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イラク戦争 福田元首相、当時の背景語る

2013年3月23日 20:07
イラク戦争 福田元首相、当時の背景語る

 今月20日、イラク戦争の開戦から10年を迎えた。いまだその是非を問い直す声もある中、当時、官房長官だった福田康夫元首相がNNNの単独インタビューに応じ、決断の背景などを語った。

 アメリカは当時、イラクを大量破壊兵器を保有するテロ国家だとして、武力攻撃を認める国連決議を求めたが、フランスなどが国連による査察継続を求めて反対し、決議は採択されなかった。しかし、アメリカはイラクが大量破壊兵器を保有していると決めつけて武力攻撃に踏み切った。

 福田氏は、小泉政権では発足から3年にわたって官房長官を務めた。「最後の最後まで協調路線でいけないかどうか模索した」ものの、戦争を止めることは不可能だったという。「軍隊があそこまで集結して、イギリスも加盟してやっていたわけですから。そういうものに対して、努力は無駄だというわけにはいかないでしょう」。

 「サダム・フセインと息子たちは、48時間以内にイラクを立ち去らなければならない。拒否するならば軍事行動を起こす」-アメリカ・ブッシュ大統領(当時)がこう宣言した翌日、小泉純一郎首相(当時)は、アメリカの武力行使を支持するのが妥当だとして、即座に支持を表明した。

 「イラクが大量破壊兵器を保有している」-これが戦争の大義名分だった。しかし、福田氏はこの情報の確証を日本独自にはつかみ切れていなかったことを明らかにした。「一国でできない。国連、IAEA(国際原子力機関)の調査団とか、あったわけでしょう。ですから、それに頼るしかないんです」。

 結局、大量破壊兵器は見つからなかった。04年9月には、アメリカ・パウエル国務長官(当時)が大量破壊兵器の発見を断念。しかし、小泉首相は強気だった。05年1月27日の衆議院予算委員会では、「いずれ見つかるんじゃないかと思っていたが、結果的にはない。思うと予想と見込みが外れる場合はある」と答弁していた。

 何のための戦争だったのか。

 福田氏は忸怩(じくじ)たる心境を漏らした。「あの戦争は何だったのかと考える人がたくさんいてもおかしくないと思う。犠牲をともなったわけですから、そういう判断が本当に良かったと思わないでしょ」。

 日本では11年、民主党政権が外務省に検証を指示。しかし、全容は明らかにされず、12年12月に報告書の骨子のみ公表された。戦争支持の是非は対象とせず、「大量破壊兵器が確認できなかったことについて、厳粛に受け止める必要がある」としている。

 検証の必要性を訴えた岡田克也前副総理は、「大量破壊兵器があることを当然視して、色々なことをやってしまったのか、そういうことについて全く検証されてない」と述べ、その内容は不十分だと指摘している。

 岡田氏はまた、「大量破壊兵器があるかどうかの確認をせずに支持したわけですから、日本外交としては一つの汚点だと思います」と厳しく指摘した上で、「同盟国であっても、自分の頭で考えて自分自身で判断していくということでなければいけないんだと思う」と語った。

 一方の福田氏も、「情報収集能力は、戦争する国と比較すれば、はるかに劣っている」と情報収集が不十分だったことを認めた。

 それでもアメリカを支持せざるをえなかったという。「日本のエゴイスティックな利益ということだけ考えた場合には、大変大きな利益があった」「北朝鮮だって活発な動きをしていた。非常に切迫した状況は日本自身にもあった。これを抑止するのはアメリカしかない」「日本としては日米関係を重視していかなければいけない」。

 イラク戦争の支持が果たして成熟した日米関係の結果だったのか、まだ議論の余地はある。日米関係を機軸にしながらも、多角的な視野をもつ外交が求められている。