッシュ有投手。ロビンソン夫人が来日した際、黒人の若者に奨学金を給付するジャッキー・ロビンソン財団に、“42”にちなんで4万2000ドル(約420万円)を寄付した。「ロビンソン選手がいたから、自分たち外国人がメジャーリーグでプレーできる」と話したということだ。

 さらに、野球界以外でもこんなことが行われた。映画がアメリカで公開された4月、ファーストレディーのミシェル・オバマ夫人がホワイトハウスに若者らを呼んで異例の上映会を開いたのだ。上映会ではオバマ夫人がこうスピーチしていた。

 「大事なのは仕事で大金を得ることではなく、人のために何ができるかです。ロビンソン選手があなた方、若者のために道を開いた」

 ロビンソン夫人は来日した際、クライマックス・シリーズの試合を観戦した。場内では「偉大なる選手ジャッキー・ロビンソンさんの奥さま、レイチェル・ロビンソンさんと、映画を撮ったヘルゲランド監督です」とアナウンスで紹介され、大きな拍手で歓迎されていた。最後にロビンソン夫人は、差別についてこう語っていた。

 「日本人には野球ファンが多く、映画への理解もあります。差別に国籍は関係ない。差別がある社会に住むすべての人々の問題です」

 自分の後に続く人々のために、人種の壁に立ち向かったジャッキー・ロビンソン選手。今も多くの人々が、その思いを伝えようとしている。