×

ブラジルのスラム街に暮らす日本人写真家

2012年7月12日 16:16
ブラジルのスラム街に暮らす日本人写真家

 サッカーワールドカップやオリンピックなど大きなイベントを控えたブラジル・リオデジャネイロだが、貧困層が多く暮らすスラム街には、今も危険なイメージがつきまとっている。このスラム街で暮らしている日本人の写真家を、土屋拓記者が取材した。

 迷路のように張り巡らされた細い階段を歩いていると、目に付くのは、レンガを積み上げただけの住宅。窓がない家も目立つ。電柱には、おびただしい数の電線がぶらさがっている。ほとんどは勝手に引かれている電線だという。ここは、ブラジル・リオデジャネイロにある「ファベーラ」と呼ばれるスラム街だ。ギャング同士の抗争が絶えず、麻薬取引の現場になっている所も少なくない。リオデジャネイロ市では、こうしたスラム街に約140万人が暮らしている。平均的な家庭を訪ねてみると、家電製品はそろっている一方で、住宅の壁ははがれ落ちていた。スラム街に住むエリエさんは「子供たちに新しい靴を与えたいと思っていますが、月給が650レアル(約2万5000円)では十分ではありません」と話す。市内には、こうしたスラム街が800か所ある。

 写真家の伊藤大輔さん。中南米を旅した後、ブラジルのスラム街で暮らし始めた。伊藤さんは「(住んでいたのは)あの辺りの上の方ですね。細くて車とかは通れない道です」と、以前住んでいた場所を教えてくれた。そして「リオデジャネイロのギャングに惹(ひ)かれたんですよね。それで撮ってやろうみたいな感じで。来てみたらやっぱり住まないと撮れないですよ」と、ここに住み始めた経緯を教えてくれた。伊藤さんは私たちが普段、触れることのない風景や出来事を、自分の目を通して伝えたいという。伊藤さんが撮った写真を見せてもらった。細い道を駆ける子供たちに、破れたサッカーボール。スラム街の生活に密着した写真が印象的だ。

 今は、ビーチ沿いの別のスラム街で妻と赤ん坊と3人で暮らしている。もちろん、日本人は、伊藤さん一家だけだ。かつては、スラム街でカメラを構えることに危険を感じていた伊藤さんだが、最近スラム街にも変化が訪れているという。伊藤さんは「一番大きいのは、ギャングから警察に変わったってことだと思うんです」と話す。このスラム街では、4年前、警察署が設置され、街角では警官が警備にあたっていた。リオデジャネイロでは、サッカーワールドカップとオリンピックの開催を控え、至る所で工事が続いている。スラム街の一部も、こうした開発の対象になっている。

 伊藤さんは「舗装し直して、ここの道は全く無かったんで、まず一本の道を造って…」と、街の変わりようを説明してくれた。郵便局や保健所も建てられた。開発のスピードは想像以上の速さだという。伊藤さんは「みんな、こんな事になると思ってないと思います。来る度に本当に変わっていってますよ、日々ね」と語る。暮らしが便利になる一方で、市が推し進めるスピード開発に住民はどう感じているのだろうか。話を聞いてみると「多くの変化が起きていますが、大事なのは地域の習慣や文化を残す事だと思う」「開発は早いスピードで進められていますが(強制的な立ち退きなどで)私たちは悪影響を受けています」という声が聞かれた。道路が舗装され、ビルが建ち並び始めたスラム街。「観光地」として生まれ変わる日も、そう遠くはない。

 伊藤さんは、写真家として複雑な思いを抱えている。この街の魅力について聞くと、伊藤さんは「街の魅力は混沌(こんとん)ですよね。細い路地とか色々な景色があるし、どれだけの写真が撮れるかって話ですよね。僕みたいな人間にとっては、開発が進まない方がいいですよね。開発が進んでいったら、ちょっと残念ですよね」と語ってくれた。一大イベントを控え、開発が続くリオデジャネイロ。市の思惑と住民の思いとの狭間でその姿を変えつつある。